見出し画像

灘の下町ブレンド A面

市場の前を通る。喫茶店ダックの中を覗いて、手を振る。「○○くん、今日も一人?」私は小さくうなずく。小学生ながらに、「独り」の方が都合がよいことを知っていた。それは独占欲に近い感覚。
そんな、30年前の話。

私の生まれは、市場から北東に300mくらい行ったところ。
現在、この地区で「市場」と言うと水道筋(全般)をさすが、当時のこの地区の一部の人には和田市場(現・JR灘駅北側)が馴染み深くて、記憶と思い入れが深い。もうないけど。

まず、笑顔が「すぎる」おばちゃん、Tさん(うどん屋)にあいさつをする。
そして、独占欲を満たすための冒険が始まる。市場を西側(現在のミュージアムロード)から入って、東端まで行って、もう一度西側出口から出る、往復150mくらいのコース。常に「左側(北側)」を意識して通り抜けることが、とても大切だった。

(冒険1‐魚肉ソーセージ)
まず、果物屋Kさんは互いに意識しながらも、一旦スルー。もち屋I堂を過ぎて、お肉屋Kさんの前で立ち止まる。ショーケースの肉塊を無意味にじっくり眺める。頭上から、元気なおばちゃんの声が降ってくる。「今日もいるかぁ?」黙ってうなずく。「ほな、取っといてなぁ。」ショーケースの右上にある魚肉ソーセージの箱から2本取る。金具(留め具)部分を前歯に挟んで、くるくる回す。だんだん匂いと一緒に、ちょっとした「勝者」のような気持ちが溢れてくる。何に勝っとんか知らんけど…。ちなみに、もう一本は持ち帰る用。これは帰宅が遅くなってしまった時の「市場に行った」という、親向けのおまじないみたいなもの。

(冒険2‐だるまのおっちゃんと転写シール)
乾物屋Kさん辺りのお稲荷さんをチラ見して、魚屋Iさんと話す。別にいつもってわけじゃなくて、声を掛けられたらくらい。卵屋M商店を過ぎて、東端につく。そこで初めて右側(南側)のお店を意識する。広い空間に、棚とかじゃなくて、木箱に平積みされたお菓子がたくさん並んでいるお菓子屋Nさん。「だるま」みたいなおっちゃんが店の右角にいつも座っていて、あめちゃんとか、転写シール付きのチューイングキャンディーをくれる。1本まるまるはくれないけど、バラしたやつを1枚ずつ。タイミング次第で転写シール付きがもらえるから、もうドキドキが止まらない。

(冒険3-お稲荷さんと、おかん)
お菓子を手に入れると、そこで折り返すことが習慣(勝手に)となっていて、戻り(西向き)は、比較的さらっと通り過ぎる。左側(今度は南側)に並ぶ店は、金物、アラモノ、乾物、木炭など、当時の私には戦利品となりそうなものがなかった。そして、お稲荷さんをもう一度確認。神様というより、年末のガラガラポン(抽選)をやる場所という記憶で、この時は「独り」ではなくて、おかんがセットで居た。よく当たる抽選で、市場内で使える商品券がもはや「配られ」ていた。それを手に、お菓子屋Nさんでこの日だけは「いいお菓子」を正当にもらうことが楽しみだった。今思えば、おかんの買い物が、この魔法みたいな券に変わっとったんやなと思う。

(冒険4-みんなが、羽振りいいわけじゃない)
西の入口(出口)に突き当たる頃、一旦お互いにスルーしていた果物屋Kさんにサインを送る。ここは、攻めというより「待ち」の展開で、ちょっとすり寄っていって、おばあちゃんの目を見る。実際には、メガネを見ているだけで、雨でも晴れでも、屋内でも屋外でも、いつでも茶色いレンズの大きな丸眼鏡をつけているから、全く気持ちは読み取れない。
実は、同い年の同じ学校の女の子ん家のお店で、もらえたら「勝ち」やし、もらえなかったら「負け」。それがばれるのがちょっと嫌で、どっちでも「恥ずかしい」。勝ちの時は、斜め切りされたバナナ半分とか、みかんの半分とか。でも、成功率は低いお店だった。

(冒険5-最後は無敵になる)
やっと市場を出た。そこは、今のミュージアムロードでJRの灘駅を北に「登る」道に突き当たる。その道を横切ると、向かって左に酒屋のKさんがあって、右に米屋のM商店があった。米屋の軒先にパイプ椅子を出して、いつも、おじいちゃんが煙草を吸っている。声を掛けられる。いや、声を掛けてもらいに行く、が正解か。おじいちゃんのよくわからない(思い出せない)話を、しばらく聞くことがめちゃくちゃ大切で、聞けば聞くほど、おじいちゃんの調子が上向く。調子が上がり切ったところで、運が良ければ100円をくれる。成功したら、となりの酒屋Kの自販機でバヤリースオレンジを買って飲む。この時はのどを潤しながら、もはや「無敵」な気がしていた。一度、やり過ぎたことがあって、低学年のときに18:30を回っても「冒険」していた私を、おかんが探し回っていた。家に帰るとめちゃくちゃ怒られた。その時、「おかんが探しとんで」と声をかけてくれたのは、肉屋Kのおじちゃんとおばちゃんだった。

記憶の中の「市場」。
それは、私の中ではいつまでも和田市場であって、その中の人たちとの関わりが、自分の中の深い記憶となっている。

こどもを持つようになった今。市場を特別というより普通の日常の記憶として、こどもたちにも味わって欲しくて、水道筋の中、主に灘中央市場と灘中央筋商店街に良く通う。

でも、ちょっとだけ私の場合は特殊。なぜなら、私たちがコーヒーを焼きはじめた創業の地、そして、おとんの代までが生まれ育った場所。それが、冒頭の喫茶店ダックの場所なのだから。

灘の下町ブレンド。
それは、色んな香りが混ざり合った、記憶の中の「市場」の香り。どっしりと濃厚で、香ばしい苦味は、どこかしら喫茶店ダック味に似ている。

B面につづく

※このコーヒーの売上の一部を、摩耶山再生の会を通じて、摩耶でのイベントや坂バスなどに寄付致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?