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とにかく「続けること」に重きを置いてみる①

続けることが苦手だ。
長期間なにかを継続できたことがほぼない。

勉強にしても運動にしても、最初は鼻息荒く「よし、やるぞ!」とやる気に燃えているのだが、数日か、長くても数ヶ月経てば、そのやる気は最初の勢いを完全に失い、フワフワと宙を彷徨いはじめる。

そうなると「あれ?なんでこれ始めたんだっけ?」と夢から覚めたような気持ちになり、急速に興味をなくしてフェイドアウト…

これが大体の私の続けられないパターンである。

その度に少し落ち込み、少し自分を信じられなくなる。

チリも積もれば何とやらで、そんなことをウン十年繰り返していると、だんだんこんな発想になってくる。

"じゃあ最初から何も挑戦しなければいい"
"どうせすぐにやめてしまうんだから"

何かやりたいことを思いついても、ふとそんな言葉が頭をよぎるようになったのだ。

これはマズイ。仮にも私は人の親。
ふだんから、子どもたちには「自分の好きなことは一生懸命やりなさい」「ずっと続けてれば必ずできるようになるから」と言っているのに、親の自分がこんな体たらくでは、全くもって説得力がないではないか。

そんなわけで、私が続けられない理由と、続けるにはどうすれば良いかについて、ちょっと真剣に考えてみた。

まず、私が何度も挑戦しているのになかなか続けられないことの代表格に、英語学習とブログがある。

この2つに共通することは、始めるときのモチベーションと目標設定が異様に高いことだ。
なぜなら、始めようと思い立つきっかけが、だいたい、成功者と呼ばれる人への憧れだからだ。

その結果、英語学習であれば、最終的な目標は、ネイティブの人と流暢に会話でき、洋画をストレスなく字幕なしで観られること。
ブログであれば、そのジャンルでトップブロガーになること。

と、いうことになる。

そして無謀なことに、それらの目標を短期間で達成しようとしてしまうのである。

当然、そのために自分に課す毎日の行動目標は、それなりにハードなものになる。
毎日1時間じっくり英語を聴き、書き、シャドウィングする、とか、毎日同じ時間に内容の濃い役に立つ記事を投稿し続ける、とか。

日々の家事、育児、その他の雑多な用事をこなしながら、である。

きっと、それができる人もたくさんいるだろうけれど、ただでさえ面倒くさがりな自分には、そんなことは無理なのだ。

だけど、自分にはできないということを認めたくなかった。

「これぐらいできるはず!」
「これぐらいやらなければ意味がない!」
「あの人だってやってるんだから!」

自分とは置かれている環境も気質も違う成功者に憧れるあまり、身の丈に合わない高い目標を立てて、結局自分で自分を追い詰めてしまっていた。

その結果が、

"じゃあ最初から何も挑戦しなければいい"
"どうせすぐにやめてしまうんだから"

である。

これではあまりに自分が可哀想だ。

私が英語学習やブログを続けられなかった理由は、身の丈に合わない高すぎる目標を設定したことによって、自分の、自分に対する信用をどんどん落としていってしまったからだ。

では、どうすれば続けられるのか?

***

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