短期研修プログラム「表現/社会/わたしをめぐる冒険」|レポート②匿名参加者さん
上田という「場」と芸術の関わり、そこから見える芸術の価値について。
1.研修に参加したこと
今回、この研修に参加したのは「芸術」についてちょっと立ち止まって考えてみたかったからです(私の場合は特に「演劇」ということになります)。経済的な基盤が脆弱なため、「金」が支配しがちなこの分野において、いったんそこから離れて芸術・演劇の価値について多角的に見つめなおしたいと思っていたのです。ある種デトックスと言えるかもしれません。「金」が毒というわけではないのですが……。興行収入、助成金、寄付金、スポンサー、そして様々なコストカット(時に搾取)などなど「金」と芸術は切っても切れません。だから、いったん切って考える時間が欲しいなと思って参加したのです。人によっては形而上学的な話で実学でもなんでもないと思うでしょう。私はこれからある種の人にとって全く役に立たないことを書きたいと思います。ところで、これから私が書くことはこの3日間の研修で学んだり考えたりした内容をまとめたもので、先行研究などは踏まえていない場合もあるかと思います。その点はご容赦ください。
2.芸術を評価すること
現代に限らず歴史を紐解けば、芸術はその持続や成り立ちにお金が必要だったり、社会に「必要」とジャッジされるにあたり、何かしらの基準・評価というものが必要になります。興行収入、動員数、●●賞受賞、△△の役にたつ……そしてこういったものを時に数値化もします。前提としてこれはとても重要なことです。ただ、これはその芸術の持つ価値のごく一面だと私は感じています。私は今回、芸術Aがあった時その評価とは、観測者Bに与えた「影響」だと考えました。「影響」全般が包括的に価値・評価であり、影響”力”など数値化・見える化してしまうと途端に意味が減衰してしまいます。「影響」というものは時に感想として言葉にされることもありますし、何かしらの行動(号泣・笑い・スタオベ・寄附…etc)に現れることもあります。しかし「影響」すべてを確実に捕捉することは不可能です。プラグマティックなものではないので、このような包括的かつ曖昧な概念は無視されがちですが、アートマネジメントに関わる我々はほとんどの場合価値の具体性(数字や言葉)を求める中で、削ぎ落した価値の一部しか受け取っていないのだということに自覚的になるべきだと思いました。
「影響」全般は見えにくいものですが、当然存在するものです。研修を受けて様々な事例や活動を知るにつれて、多くのシーンで芸術の価値が発揮されていると感じることがありました。数値化ももちろん、言語化も難しいのですが、何とかまとめてみたいと思います。
3.犀の角と上田という「場」のこと
「場」の力と芸術というのは大きく関連があると思うのですが、具体的に考えることはあまりありませんでした。通常、地域社会(自治会や商店街)と劇場の連携というと地域社会から劇場への動員協力や寄附協力が多いように思います。逆に劇場から地域社会へは芸術を提供します。さて、上田という「場」と犀の角にフォーカスします。「祭り」などは古来からそうですが、コミュニティの結束やアイデンティティの形成に大きな影響を与えます。現代の匿名化が進んだ社会においても同様です(地元愛という形で発露されたりします)。しかし、巨大化した地域社会にとって年に1、2回のお祭りだけでは何とも存在感がありません。今回学んだ事例を振り返ると、映画・美術館・スポーツ施設そして劇場など「場」と密着した施設が提供する「芸術」がコミュニティの結束を強くしている面があると思いました(もちろん祭りも芸術の一種です)。事実上、社会の中のあらゆる面において人間は単独では生きられない動物であるため、このコミュニティの結束という社会インフラは生活のクオリティに直結します。実際に犀の角では”のきした”などの活動を通し、芸術と生活とコミュニティを一体とした取り組みを地域に提供しているように思えました。「演目」を提供するだけではないという所が、いわゆる劇場という施設を超えた存在感を地域に生み出していると感じました。「やどかりハウス」など宿泊施設ならではの支援にも取り組んでおり、劇場としてもゲストハウスとしても“居場所”を提供する取り組みがあることを学びました。メインストリームにいる市民からマージナルマンにいたるまで幅広い”潜在顧客”がいることが犀の角が特徴的でユニークな施設である理由なのだと思います。
