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いつまでもいると思うな親の存在

どこまでも「大人」になりきれていない
そんな感覚が脱げるような
体感がこの数日間で起きている

こうやって人は
成長するんだって
自覚的に軸を感じる体験と
人間として誠実さや文化伝統というモノを
より感じる時間にもなった

そして

どれだけ
「護られていた」のだろうかと
改めて親の存在を有難く感じ
より大切にしたいと思った

前回の続きのような
遠方の「親の旅立ち(他界)」について
フィードバックしながら
もし遠方の親の旅たちを経験する人の
少しでも役に立てたら
幸いだ

コロナの影響が
やっぱり大きな2年だったコトもあり
本当に動けたのは
ほんの数日でした

本当に側にいた
家族が一番頑張ってくれたし
私の心から大好きで尊敬する
母の存在が素晴らしすぎた
ただクタクタになって
本当に大変だったと思う

皆様に感謝しかない

なので、具体的なコトは
あまりないですが
私の経験した心の変化をここに
残しておきたい

私の学生時代の愛読書
キューブラロス love という
変わった看護学生でした。
助産師のスイッチ入るまでは
ホスピスケアナースにガチでなろうと思ってた

そんな時代を思い出しながら
コロナ禍で手術などかさねていくコトがあっても面会が出来ない状況で1年以上頑張り続け
その度に少しずつ
少しずつ体重が減る話が
電話で耳に入る

かなりアナログな実家だから
電話が主な情報源

電話先で怒ったり
泣いたり
笑ったり
時々メールで
子どもたちの写真を送ったり
また、何か体調にプラスになるモノを
送ったりしていった

そして今年に入り
もう治療出来ることは
なくなって在宅介護がスタート
春コロナもあったが在宅スタートのころ
実家に帰省(短期間 ホテル宿泊)

帰ると色々気になることがあった
とにかく転倒防止で
長年の風習のようなキッチンマットを
撤去する相談
床に滑りやすさも気になり
あちこち掃除

母が何かやりたくても
「お母さん、お母さん」と
まるで新生児のお世話を毎日する
(3時間起きではない、数分おきの時もあり)
そんな暮らしをする母はクタクタ

もちろんサポートしてくれる
身近な家族もいるけれど
何より
「お母さん」がいい

そして死への不安は
怒りや苛立ちで
言葉が強くなってね
そこが切ない

わかっていても
強い言葉はストレス

慢性的な寝不足もあり
本当に本当に母は大変だった

数ヶ月後に数日単身で北海道へ
コロナ禍だけど
必要な介護旅

私もここ数年でかなり
ミニマリスト的な生き方になってるので
バックパック一つ
私服は制服的な
ジーンズ黒ニットで
掃除以外に何か生活改善になりそうなコトをと
思って出発

この時まで
在宅介護の一つの柱になっている
訪問看護が
本当に本当に本当に.....

素晴らしくて
その様子が
タブレット端末に
他職種連携で報告されるシステム

これ最高に素晴らしい!!
これ子育て支援や教育支援にも
めっちゃ使えるやーんって
一人で興奮してたw
(誰か一緒に開発してほしいと思うくらい
遠方の家族サポートに最適 
ぜひ開発したい人ご連絡ください
と、言いたくなるくらいすごい良かった)

こちらをメインの家族もに持ってもらいながら
情報共有
そして兄姉ともlineグループで情報共有

私は本当に有難いことに
兄姉が素敵で大好きな人たちなので
安心してコミュニケーションを
一緒に情報共有してもらいながら
私自身が医療従事者なので、調べられること
共有できることを共有していく日々だった

また、父は医療従事者である私を
入院闘病中から、ことあるごと活用w
特に抗がん剤の情報共有については
私もwebを活用して色々と伝えた
すっかり子育て支援の地域助産師なのでね
医療の進歩を改めて自分が学ぶ時間になり
私自身深くこのことにも感謝した

日々在宅看護の情報共有
ケアマネさん、訪問看護師さん、薬剤師さんの名前と
人柄を感じながら
実家に思いをはせていた。

ただ
やっぱり遠方だから
できることはめちゃくちゃ少なかった
現場で頑張ってくれた家族と皆様に何度も感謝です

どんどん体調の変化を感じるのと
私が最後に感じた変化は

結局バイタイルサインだった
看護の基本だ

呼吸 脈 の変化は
やはり命のサインだ

私自身この感覚を
父から魂に刻む
そんな瞬間だったな

今考えてみるといろんなことがあった
けど
大きく何もできないが
介護職を送ったり
パジャマを送ったり
資料を送ったり
サーチュレーションを送ったり・・・
とても喜んだのは娘の油絵だったな
やっぱり孫の存在って嬉しいんだね
実家には6人の孫の写真がいっぱいだった

いつまでも
いると思うな
親の存在・・・
その存在の大きさは
失ってからわかるけど
いる時からもっともっと感じること
もっともっとできることがあるって
ちょっとでも知っていてほしいなぁって思いました

旅立ってから
葬儀の準備は地元にいる家族が全てやってくれていました

私はできることを思い
本当少しだけと
できることで動きました。

関東に来て21年
お葬式にいることって
ほとんどなくて
冷静に考えると祖母の他界の4歳から
記憶がない

ただ4歳の記憶はしっかりとあり
思い出しながら
父の葬儀と向き合う

父がたくさんの人に愛されて
生きてきたことを感じる葬儀と
母との結婚55年になる
その月に旅立った父の存在を
噛み締めて
私たちが仲良しなのは
父と母が仲良しだったからだなぁって
痛感した時間だった
そして、たくさんの人を見送った父だから
たくさんの人から愛されたのかもしれないとも
思った

そしてね
人はこんなにも小さな箱の中に入るのね・・・
こんなにも小さくなっていくんだ

遺骨のなかに残った
肩身に闘病で使用したペースメーカーをもらった

医療の力で生きた人生のかけら
手に取った瞬間から
「とにかく何でも頑張りなさい」
「とにかく何でも頑張りなさい」
「とにかく何でも頑張りなさい」と
鼓動するように
私の心にそんな言葉が届く
父の遺言だ

こんな感覚は
あまり味わったことがない
これが「産まれ直す」ような感覚何だろうなと
手にした形見を大切にしようと思った

怒涛のこの数日間
急遽仕事もたくさんの調整に
ご協力してくださった皆様
ここしばらく
返信が遅かったりすることで
ご迷惑をたくさんおかけした皆様
本当にごめんなさいね。
そして、ご配慮いただき
心から感謝いたします。
ありがとうございます。

来週からは少しずつ通常通りの暮らしand仕事に戻ります。
オンライン講座の準備もしていきます。
他にも旅立つ家族の気づきについて
書いていきます。

最後に降りてきた言葉

全てが贈り物
全てがプレゼント
私が私で生まれ
私が私で育ち
その人生を与えてくれた
両親に感謝

今生きている奇跡に
深く深く感謝

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

今日も明日も のびのびと
あなたは あなたの家族を大切にしてね

育ち合う家族・母の樹
やまがたてるえ


これからの学びに活かしていきます!ありがとうございます。