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私が産前産後にこだわる理由#1

こんにちは。
楽ちん&快適な産前産後ナビゲーターの
松浦ゆうこです。

副業をしつつ、産前産後の女性のためのエクササイズを
お伝えする仕事ををかれこれ数年やっておりますが

そもそも私がなぜそんなに”産前産後”にこだわるようになったのか?
についてここらで1回まとめておこうとおもいます。

想定外の結婚、出産が全ての起源だった

私が第1子を妊娠したのは9年前。
5年間の社会人経験を経て東京から
ワーキングホリデーでオーストラリアへ行き
そこで夫に出会い、帰国→結婚→夫の地元
静岡県に嫁いできました。


そこにあったのは大自然と友達ゼロで無職という現実。
車の運転もままならないので
外出することもできず、やっていたのはひたすら散歩。

そして「私は大丈夫!」という
謎に自信に満ちた思い込みから
両親学級で教えてもらった陣痛中の呼吸法さえ
ろくに覚えずの不真面目な妊婦でした。

そんな感じで臨んだお産はパニックで
(陣痛中に嘔吐、会陰切開に大量の出血)大変でしたが、
元気な赤ちゃんが生まれて嬉しい♡

なんて喜びも束の間。

出産後は

・円座クッションが無いとどこにも座れないという自分の体。

・なかなか泣き止まない我が子を一日中抱っこで腱鞘炎。

・昼も夜も寝れないから寝不足でいつでもボーッとした頭。

・生まれたはずなのにへっこまない自分のお腹。

・母親が全て対応しなければいけないという無言のプレッシャー。

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何をやろうにも自分の思い通りにいかない。理由もなく泣けてくる。
夫にイライラするけど、話をする気力は無い。
気軽に出かけられる場所も、一緒にどこかに遊びに行ける友達もいなくて。

そんな妊娠中は想像さえできなかった世界が待っていたのでした。

嬉しい驚き!2回目の出産は全て違った

そんな慣れない子育て生活から1年半後に
第2子を東京で里帰り出産しました。

臨月から実家に帰り
家事も育児も家族に手伝ってもらいながら
妊婦→産後生活を送っていました。
(本当に有難かったなぁ~。)

実家だったので自分の親と一緒に過ごせたし
友人も遊びに来てくれたりと、
第1子出産時とは全く違う環境で
臨月~産後時期を過ごしたのです。

第2子を出産したのは実家から近い総合病院だったのですが
そこでは産後入院中に赤ちゃんのミルク・沐浴指導だけではなく
産後ママのためのアロマオイルマッサージや、
退院日にシャンプーをしてくれるオプションがありました。

必要最低限の処置や、赤ちゃんのための、ではなく
”ママのための”という気持ちがあることが、本当に嬉しかった。

施術後は足を引きずるように歩いていた体が軽くなって
寝ても覚めても赤ちゃんのことで頭がいっぱいだった
私の心を落ち着かせてくたようにおもいます。


「母親だって自分のためになることをやって良いんだ」

それまで抱えていた”献身的である母親=良い母親”という
価値観を開放するきっかけになった
嬉しい体験でした。


2回目の出産で出会った嬉しい驚きはもう1つあります。
出産直後から自分で出来る母体ケアがある、
と書かれた書籍に出会ったことでした。

初めは「本当にやって良いの?効果あるの?」と疑っていたし、
何より”ママが自分のために何かをする=よくないこと”という
思い込みもまだまだあったので、実践するまでに時間はかかりましたが、
ひたすら2人の子育てをする日々から脱却するべく
本を読んでちょこちょこ家事の合間に体を動かしたり、
DVDレッスンを受講しました。

元々体を動かすことが好きで、学生時代から社会人になっても運動をしていた私にはそれらのエクササイズが合っていたようで、体を動かした日は夜ぐっすり眠れ、細々と続けていくうちに妊娠中から悩んでいた腰痛や肩こりが改善していきました。

産後=痛みに耐えるしかない ではなく
産後=動かしてより良い状態にしていける!!


ということを実体験から学び、この学びが
その後の私の人生を大きく変化させる出来事となったのです。

#2へ続く。


▽この記事を書いた人

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松浦ゆうこ

東京生まれの下町っ子。現役パート保育士。高校時代にダンスに目覚め、都内スタジオへ通い詰める。都内で幼稚園教諭として5年勤めたのちワーホリでオーストラリアへ。結婚して静岡県に移住し、現在10歳、9歳、3歳児の母。

産後専門インストラクターの経験を生かしてバランスボールエクササイズのレッスンを開催したり、子育て支援サークル活動をしている。


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