孫遊び
孫遊び
散歩好き人間であるので、良く海岸沿いの散歩道をのんびり歩き、疲れたらベンチに腰掛け夕暮れの景色をながめ、散歩中の多種多様な人々を観察するのが好きだ。
ある日、偶然近くで休憩していた、中国生まれの若い女性観光客と言葉を交わした。
米国の西海岸で働いている女性で、IT関係の仕事に携わっているそうだ。
10日程の休暇をとって、初めてホノルルに来て、二日目との事。
ダイビングが好きで、三日ほど毎日ダイビングを楽しむと言う。
数年ホノルル在住の私、日本料理や中国料理をホノルルでだけ、孫になってもらったつもりで一緒に楽しむ事にした。
昔、少しアジア研究専攻、中国に一か月ほど旅行した経験もあったので、若い中国生まれの女性と英語でおしゃべりが出来る事は、我が喜びであった。
なにぶん、中国語は「謝謝」しか知らない私。
昔学んだ中国史の文化革命について話していると、嬉喜さんいわく。 「私の父方は漢方医で、 文化革命の時は数年牢屋入りを経験したそうだ。
普段から近隣の住民の健康維持の努力に専念していた事が認められて、 近隣の住民からの迫害は免れたそうだ。
満州を始め、中国の奥地まで、軍国主義時代の日本軍が攻め、中国の一般市民の方々を苦しめてしまった事を、遅まきながら、謝罪した。
紙の上に、漢字を並べ、英語に直してもらうと、殆ど日本語の使い方に近い。 漢詩や漢文を、日本の知識層が良く知っていた時代が長かった。
近隣国であり、歴史的にも深い関係がある中国。でありながら、中国生まれの人と知り合いになる機会が少ない。
暇人である特典を利用して、嬉喜さんと数日行動を共にした。
最近、ボーイフレンドと別れたばかりだと言う嬉喜さん。
中国の大学を卒業後直ぐ、 渡米、幾つかの州を巡り、仕事を変えながら、米国西海岸のとある州で、収入の良いソフトウエアエンジニアの仕事を続けている。
両親は中国のど真ん中の地域に在住。 父方は
数世代にわたって漢方医だと言う。母親は西洋医学を学び、夫婦で小さい医院を経営している。
嬉喜さんは長女。中国の一人っ子政策上、正規の子供という事になる。 嬉喜さんには妹と弟さんもいる。 両親が医者で収入も良く、 政府に罰金を払って次女、長男も産み育てた。
暗黙の了解で、 長女の嬉喜さんは医者になる事を強く期待されていたが、 強く反発して、IT 関連の勉学に励んだそうだ。
20代の始めに渡米した嬉喜さんの英語は、少し中国風訛りを感じるが、十二分に意思疎通が出来る。
当方は、合計45年も米国に住みながら、 発音は日本風が抜けないけれど、 英会話は十分楽しめるのでありがたい。
ホノルル一の寿司屋で寿司を楽しみ、ワイキキで有名な中華料理店で舌鼓。
ホノルルの樹木を観察するため、中華街近くの植物園にもバスで向かった。ついでに点心も楽しんだ。
ハワイの有名なルアウにも行く事にした。
私は27歳の時、生まれて初めて渡米、ホノルルに降り立った。 日本で一年前に結婚、子育てに適した一軒家が東京よりグッと気楽に購入が可能だと夫。
その言葉に惹かれて引っ越しを決心して、ハワイへ。 その時初めてポリネシア村でルアウを見学。
時が流れ、退職後の住処をホノルルと決め、引っ越して来てから、 娘と知人と海辺近くのルアウにも行った。
今回はウオーター公園で開催されたルアウであった。 それぞれ、 特色がある事を発見。
現地ハワイ人の料理を満喫、ポリネシアの多くの島々の踊りと音楽を楽しんだ。
数日後、嬉喜さんは職場のあるカリフォルニア州に帰った。短い間であったが、 孫と祖母の遠足気分を楽しませて頂いた。