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おもてなしされる子どもたち

「ママ〜、つまんな〜い、何すればいいの〜?」
これは、5歳と8歳の娘がしばしば言うセリフだ。

「やりたいことくらい自分で考えなよ」
と私も夫も言う。

ステイホームで1日家にいる日が続き、退屈は否めない。姉妹で公園に遊びに行かせるも、1時間持つかどうか。すぐに飽きて帰ってきてしまう。

家で二人で盛り上がっていれば良いけれど、どちらかが読書とか一人遊びに熱中して、もう一人が手持ち無沙汰になるというのがうちでのあるあるだ。

自分で遊びたいことを見つけられない子どもに誰がした?
それは親の責任だと言われてしまえば、親は私だ!
ごめんなさい、ダメな親でごめんなさい・・・。

でも、自分たちが子どもの頃は、そんなに親に遊んでもらったりしなかったよね、と夫と話した。小学生の頃はもちろん、幼稚園の頃だって、たぶんもっと小さい頃でもそうだ。

昔と今と何がそんなに変わってしまったのだろう。

子どもの遊びについての母の悩み

長女が小学校に上がってから、放課後一緒に遊べる友達がいなくて困っていた。横浜市には放課後キッズクラブというのが小学校の中にあって、親が働いていなくてもそこには行けるのだけれど、娘はあまりそこに馴染めなかった。

家に帰ってきてから、近所の友達でも遊びに誘いに行ければ良いのだけれど、みんな習い事やキッズクラブに行ってる日が多くて、誰がいつ家にいるのかがわからない。
子どもたちが毎日忙しい。

園の頃は、夕方まで園にいたので、帰ったらあとはほとんどお風呂入ってご飯食べたら寝るだけ。家で遊ぶのはご飯の支度の間にちょこっとビデオを見るくらい。

うちの子たちの園はのびのび系、つまり勉強にはあまり力を入れていなくて自由に遊ばせることを重視する園だったけれど、それでもこの時間帯は外で、この時間帯は中でと大まかな流れはある。

その流れの中で子どもたちも、外ならこの遊び、中ならこの遊びと、自分の好きな遊びを見出してるようだった、

前回書いたように、うちは長女が4歳直前で入園。それまでずっと、私が遊び相手になるか、どこかに連れていくか、何とか子どもたちの暇つぶしをしてた。

なぜ、親が遊び相手になったり、暇つぶしを考えるようになったのか。

うちにとって、その生活の始まりは、長女の生後数ヶ月まで遡る。

長女が0歳の頃、私は家にいると1日が長すぎて、ほとんど毎日外に出かけていた。家にいても家事も仕事も進まないけれど、ただ授乳ばかりで拘束される。俗に言う、暇パイに悩まされていた。

普通、授乳間隔は生後数ヶ月なら3時間に1回と言われていたけれど、うちの場合は2時間も持たなかった。本当にお腹が空いていた時も当然あるけれど、ある程度の割合は赤ん坊が退屈だったからだ。

2時間に1回、15分の授乳はたまったもんではない。
家にいると退屈になるのか、パイを求める間隔は更に短くなる。
かくして私の可能な限り外出する毎日が始まった。

主な出かけ先は、横浜市の子育て支援拠点。
他のママたちがいて友達もできたし、家では退屈する赤子もよく遊んだ。

子どもはほかの子どもが遊んでいることに興味を持つ。
他の大人が話しているときにも興味を持つ。
赤ん坊でもそうだ。
だから、家で母と二人っきりでいる時よりもずっと、娘も楽しそうだった。

だから、子育て支援拠点はうちからは少し遠かったのだけれど、猛暑の中でもベビーカーを押して汗だくになりながら通っていた。

そこに行けないときは、近所の大型商業施設の中を、特に買う物もなくても彷徨うこともあった。なんとなく退屈を紛らわして、時間を潰すために。

とにかくどこか、子どもを連れて行ける場所をと、私は行き場を探してた。

私が子育て情報サイト「コドモト」を始めたのは、乳幼児二人を連れてなんとか行ける徒歩15分圏内でどこか居場所を・・・!という切実な思いからに他ならない。

コドモトで「さまよえる上大岡ママに朗報!」と題したこの記事は、かなり限定的な地域のピンポイントな話題なのに、数千人単位で閲覧された。
行き場を求めてるのは、私だけじゃなかった。

