毒親特集の感想

11月も本日で最後。そして明日から12月。
意外と早かったな2022年。まだあと一か月あるけど。
今日の天気は、昨日とは違う種類の風がビュンビュン吹いていたね。一気に冬がやってきたみたい。12月のリハーサルをしている11月30日。

昨日の体のだるさは今日はほとんどなくなっていた!それはきっと、葛根湯と8時間の睡眠時間のおかげ。それと昨日の風呂の時に、シャワーを塩の混じった海水だとプラセボの感覚で、両肩と両足にくっついてる霊たちをお祓いしたのだ。プラセボは効果あり!プラシーボって言えよって話ですけど、最近読んだ本には「プラセボ」と書いてあったので使ってみました。


さて、題名にある通り、先ほどTverで見た「ザ世界仰天ニュース」の毒親特集について思ったことを書こうと思います。二つ表題があったのですが、今回は一つ、スポーツ毒親についての意見です。

内容としては、小学校低学年の少年は、姉の影響で厳しいバレーボールチームに所属しました。しかし監督からの暴力・暴言で子供たちが病んでしまいました。親たちは監督から伝染し、監督の行き過ぎた指導を止めることなく、自宅でもトレーニングをさせたり、家でも監督のように酷いことを言ったりするようになったのです。

私自身も小学校高学年から中学校三年にかけてバレーボール部に所属していたので、色んな中学校の指導を見てきたし、指導方法についても感じることが多くあります。

まず小学校時代、姉の影響でバレーボールを始めました。私は左利きのためポジションはライトでした。正直自分では下手だと感じることが多かったのですが、親は「なんで家の子にはアタック打たせないんだ?!」とよく主張していました。その主張もあったせいか、よくトスを回してくれるのですが、うまく決めることが出来ません。親とチームに対しての申し訳なさ、そして決められない自分に対していら立ちと悲しさを感じ、涙を流してしまったことがあります。

<今だから言えること>
まず子供のワールドにあまり親は入ってこないほうがいい。もし本当にアタックが打ちたかったり上達したいのなら、家に帰っても努力するはずだろう。帰宅してPCでゲームをしたり絵を描いたりしてる子供は、バレーボールがうまくなりたい!という気持ちはだいぶ下の方にある。それに気づけるかどうかは親の子育てテクニックであろう。


中学時代はそのまま流れでバレーボール部へ。
急に利き手が変わるわけもなくそのままライトのポジションへ。しかし中学校からはローテーションという新たなルールが適用される。私はレシーブとアタック、そしてブロックが苦手だった。得意なのはサーブと朝練のランニングと草むしりのみであった。
2010年ごろ、体罰はぎりぎりのラインだったと思う。3年間で7回、監督からビンタをされた。親からもビンタされていない頬にバチン!と平手打ちである。ビンタは体罰の中でも軽いほうだと思うが、それよりもブリッジで体育館一周や、階段50往復、体育館全面使ってのスリーマンなどのほうがしんどかった。
こうなると親なんて外で見てるだけである。なんも監督に意見する人なんていなかったと思う。どうして乗り越えることができたのか。それは、自分がある程度下手だったからだ。私はリベロ付きのアタッカーだったため、半分しか出なくてよかった。それにアタッカーと言ってもエースでも何でもないため、あんまり活躍することもない。正直活躍できなくて悔しいなんて思いはなかったし、はやく一日過ぎたらいいんやと心のどこかで思っていた。というか全面的にそれだった。

いつかの練習試合でいつも通りミスをした。観客席のほうから「ごめんなぁ・・」と、自分の親がほかの親さんに謝っていた。それを聞いて悲しくなってまたミスをする。なんちゅう悪循環。子どもにとって親はほっとする存在だが、自分がプレーする姿を見てほしくないという思いも少々あるのだ。
その試合の後、久々に監督からビンタをされた。コンタクトを裏返しにはめてしまったせいかゴロゴロする。それが治るかななんて願いを込めて私は泣いた。コンタクトはゴロゴロしたままだった。

練習は嫌だったけど、県大会優勝も2回出来てよかった。練習合間にいろいろふざけたことするのも楽しかった。ほんまおおきにと言いたいです。

<まとめ>
私の親は毒親ではなさそうだ。毎週土日に練習する我々もしんどかったけど、子供をサポートする親たちも同じくらい大変だよね。子どもたちのチームのギスギス感は、きっと親たちの世界にもあることだろう。子どもと言っても、大人もそんな大きく変化することもない。なぜならカエルの子はカエルだからだ。本当にありがとう。
そして、私はいつか、もしかしらた親になるかもしれない。スポーツに限らず、素晴らしい指導者にご指導していただける機会があるかもしれない。それによって人間力が強くなるならいいけれど、適応障害や憂鬱な気持ちになってしまうようなら、そのフィールドを変えなければならない。そんな見極めをうまくできるかどうかが教育者として大切なことになるだろう。
宗教に洗脳なんて、そんなことはないかもしれない。もっと身近なところに洗脳は潜んでいる。好きな小説家がエッセーでこんなこと言っていたな。それはどうかと思うけど、この人が言うなら・・・なんていうのも良くない。自分の感覚を忘れないようにしよう。

高校の時の部活もさらにしんどかった。私はスポーツが嫌い。大抵精神論。これからスポーツやっていく皆さん、どうか心の底から楽しんでね。勝ち負けとかも必要だけど、そればかり見すぎてはいけないよ。成績が悪すぎて怒られて、「私ってどうして生きてるんだろう」に行きつかないでね。

アディオス

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