新聞記者

『新聞記者』ある意味ホラー、究極の。

映画『新聞記者』公開3日目の日曜日。有楽町の映画館の初回上映(10時半~)。客席はほぼ埋まっているが想像以上に年齢層が高い。日曜の朝だから、そう自分に言い聞かせた。希望を持ちたいから。この国に。私はまだ。

序盤から涙が止まらなかった。怒り、怖さ、焦り、もう何で涙が出るのかわからない。映画を見ているのにいろんな映像が頭をよぎる。「ノーナレ」で見た、外国人技能実習生がシェルターに逃れ、残された実習生の一人が脳溢血で倒れたという現実。「クロ現+」で見た、語学を学びいつかは日本の大学で学ぼうと留学してきた外国人学生たちが、安い労働力として搾取されているという現実。その中で「日本は人権を尊重される国だと聞いてきたのに、私たちに人権はない。家畜同然の扱い」というようなコメントを聞いて、申し訳ない気持ちになったのだが、今日は、「何らかの方法で安全を確保し借金の不当性が明らかになって日本という国を出て行かれる彼らの方がまだ良いのかもしれない」と思ってしまった。日本に暮らす私たちには、逃げ場がないのかもしれないと。

希望や志を持って中央省庁で働くことを「勝ち取った」人たちのどれくらいが今、生き生きと仕事ができているのだろうか。胸を張って紹介できる記事を書きたいと新聞記者になった人たちのどれくらいが今、署名記事を進んで書きたいと思えているだろうか。家族にも言いたくない、家族の方も「家族には知られたくない」と思わされるような仕事ばかりしているおとなを見て、子どもたちはおとなになることや働くことをたのしみに思えるだろうか。

ほんとうはこんな仕事したくない、ほんとうはこんな記事書きたくない、でも、自分には家族がいる、お世話になった上司は裏切れない、そんな風にあきらめることを重ねる人たちが多く暮らす社会、それが日本、なのだろうか。いくつもの呪縛のある社会。

でもその呪縛、破ったところで大したことないと思う。仕事なんて辞めたって生きていけるし、子どもの養育費が心配?広く見渡せばそんなにお金をかけずに気に入った子育てができる地域はある。重要なのは、今いる自分の場所だけを見ないでいろいろな選択肢が自分にはあるんだってことに気づくこと大きな力に「仕方ない」と押されて生きるのではなく、自分が気持ち良い!と思える道で生きていく、それができる社会を一緒につくっていく、そういう人を増やしたい。6月29日に終了した「サタデージャーナル」の最後に上田さんも言っていたそういう社会をつくるのは私たち一人ひとりだって。

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