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赤ちゃんの、君に会いたい。

家族旅をテーマにインスタを始めた。
次の旅までネタがないので、昔を振り返り「旅の思い出シリーズ」でもやってみようかなーと、軽い気持ちで取りかかった。のはいいんだけど、
息子の赤ちゃんだった頃の写真がもう、四十路の涙腺に来る来る。
これには参った。

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何千枚という写真を繰りながら、あの頃の感覚がおぼろげに蘇ってくるのを感じる。
むちむちの柔らかさ、よだれの甘い匂い、おっぱいを吸う強さ、あったかさ、重さ。
何千枚の写真の中は、君、君、君でいっぱい。

笑っても撮り、泣いても撮り、遊んでるのも寝てるのも、とにかく可愛くてシャッターを切らずにいられなかったんだなと分かる。
台所で一人、遠い目をしながら投稿を続けている。

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ある日カフェで仕事をしていたら、近くの席で赤ちゃんがわんわん泣いていた。
関係ないのにおっぱいがチクチクするような気がするのはなぜ。
ハラハラして、チラチラ見て。気になってしかたない。

ああ、私に抱っこさせてほしいな。
汗かいてる、服が暑いんじゃないかしら。
外の風に当たったらいいのかも。
「私に抱かせて」と言いたい。言いたい。。。

そしてハッとする。新米ハハだったとき私は、こういう時の周りの視線が痛くて怖くて、「すみませんすみません」と萎縮していたっけ。

泣いた赤ちゃんへの視線は、実は「うるせーな」じゃなくて、「赤ちゃん見たいな」「可愛いな」「抱っこしたいな」が結構な割合だったんじゃないかって思う。

そういえば、先輩ママやおばさまたちに「今だけよ!一瞬よ!存分に味わって!」みたいなことを熱を込めて言われるのも、有難いけどちょっと嫌だったっけ。「分かったから、ちょっと抱っこしててよ」と思っていた(実際によくお願いした)。

そんなことを思い出していたら、赤ちゃんを盛大に泣かせたまま、若いママはベビーカーに乗せて出ていった。

「赤ちゃん・・・」。
息子が赤ちゃんだったときの思い出と重なって、うわーっと、猛烈にこみ上げてきた。
会いたい。あの子に会いたい。もう一度だけでいい、抱っこしたい。

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あんなに小さく弱く、あんなに美しく愛らしい存在だった君を、
私は精一杯愛でた。精一杯お世話をした。

四六時中抱っこし、一挙手一投足を見つめ、睡眠を削り、乳を絞り出し、スカスカのヘトヘトになりながら、初めてのハハをやっていた。
精一杯だった。

でも私なりの精一杯は、十分じゃなかったのかもしれないとも思っちゃうんだ。
一人になりたいと願い、
誰かに預かってほしいと願い、
精魂疲れ果て、もう無理だって笑えないときもたくさんあった。
どうして私だけと夫に泣きながら言ったこともあった。

今はそれが、もったいなかったことのように思えてくる。
あんなにあんなに、
可愛くて小さくて、私を求めていたのにと。

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別に子育てをやり直したいわけじゃない。今の息子は最高に素敵だと思うから。
でも、でも、もう少し、大きな気持ちでできたとも思う。もっと笑ってあげて、もっと抱っこしてあげられたんじゃないかと思う。もし今の私なら。。。と思いかけて、慌てて思考を止める。

「今を味わって!!!」
先輩母たちの気迫に満ちた顔の意味が、いまならわかる。
やっと。

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君に会いたい。
赤ちゃんの君に会いたい。
おっぱいをあげたい。
だっこしたい。
トントンしてげっぷを出してあげたい。
ガーゼでやさしく沐浴させてあげたい。
私の腕の中でねんねさせてあげたい。
もう一度だけ。。
会いたいよ。。。


せめて夢の中で、と思って布団に潜り込む。
5歳の息子の寝顔を見て、
「やっぱこの子が大好き」と胸がいっぱいになる。
これが母ってことなのかな。
わからないや。


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