さて上述の数値化できない芸術の「影響」に含みますが、この”地域を結束させる力”も数値化が難しいとはいえ、はっきり存在することが分かります。計測できないからといって無視できるわけではありません。犀の角が提供する芸術(ないしサービス全般)に付加価値(数値化はできない)が生まれる結果となっているようでした。「演目」ではなく「劇場」に付加価値があるという事は社会的にも経済的にも非常に大きなアドバンテージを持つことになります。
一方で上田という土壌について考えます。結論から言うと、上田市という場所はそもそも文化的な素地が豊かであるようでした。下記地図を見るに、まず「市(コミュニティ)の象徴」と「大型商業施設」と「大型文化施設(劇場&美術館)」がかなり近接しています。車で5分くらいの圏内です。その結果市民や観光客など人が集まるスポットが一極集中する構造になります。例えば、商業施設を利用する市民は必然的に自らのコミュニティの象徴や大きな劇場の存在に接することになります。観光客目線で言えば逆もまた然りです。こうして自らのコミュニティが持つ文化財に自覚的な人々が多くなります。もしかすると上田市の文化に対し「興味が無いし、知らない」という市民は極めて稀なのではないかと思いました。とはいえサントミューゼが出来たのは2014年です。それ以前から文化を下支えしていた存在があります。それが本屋です。これも下記地図を見て頂けると分かるのですが、明らかに駅周辺の本屋が多くあります。15万人規模の本屋ではかなり多いのではないでしょうか(分析しきれてません)。参考記事(https://www.tokyo-np.co.jp/article/245933)では5万人規模の自治体では本屋が商売として成り立たないという内容もありました。また、同じ人口規模の我孫子市(私の故郷です)で試しに調べたところ悲惨な結果となりました。これは偶然かもですが、参考まで(長野県と千葉県の県単位で比較すると大きな差はありますhttps://todo-ran.com/t/kiji/13225)。1917年より市の中心に上田映劇(当時は上田劇場)があり、現在まで存続することで文化的なモニュメント化していることも影響がある気がします。また、上田駅周辺は個人商店が多く、あまりチェーン店はありません。例えばマクドナルドはこの地図中にはありません。もともと駅近にあったようですが撤退して、今は駅から徒歩30分の国道沿いにあります。チェーン店と違い大資本のバックグラウンドがない個人店が存在するためには市民(消費者)との結束を強めなければいけません。言い換えれば市民をファンダム化する必要があるということです。その中で上述した芸術の「影響」の一部である”地域を結束させる力”がクリティカルな役割を果たします。ちなみに近隣の個人商店の多くで「AC長野パルセイロ」のポスターが貼ってありますがこれも同様の役割があると思います。逆説的ですが、2023年まで個人商店の多くが経営できているということが、地域の結束を物語っているとも言えます。城下町ということで街全体の歴史が深く区画整備もあまりされず、大きな国道18号も駅周辺の商業圏を避けて通っているため、個人商店の発展が今日まで続いてるのではないかと思いました。「芸術」が無意識下にも求められていて、浸透しやすい土地柄だなと感じます。
4.福祉を通した芸術のこと
