最高に面白い小説を書いた

物語の書き手は二つの世界を生きる事ができる。

一つはもちろん今、生きているこの世界。皆さんも生きているこの現実世界。

そして、もう一つの世界。
それは、自分で作り出した物語の世界。

分かりにくいと思うので、具体的に説明しよう。

[俺の名前はハギワラジュンタ。物書きさ。]

こう、一文書いただけで物語の世界に自分を登場させる事ができる。これで書き手は物語の世界で生きる事ができるようになるのだ。アバターみたいな感じ。

そして物語の世界は自由で何でもありだ。その世界に登場する人物の行動にも制約はない。
特に小説の場合、文字でそう書くだけでそれがその世界の現実となる。
例えばこんな感じ。

[俺は数歩助走を取ると、思いっきり地面に手をついてハンドスプリングをやって見せた。もちろん、運動神経抜群の俺にとってはこのくらい朝飯前だ]

実際の俺は、ハンドスプリングどころか三転倒立だってできない。でも、物語の書き手はこうして文字を書くだけで、物語の世界にもう一人の自分(この場合は運動神経抜群の自分)を作る事ができる。

つまりはただの作り話じゃん。

そう、言いたくなる気持ちは分かる。

しかし、こちらの現実世界から見ればただの作り話であっても、物語の世界ではれっきとした現実なのだ。
どんな事でも自由自在。大変なトレーニングもコツも必要ない。
物語の中に現実を作る為に必要なのは、ただ文字だけ。

[俺は原稿の見直しを終え、そっと紙の束を机に置いた。俺は今ここに、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を書き終えたのだ。]

さて、この度俺はなんと、物語の中で歴史上他に類を見ない程、最高に面白い小説を書き上げたのだ。
誰が何と言おうとこれは事実。

[俺は書きあがった小説を数々の出版社に送った。すると、すぐに全ての出版社から連絡がきた。どこも一億円以上の価格で原稿を買い取らせて欲しいと言う。当然だ。なんと言っても歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説なのだから]

歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説なのだから、どこの出版社も「いくらかかってもいいから、自分のところから出版したい」と思うのは当然だ。いくらかかっても、元は取れる。

[俺はその中の一つからこの小説を出版した。

すると、当然小説はとんでもなく売れた。日本だけで二億部売れたし、世界中の言語に訳され、世界中のホテルに置かれるようになった。

また、俺はこの小説によって史上初の芥川賞と直木賞とノーベル文学賞の同時受賞を果たした。

当然だ。何と言っても、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白いのだから。]

俺はなんだか少し調子に乗って来たようだ。しかし、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を書いたのら、少しくらい調子に乗っても許されよう。

しかし、そこまで言われると、その小説の中身を読んでみたいな。

その小説の内容をこちらの世界に持ってくることができれば、俺はそれを出版して芥川賞と直木賞とノーベル文学賞が取れる。

それに、皆さんも読んでみたいでしょ?歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説。

そうとなれば、早速、向こうの世界とコンタクトを取ってみよう。

「おーい。その小説は一体どんな内容なんだい?」

[俺は空を見上げた。何か、天から声がしたような気がしたからだ]

「だから、お前だよ。ハギワラジュンタ。お前に聞いているんだ。」

[声がまた聞こえた。今度ははっきりと俺の名前まで言いやがる。仕方がないので、返事くらいはしてやろう。

「おい、おい。俺は芥川賞と直木賞とノーベル文学賞を同時に取った、大先生様だぞ。そんな俺に向かって何か用があるってのか?」

俺は天の声に答えてやった]

「うるせえな。天狗になってんじゃねえよ。まあ、お前は俺だから気持ちは分からなくはないけどよ」

[「お前は俺?ちょっと、よく分からねえな。まあいいや。で、俺に何の用だよ」]

「そうだ、俺はお前に用があるんだった。お前、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を書いたらしいな。ちょっと、その内容を教えてくれ」

[「なるほど、確かに俺は歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を書いた。実際その本もここにある。」

俺は天に向かって歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を掲げた。]

