感謝の塊
感謝の塊
朝目が覚めると、出来るだけ毎日、寝たまま両足の運動をしてみている。
腹筋を使って、片足ずつ上げたり下ろしたり、両足を天井に向かって上げたり下ろしたり。
すると心の奥から感謝の気持ちが湧き上がってくる。
長年、私の人生に寄添いながら、我が両足は、計り知れないほど私の意志に忠実に文句一つ言わず、私の身体を運んでくれていた。
右足さん、左足さん本当にありがとう。
考えてみれば、横隔膜もなんと長い間、私を静かに支え続けてくれていたことだ。
横隔膜を使って何度も深呼吸をしたり、合唱団員時代は大声でアルトのパートを 歌って楽しんだ。
通訳業でも、横隔膜は大いに活躍した。 緊張感を緩めるため、自己流瞑想もどきをする時も、横隔膜様のお出ましだ。
所詮、呼吸を続けなければ、我々は生きられないようにできている。 横隔膜様ありがとうございます。
楽譜を読み、本を読み、遠くから近づいて来る知人の顔を見極めるためにも、我が両眼は張り切ってくれ続けている。
楽譜用の眼鏡と、遠方を見る時の眼鏡にはお世話になっているが、今の所、本は自分の目だけで読めている。
直ぐ忘れるにせよ、知識を頭の中に入れるために、 起きている間中休まず目は活躍していてくれているお陰で、中身のある人生を謳歌させていただいている。
鼻の穴様だって、同様に、私のために気を緩めず大活躍だ。
ハワイの海風を両方の鼻の穴から、無意識に身体の中に酸素を取り入れ、身体を浄化している。
考えてみれば、犬の何万分の1にせよ、両耳は音を聞き分け、危険そうな音と頭脳が判断すれば、即首を回して確認、必要に応じて足早に立ち去り、身を危険から守ってくれる。
勿論、好きな音楽を聴いていると、心も浄化され、心の中から否定的な考えを退散せる場合が多い。
両手、左右の手の指様だって大活躍、料理の時は包丁捌き、皿洗い、部屋の掃除やフラダンス。
身体を包んでいる皮膚だって、 数日ごとに細胞が入れ替わるにせよ、 傷口ができると、身体中の自然治癒力が発動して、傷口を塞ぎ、外部の悪い菌が侵入するのを、本人が気づかぬ内に、防いでくれている。
人間が勝手に、「悪玉菌、善玉菌など」と、人間の目線から呼んでいるが、身体の中には常に菌様が住み着いていて、必要な役割を果たしてくれている。 「我が身体の中の菌様よありがとう。」でも、「悪さだけはしないでね。」と、思わず呟いた。
人生とは無数の感謝の塊で成り立っている事を、遅まきながら気がついた。
おっと、身体を構成している無数の骨様だって、それぞれの役割を間違いなく果たしてくれているお陰で、日々が快適に過ごせている。 骨様ありがとうございます。
特に高齢化した今、骨様に折れてもらっては、本体の私が窮地に陥ってしまう。
カルシュウムを取り入れ、歩く緩やかな運動も続けますので、「骨様もう少し頑張って下さいね。」と、私。
頭蓋骨の中に収まっている脳細胞様も、部署によって役割は違うようであるが、それぞれの役割を忠実に果たしてくれているので、この私が存在できている。
脳細胞が狂い始めたり、本来の役目を果たさなくなれば、見た目は本人らしくとも、人間の中身がいつの間にか変質してしまう。
そうなのだ。 人生とはズバリ感謝そのものだ。これからは全ての事象に感謝して、1日1日を大切にしていきたい。 この命よありがとう。
太平洋の海風が、そっと背中に触れて吹き抜けた。 我が心臓も、嬉しそうに反応している。
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