福祉については輪をかけて素人で、芸術との関わりには驚くことばかりでした。講師やメンターの方はもちろん、同じ受講生の皆さんからも特に学ぶことが多かった分野です(その分掘り下げが甘くなったかもしれません)。まず、今までの私の中の文脈でこの福祉の中の「芸術」を鑑みた時、例えば福祉施設での芸術活動には一般的な意味での評価は問われません。助成金などをもらっていても、「価値の高い芸術」を生み出すための活動をしているわけではありません。もちろん福祉施設としての別の尺度でもって何かしらの評価を受け、助成を受けているので、福祉の側面から見ればやるかたなしと思うことも多々あると思います。ですが芸術の側面から福祉における芸術活動を見たとき、より自由で、価値は存在するが、価値の判断は必要としない活動が展開されていたように思いました。これが“素晴らしい芸術”かというと、どうでしょうか?有名な美術館に飾られたり、オークションで競り落とされたりはしないかもしれません。ただ重要なことは、芸術活動それ単体にフォーカスした時そういう評価自体が不要で本質から外れたものであるということです(芸術教育ですら評価からは逃れ得ません)。これは上述した通り、「金」と切っても切れない関係の芸術から「金」要素を引っぺがして見たときの感想です。アートマネジメントに携わる人にとってはナイーブな考えに思えますが、研修を受けた経緯を鑑みるに私個人にとっては重要な学びでした。
さらに講師の方のお話しを伺ったり、実際にリベルテ(NPO法人リベルテ)の運営する施設を歩いてみたりすると福祉施設と社会が実は密接に繋がっているというような印象を受けました。なんとなく福祉施設とは社会から隔離された場所なのではと勝手に思っていた自分に気がつきました。利用者は生活の一部として施設に来るため当たり前なのですが、不勉強な私にとっては“置き去りにされた場所”のようなイメージがあったのです。しかしながら訪れた施設では利用者の生活の一部に芸術活動が組み込まれていました。そのうえで作品を販売・発表したり、あるいはパレードするなど何かしらオープンにすることで社会と繋がるという芸術の「影響」の一部がこのような形でも発揮されているのです。このように利用者が安心できる生活と地域社会とが芸術活動を媒介にすることで結ばれて、生活(日々)の安寧を後押しする福祉が成立しているのだと感じました。芸術が万能薬で唯一解、などということはありません。しかし、このような活動をコーディネートする人がより増え、福祉全般に波及すれば(私含め)将来的に人生の幸福度の底上げになるのではないかと思いました。人生において福祉にタッチしないで生活を続けるということはありえないからです。他方、苦労話も多く伺ったため、容易ではない部分も多いなと思いました(芸術を用いるとか以前に福祉では容易でないことが多すぎます。)。
福祉のあり方というと私の手に余る内容ではあるのですが、福祉の中の芸術活動を見つめると、かえってアートマネジメントの中で取りこぼしがちなヒントが多々隠れているように思いました。
5.おわりに
芸術の価値判断について、なんとか経済的な物差しから逃げたいなと思って参加しました。そういったモヤモヤなのですが、その芸術が与えた「影響」こそが価値であり、物差しを用意した時点で本質を見誤るのだろうなとぼんやりと答えみたいなものが見えました。しかしこの答えみたいなものは実生活において何かの役に立つでしょうか?何か解決するでしょうか?全く分かりません。「金」を得る役には立たないこと請け合いですが、私の人生は充実するでしょう。
芸術の「影響」として色々な感情や行動が引き起こされます。これが価値なわけですが、その効果の一つとして人と人、人と社会が繋がっていくというマクロな効果があることを上田市という「場」を通して気が付くことができました。芸術の効果とは芸術Aと観測者Bのミクロな関係にとどまらないのだということを肌で感じることができたのが面白かったです。
あえて今回ナイーブに芸術を見つめなおして、普段自分がどれだけプラグマティックな尺度に支配されているかに気が付きました。たまにこういう機会がないと生きてく中で疲弊してしまうなと思いました。これからも舞台芸術に携わっていく中で現実と向き合い続けながら運営をしていくのだと思いますが、自分の中の根幹、思考のインナーマッスル的な部分は大事に鍛え続けて取り組んでいきたいと思います。現実に追われすぎると大事なものを投げ捨ててしまいがちなので。
文責:匿名参加者
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