専業主婦の場合、子どもが幼稚園に行くようになると、その時間は開放されるけれど、降園後はまた公園で遊ぶか家で遊ぶか、過ごし方を考えないといけない。

今の世代の子育てにおいて「子どもを遊ばせる」あるいは「子どもの暇をつぶす」というのは重大なミッションだ。
それも、安全に、泣かせずに、迷惑をかけずに

自分の親や叔母に、昔はどうしていたのかと聞いたら
「そんなことはした覚えがない。一日中ずっとおむつ洗ってた
という答えが帰ってきた。
彼らが子育てしてたのは、1980年代のことだ。

「子どもたちを遊ばせるのが大変」という感覚は、私たちの親世代には理解し難いようだった。

自分自身の子ども時代のことを思い出してみても、確かに少なくとも平日に親に遊んでもらった記憶はない。
幼稚園くらいでも、大人の足で徒歩5分程度の家なら、一人で遊びに行っていた。

1980年代までは、悪い意味ではなく、親の目の届かないところで小さい子どもが一人で遊ぶことは普通だった。

しかし今、園児の娘を一人で大人の足で5分のところに行かせられるかというと、とても無理だと思う。
怪我をしたり、ましてや誰かに連れていかれたりしたら、こんな年の子どもを一人で出かけさせるなんてとフルボッコにされること間違いないからだ。

実際の安全リスクもあるけれど、社会的に親がどう見られるかという部分も多いに関係している。

ある程度しっかりしてきている5、6歳児であっても、現在の子育て環境では、親が外で目を離すことはできない
安全な公園に連れていって、しっかり見ている必要がある。

そしてその場合は親の都合の良いタイミングで連れて行くので、友達と遊べるかどうかは微妙だ。

未就園児が動きやすい平日の早い時間の場合、近所の公園に子どもを連れて行っても、ほかに誰もいなかったりする。

少子化もあるけれど、都市部では母たちの多くが子どもが1歳前後の頃には復職することの影響が大きいかもしれない。
昼間、保育園以外の場所にいる子どもたちが少ない

そうすると、親は一人で子どもを見守ったり遊び相手をしなきゃいけなくなる。

週末には子どもが遊べる場所にお出かけしたりもするし、親に遊んでもらうということが、子どもたちにとってずっと当たり前だった。

家で長時間一人で遊んだり、兄弟と遊んだり、子どもだけで近所で遊ぶという時間は、コロナでステイホームになる今まで、本当になかったのだ。

こうして子どもたちから、独力で遊ぶ機会が失われた。

なぜ、大人の見守りが強まったのか

1980年代前半に子育てをしていた親たちは
「おむつ洗いが大変だった」
と言った。

紙おむつの歴史を調べてみると、乳幼児用の紙おむつが販売されたのは1977年だった。スクリーンショット 2020-06-12 8.55.36

引用: 一般社団法人 日本衛生材料工業連合会 紙おむつの歴史


1981年生まれの私はほぼ100%布おむつ育ちだったが、1985年生まれの妹は紙おむつをよく使っていたように記憶している。
おそらく、この1980年代前半頃に紙おむつの普及率が上がり、母たちはおむつ洗いの手間から開放された

ポジティブな面として、物理的に余裕ができ、子どもを見守る余裕ができたのだろう。

おむつ洗いからの開放は子育てにとっての大きな一歩だったけれど、家電が普及した1960年代にももう、「育児過剰」「テレビっ子」といったワードがすでに取り沙汰されていたらしい。

参考論文: 戦後日本における「母子密着」の問題化過程

実は、1960年代には既に今と同じような問題は発生していた

それでもまだ、1980年代、私の子ども時代は子どもを一人で外に遊びに出す大らかさがあった。それが世の中的に憚られるようになった契機になったかもしれないと思われる出来事がある。

