見出し画像

とにかく「続けること」に重きを置いてみる②

昨日のつづき

では、どうすれば続けられるようになるのか?

ここで、自分では続けようという意識があまりないのに気づけば続いていることはないか?と考えてみた。

あった。この3つである。

・家事、育児 ・三年日記 ・推しの応援

まず、家事と育児は、私の中で、やらないという選択肢がない
気が乗らなくても、毎日掃除、洗濯、料理をするし、多少しんどくても、1歳次女の身の回りの世話や、7歳長女の習い事の送迎もする。
もちろんこれらのことは夫もやってくれるが、私は専業主婦で、しかも私がやった方が何かと都合が良いので、基本的には私がやる。
そこに、"続けられないからやめます"、という発想はないのである。(今のところ)

次に、三年日記は今年の元旦から書き始めたのだが、この日記帳がまたうまくできている。
1ページが縦に3つの枠で区切られていて、各々の枠の一番上に、年月日を書くようになっている。
そうすると、2021年3月18日と書くのと同時に、2つ目に2022年3月18日、3つ目に2023年3月18日と書くので、もしここで今日は面倒だからと一日休んで飛ばしてしまったら、2年目と3年目の3月18日に日記を書こうとした自分が、一年目の自分の行動や心の内がわからず残念だな…と思ってしまうかもしれない、ということが頭をよぎるのである。
昔から、マンガやドラマの中で、タイムカプセルから過去の日記が出てきて懐かしむというシーンに強い憧れを抱くような夢見る夢子ちゃんだった私には、残念がっている未来の自分を想像することは、わりと堪えるのである。

最後に、推しの応援であるが、これはもう、とにかくその人のことが好きだから、である。
その人も、その人のことを応援している自分も好きなので、新曲が出るたびに、新しい本が出るたびに、そしてライブがあるたびに、気持ちが高揚して色々と情報収集するし、毎週あるラジオも時間をつくって聴く。
あと、同じ人を応援している友達が近くにいることも大きいだろう。
推しの新しい情報が出るたびに、高揚した気持ちをすぐに共有できる人がいる、ということが、その推しを応援し続けられる理由にもなっていると思う。

以上のことを踏まえて、自分はどうすれば続けられるのか、ということを考えてみると、何ともシンプルな結論に落ち着いた。

①目標は最初から高く設定しない
②未来の自分の気持ちを想像する
③気持ちを共有できる仲間をつくる

①目標は最初から高く設定しない
実際にそれをやるのは、一部のカリスマではなく、あくまでも自分。
自分の裁量でできることを目標にして、自分の自分に対する信用を少しずつ積み上げていく。

②未来の自分の気持ちを想像する
それを続けていったとき、たとえば1ヶ月後、半年後、1年後の自分はどう思うのか。どういう気持ちの変化があるのか。
あるいは、続けなかったときに、1ヶ月後、半年後、1年後、どんな風に思うのかを想像する。

③気持ちを共有できる仲間をつくる
まず、好きなことをやるということが大前提で、それでもしんどくなってやめようかな、と思ったときに、やっぱりこの人との縁をなくしたくないから続けよう、と思える人をつくる。
何か面白いことがあったときに、あの人に読んでほしいから書こう、というのは、文章を書くうえでは侮れないほど強い原動力になると思う。


こうして書いてみると、どこかで聞いたことがあるようなことばかりではあるが、それが自分のフィルターを通っているかいないかで、自分の中での納得感が全然違う。

そんなわけで、これから私は、以上のようなことを頭に置きながら、noteへの投稿をとにかく「続けること」に重きを置いて、それを一番の目標にして、続けていこうと思う。

駄文、短文、未完成…そんな日もきっとあるだろうけれど、続けた先に何があるのか?1ヶ月後、半年後、1年後、自分はどんなことを思うのか?気持ちを共有できる仲間はできるのか?
そんなことに思いを馳せながら、楽しみながら、投稿していきたい。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?