「愛情不足」という言葉のなんて愛情不足なことか
【暮らしと学び】を楽しく
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アラフィフの母 やまがたです。
今日のテーマは
「愛情不足」という言葉。
これ、言われたことある保護者の方がいたら、
本当に支援者側が
愛情不足すぎてごめんなさい。と
勉強不足でごめんなさい。と謝りたい。
愛情不足って、
なにを根拠にって
いつも思います。
支援者が考える愛のカタチ
保護者が考える愛のカタチ
そして、
受け取る子どもの愛のカタチ 器
全く違います。
そして、それをどれだけの定量で測ることは
できるのでしょうか?
愛ってなに?愛情ってなに?
きちんと調べていますか?
上記を読むと「大切にする気持ち」が愛情ということになります。
その愛情のカタチが
それぞれ違う。
これはフィクションです。
たとえば、Aさんの保護者は
Aさんがいい学校に入ってほしいと
必死に「愛情(大切にする気持ち)」をもって
勉強を頑張るように毎日毎日厳しくしつけをしました…
Aさんは保護者の期待に応えたくて
頑張り続けていましたが、だんだんと
辛くなってきました。特に漢字ドリルが
辛すぎて、そして習い事も辛すぎて
習い事をこっそりいかない日が出てきました。
そんな時に、習い事の先生が
「愛情不足」だからこなかったのでは…
なんていっちゃたら、
どうなると思います???????????
これはフィクションです。
繰り返しますが
こういうケースがリアルに起きていたこと…
ある気がします。
なにか、子どもたちの困りごとに対して
「愛情不足」という短絡的な言葉だけで、
問題をわかったようなふりをすることこそ、
なにも「相手を大切に思っていない」
愛情不足だと思います。
大きな勘違いです。
これは私自身が、学んでいなければ
使った言葉かもしれません。
「愛情不足です」
「はい!今愛情注ぎます」
「はい!愛情満タンです」で
問題は解決するならば、
それはガソリンスタンド
人間の心はとても複雑で
デリケートなものです。簡単にはいきませんよね。
もちろん愛情貯金といわれるような
プラスのストロークをためていくことも
大切ですが、簡単に問題の原因を
不足だけでいうことは違う気がします。
支援者から「愛情不足」といわれたら、
言われた保護者の方がどれだけ傷つくか、
そして、不足だから足せばいい。みたいな
簡単なことではないのに、言って何とかなる??
と疑問ばかりです。
愛情は「相手を大切に思う気持ち」
それだけではなく、本当の意味で将来や
本人の人権人格も含めて
「大切に思うこと」だと思うのです。
子どもたちは特に、なんでも大人が一方的に決めた
「仕組み」の中で必死に頑張っていることが
多いのではないでしょうか?
そして、保護者たちも
仕組みの中で、「決まりだから」と不都合で、
「もっとこうしたら便利なのにな」ということも
口を閉じて我慢していたりすることもあるかもしれません。
多く日本の子育て支援も、教育も
仕組みが大きく時代に合わなくなってきている。
ということを、現場からおおもとの予算を決める
政治にまで届かないところが
大きな課題だといつも思います。
もっともっともっと
リアルにスーパーで買い物している保護者さんの声を
聞いてほしいし、もっと保護者の声を聴いてほしいし、
それ以上に「子どもたちの声」を聴いてほしい。
もちろん、虐待やネグレクトは
また違う話です。
それもね、保護者の方が本当に
そうしたくて、行っている行動なのでしょうか???
本当はSOSを出したくても、出し方もわからなく、
そして強く罰されると思う恐怖心や
保護者の責任が愛のカタチをゆがめているのかもしれませんが、
本当に苦しい状況なんだと思いますし、
そこで子どもたちは心も体も両方守られていくことが
大切だし、子どもたちもそんな保護者の対応が
「間違えている」と気づき、声をあげられるようにしていくことが
重要だと思います。
そこには「人権」「体の権利」についての学びが
マストだと私は思います。
ついつい熱くなって書きましたが、
愛のカタチは様々であり、
そして、「愛情不足」だけで
問題を解決しないでほしいと
心の底から思います。
愛情不足の文脈から聞こえてくる可能性が高い
「愛着障害」についても、私たちは
大きな誤解をしている可能性があります。
米澤先生の本。本当に素晴らしい本です。
たくさんの方に読んでもらいたい本。
私たちは
いろんな背景を持って生きています。
そして、事実は一つなのに、
観ている本人の脳のフィルターを通して
事実を観るので、見え方が全く同じではなかったりします。
そのことを踏まて、自分が見ているものがすべて正しいと
思い込みをしないことも大切ですし、
文章もそうですが、自分たちの咀嚼の仕方でも
代わるような部分もあるかもしれません。
私たちは何にトリガーを持っているかも
一人ひとり違います。
それは生きてきた文脈にも大きく左右されます。
↓トリガーに気づける本
そういう心理的な理解が当たり前の義務教育になればなぁ…と
日々日々思う、やまがたでした。
今日は長文になりましたが、
お付き合いいただき、本当にありがとうございます。
愛のカタチはどんな形かな?
いろんな形を楽しみながら、身の回りの人の笑顔を見つけていきたいです。
やまがたてるえ
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