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国宝・羽黒山五重塔ってどんな建物なの?②~建築編~

 今年2023年5月上旬~2025年春頃にかけて屋根の改修工事が行われる、国宝・羽黒山五重塔。羽黒山の参拝・有名観光地の一つでもある羽黒山五重塔は、そもそもどんな建物なのでしょうか。

五重塔の屋根:杮葺きとは

 羽黒山五重塔の屋根は杮葺き(こけらぶき)です。杮葺きとは、木の薄板(木羽)を幾重にも重ねる葺き方です。羽黒山五重塔では銅板が入っています(注1)。また、木羽の幅は大きくても一尺以内(一尺は約30~33cm)といわれています。
 羽黒山五重塔の現在の塔は室町時代に建てられたもので、同時期に建立された塔は全国に9つありますが、杮葺きの屋根は羽黒山五重塔のみです。なぜ近年も改修が行われているのに瓦屋根ではないのかというと、寒さで凍害があったり、降雪による雪の重みでずり落ちてしまう可能性があるからです。

塔を守るための除雪作業風景

 杮は木を削った屑という意味で、柿(かき)とは関係がないといわれています。新築劇場の初興行を「こけら落とし」と言いますが、その「こけら」です(漢字をよく見ると杮(こけら)と柿(かき)は市の真ん中の縦線部分がつながっている・つながっていないの違いがありますので、二つは別の漢字です)。杮葺きの屋根は羽黒山五重塔の場合杉板ですので、柿(かき)の木でできているわけではありません。

小野道風の扁額

 羽黒山五重塔の初重の四方の扉上には小野道風(おののとうふう/みちかぜ)(注2)書と伝えられる扁額がかけられていました(風化の可能性があるため現在は出羽三山歴史博物館に保管されてます)。南には「応身(人々に応じてこの世に現れた仏の身体)」、東には「法身(永遠不滅の真理で仏の本身)」、西には「報身(菩薩であったときに願を立てて修行を積んだ報いとして得た仏身)」、北には「化身(応身と同意)」と書かれた額が揚げられています。
 前回の記事でも方角について言及しましたが、東に「法身」があることから、東という方角は羽黒山五重塔の仏教的な思想において最重要視されていたようです。

強固に固定しないことによる耐震構造

 五重塔には金属の釘やボルトなどは一切使われていません(注1)。金属の留め具を使って強固に固定しない理由として、木の経年変化によるひずみ・吸湿・乾燥による寸法の狂い、大きな外圧(例えば地震や台風など)を木同士でうまく吸収するためだといわれています。はじめからそのような経年変化や自然災害がある中も倒壊しないように想定して作られたように感じられますね。
 五重塔という建築物の大きな特徴の一つである、中央に一本通っている心柱(しんばしら)は、初重の天井上から五重まで突き抜けており、塔内部の構造と心柱は接していません。
 内部の構造と心柱が接していないこの構造は羽黒山五重塔だけでなく全国の五重塔にも言えることです。このことにより各層も強固に固定されていませんから、強い揺れがあった場合、各層が独自に動きます。これは現代の高層ビルにおける耐震設計と同じ働きです。揺れがあった場合、もちろん心柱も五重塔の全体とは違う独自の動き方をしますから、それがうまく揺れを吸収しているようです。そのため何百年も倒壊せずに残っているのですね。この心柱の構造は東京スカイツリーにも利用されています。

羽黒山五重塔の建築と美

 羽黒山五重塔の高さは約29mで、三間五層(さんけんごそう、一間は六尺)の素木(しらき)造りです。材木は主に杉が使われていますが、初重の柱など一部欅や檜が使われています。
 また、羽黒山五重塔の屋根の反りが美しいと言われていますが、なぜ反っているのかというと、柱や壁を風雪から守るためだといわれています。そして同様の理由で軒も深く作られています。
 塔は古代のもののような基壇は築かず、初重に縁を巡らせています。他の五重塔の構造とその創建時期の建築を比較すると相輪は短めです。相輪の九輪の上の水煙(すいえん)と呼ばれる装飾の上が、多くは竜車(りゅうしゃ)という装飾であるため、羽黒山五重塔では竜車ではなく受花(うけばな)という装飾になっていることが珍しいようです(注3)。

 古代以来の和様の塔で、装飾を全くつけない伝統的な手法による洗練されたデザインで、彩色をしないその姿が羽黒山の静寂に包まれた自然と調和しています。

夏の五重塔

今回の改修工事

 羽黒山五重塔の屋根の杮葺きの寿命は20~25年と言われています。そのため近年では約20年に一度屋根の葺き替え工事を行い、それが今年令和5年5月下旬から令和7年春頃までとなります。前述の通り、杮葺きは薄い木の板を幾重にも重ねていく葺き方になるため、屋根の葺き替えはかなり時間を要します。そのため長期の工事期間となっています。
 いでは文化記念館では常設で五重塔の屋根のサンプルや五重塔の設計図、五重塔の組み物などの展示を行っています。工事期間に入ると羽黒山五重塔の姿は足場や幕に覆われて見ることができなくなります。ぜひご来館いただき、五重塔の屋根の構造はどうなっているのか、内部に使われている組み物はどんなものがあるのかなどを知る機会となれば幸いです。

脚注・参考文献

脚注
(注1) 過去に羽黒山五重塔の屋根の改修を手がけた芳賀亀雄さんの平成10年の談話によると、文化庁より「銅の緑青が出る事によって木が腐らない」というすすめのもと、昭和30年に銅板を入れたとのこと。同年、五重塔の改修には竹釘を使っていたことも語られている。

(注2) 小野道風(おののとうふう/みちかぜ):平安時代前・中期の貴族で能書家。参議・小野篁(おののたかむら)の孫。中国の書の模倣から脱して和様書道の礎を築き、その後の日本書道に大きな影響を与えている。また、藤原佐理(ふじわらのさり)と藤原行成(ふじわらのゆきなり)と共に「三跡」(三蹟)と評されている。現在、道風は柳と蛙の逸話から人物絵として花札の光札にもよく描かれている。

(注3) 相輪は慶長30年(江戸時代)に改鋳されていて、創建当時と変わらない様相なのかはわかっていない。

参考文献
・『国宝の旅』,講談社 編,2001
・『国宝五重塔―その意匠に見る日本美―』,小田原敏之,2013
・『国宝への旅6』,日本放送協会 編,1987
・『杮葺き』,芳賀亀雄 談, いでは文化記念館 編,1998