「ほう、それが歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説か。よし、じゃあちょっと借りるぜ」

俺は物語の世界に手を伸ばす。

[天から大きな手が伸びてきた。俺は慌てて歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を懐へ隠した。

「いや、ちょっと待て。見た所、お前はこの世界の奴じゃないな。と言う事は、お前は今からこの小説をそちら側の世界に持っていこうとしている訳だ。だが、もしそうなったら、この世界からその小説は消滅してしまうなんて事にはならないだろうな!」

俺は天に向かって叫んだ。俺はこの小説のお蔭で芥川賞と直木賞とノーベル文学賞を同時受賞し、何兆円という印税収入を得て、港区のタワマンに住み、もう少しで女優と結婚できるかも知れないというところまで来ているというのに、今この世界からこの小説が消えたらとても困る事になる]

何だか、物語の世界の俺のスペックが上がっているような気もするけど、そんな事は知った事か。

所詮、お前は俺が創造した物語の世界の俺に過ぎない。悪いが、芥川賞と直木賞とノーベル文学賞を同時受賞し、何兆円という印税収入を得て、港区のタワマンに住んで、女優と結婚するのは、こっちの世界の俺だ!

それに、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説をこの世界の皆さんに見て貰わない訳にいかないじゃないか。

俺は構わず、物語の世界に手を突っ込み、俺からその小説を奪い取った。

「つべこべ言わず、俺にその小説を差し出せ!」

[天から伸びた手は俺の懐へと延びる。嗚呼、もうダメだ。歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説が向こう側の世界へと持ち去られて行く。

「嗚呼、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説!!!行かないでくれ…!」

俺の叫びも虚しく、大きな手は空の彼方へと消えた。

もう、この世界から歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説は永遠に失われた。

もう、俺はその内容を思い出す事すらできない。]

フン、ざまあ見やがれ。所詮、俺の創造した俺に過ぎないのに調子に乗りやがって。

まあ、何はともあれ歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説が手に入った。

とりあえず中身を確認しよう。

俺はページをめくる。

「うわ!ナニコレ!本当に歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説じゃん!」

よし、これからこれを原稿っぽく書き出して出版社に送れば、一億円以上で買い取りたいというオファーが来るはずだ。

でも、皆さんも気になるでしょ?内容。

分かりますよ。その気持ち。安心してください。

折角、ここまでこの記事を読んだ下さった読者の皆さんに対して「出版してから買って下さい」なんて事は言いません。

ちゃんと、今から歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説の中身をここに公開します。見たいでしょ?準備はいいですか?

〈「おーい。その小説は一体どんな内容なんだい?」〉

ちょっと待って。どこから声がするぞ。

「一体誰だ」

俺が周囲を警戒していると、天から大きな手が現れた。

「お、お前。ひょっとして、この世界の奴じゃないな」

俺は天に向かって叫んだ

〈「おお、よく分かったな。それなら、話は早い。その小説を俺に差し出せ!」〉

「ふざけんな。俺はこの小説で芥川賞と直木賞とノーベル文学賞を同時受賞し、何兆円という印税収入を得て、港区のタワマンに住んで、女優と結婚するんだ!それにな、ここまで記事を読んでくれた人たちに歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説の内容を教えられなかったら、申し訳が立たないだろ!」

〈「うるせえ、そんな事俺の知った事か!さっさとよこせ」〉

俺は歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を懐へと隠した。しかし、天から伸びる大きな手が俺をがっちりつかむと、懐から小説を奪っていく。

「嗚呼、歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説!!!行かないでくれ…!」

俺の叫びも虚しく、大きな手は空の彼方へと。

はい、と言う訳でね、さっきまでここに歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説があった事は覚えているんですけど、その内容はもう思い出せないんですよね。

はい、もうホント完全に思い出せないです。

いや…残念だな。皆さんにも歴史上他に類を見ないほど、最高に面白い小説を読んで頂きたかったんだけどな…。

え?ひょうし抜けしたって?

そんな事言わないでください。

だって、ひょうし(表紙)が抜けたら小説じゃない。

御跡がよろしいようで。

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