見出し画像

ケアとサポート、アドボカシーとエンパワメント

発達障がい診療って何するの(3)

発達障がいの診療の各論に入る前に、私の診療におけるスタンスみたいなものをまとめてみました。対話を重視した診療スタイルであることが分かっていただけるかと思います。

対話を続けるなかでともに成長することをめざす 

医師も支援者も、それぞれの専門性や持ち味を活かしながら関わるのが一番よく診療や支援にはいろんな形があるでしょう。ただ踏まえておくべき原則みたいなものはあるのではないかと思います。

 大原則として医師の守るべき”ヒポクラテスの誓い”でもいわれている「まず、害するなかれ」を忘れてはいけません。 

 患者、クライエントを故意または専門的な能力不足で害することはもちろん、無意識に依存させたり、依存したり、自分の満足のために相手を利用する事がないようにしなければなりません。逆に言えば患者はそういう医師や支援者を見抜き離れる必要があります。
 
 その原則を守りながら専門性に基づく情報的支援や心理的支援、必要な手助けはタイムリーにおこなっていきます。それに加え、長く付き合い続けること、対話をつづけるということを目標にします。対話さえ続けていれば自分も相手も双方に変化がおき、ともに成長しているという感じに必ずなるでしょう。

 どんな相手であっても付き合い続けるためには、相手のいいところをみて、面白がり、驚きをもって関わることが大切です。私自身、来てくださる方と話ができるのを本当に楽しみにまっています。

 また人が成長する姿を目の当たりにすることそれ自体も、関わる人にとってエネルギーになりモチベーションになります。

 診療がなんとなく世間話のような雰囲気になれば診療の終結がみえてきます。そうなって「また何かあればいつでもどうぞ」と別れ、できたら忘れてもらうのが一番いいです。

ケアとサポート、アドボカシーとエンパワメント

 親子それぞれにサポートはしますが、たいていの場合は弱い立場の子どもが楽に楽しく暮らせるようになるようにケアし、サポートし、さらに権利を守れるように動き、勇気づけをし、必要なスキルを付与していきます。専門用語でいえば、アドボカシーとエンパワメントを行ういうことです。

 親にも子どもに興味をもってもらい上手く関わってもらいたいとき、あるいは子どもに依存せずに離れていってもらいたい時期がありますが、親の余裕や能力も様々なので親に過大な期待はしません。
親を支援するのは結果として子どもが楽になるためです。

 心理的支援、情報的支援、実際的支援の何が必要なのかを考えながら、親子それぞれに具体的な手立てや選択肢を示して暮らしが楽になるようにサポートします。

 親も「私のケアは誰がしてくれるの?」という感じになるときもあります。親もそのまた親との関係などで課題をかかえ成長途中なのでしょう。そういうときは親のケアとサポート、アドボカシーとエンパワメントも必要です。ただ、対話さえ成り立つところまでいければ子どもも親も勝手に育っていくでしょう。

頑張っていない人なんていない

「まず害をなすなかれ」ということにもつながるのですが、どういう「まなざし」で接するかということが非常に大事だとおもいます。
誰であれ「頑張っていない人なんていない」と考えます。これは子どもにとってもそうですし、親もそうです。支援者もそうです。自分もそうです。医療者が自分が見えている部分だけで、一方的にジャッジメントをしないということです。自分には絶対に見えていない部分はあるはずですので、まず本人の語りを聴きます。

 まだ上手く語れない人は言葉を一緒に探します。言葉が難しい人は、絵をかいたり、共同作業の中でゆっくりと感じます。苦労の歴史に思いを馳せます。

 次に本人の体験を、周囲の人たち、特に親と共有することを試みます。
できたら本人に語ってもらいたいところですが、力関係が合ったりする場では、ヒエラルキーを排したオープンでフラットな場をつくることに専念します。フィンランドの精神医療でうまれたオープンダイアローグの考え方ですね。通訳をすることもありますが、察して代弁はしません。

 知識や能力、余裕がないことは罪ではありません。そこに悪意を感じてはいけません。その人にあわせて、ちょっとだけ、それならやってみようかなと思えることを提案して、次の約束につなぎます。
つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?