1988-89年に起こった、宮崎勤事件だ。

思い出したくもない恐ろしい事件なのでここでは詳細を書かないけれど、アラフォー以上の年代の人なら覚えていると思う。
私もまだ子どもだったけれど、ものすごい怖くて衝撃的な事件だった。

メディアがそうした事件を伝えることで、子どもは大人がしっかり見守っていないといけない、という世間的な共通認識が生まれた、あるいは強まったのではないかと推測する。

子どもが遊ぶと通報される公園

最近近所のママ友から、
「あの公園で子どもがうるさくしていると、警察に通報される」
という話を聞いた。

誰か一人の思い込みとかではなく、複数筋からの情報だ。保育園の子たちもそこの公園には行かないらしい。

これはやや極端な例だとしても、ボール遊び禁止とか、あれをやるなこれをやるなと、公園で子どもたちがのびのび遊べなくなっている状況はしばしば見かける。

これについては最近よく問題視されていて、この件だけでも深掘りするとかなり長くなりそうなのでざっくり書くけれど、ちょっとした近隣同士の問題を、当事者間での解決ができなくなったこともこうした禁止事項を増やす原因になっていると思う。

私が子どもの頃にも、子どもが騒ぐのが気に入らない「うるさいオヤジ」は近所にいた。
でも、そのオヤジは直接子どもに怒ってくるので、子どもたちも、そのオヤジを怒らせないように気をつけようみたいな、適当なバランスで成り立っていた。

今、マンション内で子どもが騒ぐことに文句を言ってくる人が出ると、管理人さんから全体向けに張り紙がされたり、マンション内の子供会でトラブル防止のために子どもを騒がせないようにしようと親同士のLINEグループで相互に釘刺しが行われる。

こうなると、他人に迷惑をかけないようにと言いたくなくても言わざるを得ない状況が生まれてしまう。
子どもが迷惑かけないようにと、家でも外でもいつも感じさせられるのは、一人の親としてずっと息苦しく感じている。

そしてテレビゲームへ

子どもがキャーキャー騒いではしゃぐのは、確かにうるさい。
勘弁してくれと思うこともある。だけど、はしゃいだり危なそうなことをすることは、子どもにとっては自然な姿だ。

でも、少子化が進み、子どもの数が相対的に少なくなり、大人が子どもと接触する機会も減る。年長者の声はより大きくなり、子どもも親もその声に勝てない。
社会では、声の大きいものが勝つ。

園では、子どもにほんの些細な怪我でもすると、めちゃくちゃ謝られる。
いやいや、子どもはこれくらいの怪我するでしょと思うけど、もしかしたらクレーマー対策かもしれない。

小学校に上がるくらいまでの時期、親か先生かにずっとウォッチされる中で遊ぶから、ちょっとでも危ないこと、迷惑になりそうなことをしようとすると、止められる。

そうして全ての危険を排除し、子どもが危なくないように大人に迷惑をかけないようにと、子どもたちは育てられる。

たくさんの習い事も、親は当然良かれと思って入れているのだけれど、子どもたちから余白の時間を奪う。

習い事や塾は、子どもの教育のためというのはもちろんあるけれど、自分一人で子どもを見続けることの疲れからひととき解放されるため、あるいは親の目の離れた場所でも子どもが安全に過ごせるようにとの目的で入れられる場合もある。

園、学校、習い事、塾、与えられた枠の中で、きれいに過ごす毎日。
余白は少なく、自由に遊びを探す時間も、誰かと遊んで話し合ったり喧嘩したりといった経験も、今の子どもたちには圧倒的に少ない。

結果として、遊びの探し方を知らない子どもたちは、暇な時間には迷惑がかからないように、安全に遊べて楽しいゲームやYoutubeをする。

楽しむように作られたゲーム。
一生懸命やるように仕立てられた習い事。
オーガナイズされた園、学校。
誰かにおもてなしされる空間の中で、今の子どもたちは育つ。

コロナの長いステイホームで、初めてたくさんの空白の時間を手に入れた子どもたちも多いと思う。
在宅ワークの家庭でも、仕事があるからそんなにずっと子どもを構ってもいられないので、子どもたちはある意味では初めて、放ったらかされた。

