【Doing】に必要な英数、【Being】に欠かせない国語。

しばらくぶりの更新です。今日はこれからの社会で必要になってくるものごとについて考えながら書いてみます。

これから必要とされるのは英語と数学だ、ということはよく耳にする話で、実際にここ1、2週間の間に今の日本、これからの日本について、講演を聴いたり、考えたりする時間があり、改めてその2つの重要性を認識することができました。自分も英語を学び直さねば、という気持ちになったりしています。

ただ一方で、国語の力を信じている自分にとっては、とはいえもっと根本的なところで、モノゴトを理解する力、リテラシーにもつながる力をつける必要があるとも感じていて、その違いをどう捉えられると良いのかなぁと考えていました。教科で考えると3つが並列に置かれるイメージがあって、そうなると英語と数学の優先度が高くなるのか?という疑問が浮かぶのですが、いや、そういうわけではない。実際に私たちはふだんほぼ日本語だけを使ってコミュニケーションをとっていて、いきなり明日から国民全員が英語で会話ができるわけではないので、生活している中で常に触れている、インプットされる言葉の多くは日本語であるわけです。

そういうことを考えていて、浮かんできたのが、タイトルにした「【Doing】に必要な英数、【Being】に欠かせない国語」というものです。今後、いろんなモノやコトが日本国内だけ、日本語という言語だけで完結することはまずなくなっていくと思います。日本はだんだんと人口が減少していきますし、今資源として価値があるとされているものはほとんど国内にはありません。そんな中で世界といろんな形でつながりながら生き残る術を考えていく必要が出てくると思います。そのためには英語を話せること、聴いて、また読んで理解できることはとても大事です。また、数学はあらゆる技術と深く結びついているので、モノゴトの理を表す世界共通の言語でもあると思います。この2つは、ある意味目的をもった行動【Doing】に必要とされるスキルなのではないかと考えられます。一方で、国語はその人自身が生きていくにあたってなくてはならない、モノの考え方とか、起こる出来事に対する捉え方とか、そういったその人の在り方に大きく影響するものです。もちろんスキル的な部分もあって、日常的なコミュニケーションだけでなく、英語や数学をスキルとして使いこなすにも、そのベースとして本人の読解力や思考力みたいなところはやはり国語を抜きにしては語れないと思います。そういった意味で、国語はその人がその人であること、その在り方や考え方【Being】にとって欠かせないものなのです。

そう考えると、国語に対して苦手意識をもってしまうことは、その人自身が自分に自信をなくしてしまうことにもつながりかねません。最近は「自己肯定感」という言葉がよく話題に上がりますが、誰かに褒められたり、認めてもらうこと以上に、まず自分自身の国語の力を鍛えることで、自分のあり方【Being】に自信をもち、自分で自分を肯定していけるようになるのではないでしょうか。

英語、数学は未来の【Doing】のためのスキルとしてとても大切ですし、これからの社会、世界で役立つことがたくさんあると同時に、その2つの力を最大限に引き出す元【Being】になるのが国語の力であると、改めて強く信じつつ、その大切さを伝える活動をこれから頑張っていきたいと思います。

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