この時間の中で、テレビを見る時間が増えるばかりという話はしばしば聞いたけれど、一方できょうだい同士で楽しく遊べるようになったとか、喧嘩を自分たちで解決できるようになったという声も聞いた。
うちの子どもたちも、以前よりはずっと長時間、独力で楽しめるようになった。

良い意味で放ったらかされること

私が子どもの頃、家のすぐ近くに造園屋があった。
そこはいわば小さな森で、秘密基地を作ったり、草木染めをしたり、落とし穴掘ったり、近所の子どもたちと色々な遊びをそこでしていた。

隣家のブロック塀を登って忍者ごっこしたり、坂道をチャリで猛スピードで下って競争したり、砂利道のところで派手に転んで膿むほど膝を擦りむいたり。
親も近所の人も、誰もそういうことを止めなかった。

良い意味で、放ったらかされることの良さが、そこにはあった。

でも、今は同じ実家の近くでも、それができるかと言ったら、できない。
造園屋の小さな森は駐車場になってしまったし、家の前の坂道は車の通行量が増えたし、近所には子どもたちがほとんどおらず、今そこに住んだとしても、一緒に遊ぶ仲間は近所にいない。

子どもの安全を願うのは、当然のことだと思う。
知識やスキルを得て欲しいと願うことも、また当然だと思う。

だけど、それが子どもたちから失敗する権利と、自由に考える時間を奪ってはいないだろうか。

ここまで長々と書いてきたように、この状況を作ってきた背景は複雑で(これでもある程度割愛した)、何が悪いと単純に断じて解決することはできない。親の努力ですべてをどうにかできる問題ではない。
これは、豊さを享受した私たちの、次の課題なのだろう。

リスクと失敗を許容するために

子ども達の自由に遊べる場として、「”冒険遊び場” プレイパーク」という活動が全国に広がっており、子どもたちはそこではこんなふうに遊んでいる。

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写真引用: 特定非営利活動法人 日本冒険遊び場づくり協会

木登りしたり、泥んこになったり。
特に都市部では難しくなった遊びが、ここではできる。
「危ない」とか「汚れるからダメ」「迷惑になるから」なんて言葉は、ここでは言わなくていい。

日本で初めてプレイパークを始めた「プレーパークせたがや」によると、この場は以下のようなポリシーで運営されている。

プレーパークは、高い所からの飛び降りや木登りなど、リスクをはらんだ遊びに挑戦することもできる、自由な遊び場を目指しています。 子どもの遊びの多くは、危ないものです。 危ないからこそ面白いし、その挑戦が成長につながります。 しかし今、多くの公園や遊び場で、ケガの責任追及や苦情によって、子どもたちが「やってみたい」と思う遊びが禁止に追い込まれています。 プレーパークでは、地域住民が世田谷区と協力して運営し、保護者の方や近隣の方々と、子どもが遊ぶことの大切さを共に話し合うことで、自由な遊び場を守っています。

また、「森のようちえん」というのも、自然の中での子どもの主体性を重視していて、特にここ10年で全国的に増えてきている。

これらの取り組みは、子どもの自由と安全とを両立させるための、良い事例だと思う。

とはいえ、誰もがすぐにこうした環境にアクセスできる状況は、今はない。
うちも、プレイパークは行けなくはないけれど、距離や実施スケジュールを考えると、行けてもよくて数ヶ月に一回だ。
森のようちえんも興味はあったけれど、遠くて諦めた。

そんな都会に住む私が、子どもが自分で考えて遊べるようになるよう、今すぐできること。

子どもを接待しすぎないこと。
「危ない」とすぐに言わないこと。
「子どもは思い通りにならない」という、当たり前のことを受け入れられる大人であること。

それが、私ができる小さな小さな一歩。

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プレイパークと森のようちえんに興味を持ったら、コドモトのこちらの記事もどうぞ。


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