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東日本大震災への災害派遣を通じて得た知って欲しい教訓①

2011年3月11日、ただならぬ地震の揺れから全ては始まりました。

当時、私が勤務していた土地でも、強くて長い揺れが起こりました。

自衛隊の施設は老朽化した建物が多く、私の職場でも「建物が崩壊する」と直感的に感じるもので、直ちに私は「外に出ろ(避難しろ)」と部下達に命じたことを覚えています。

強くて長い揺れが収まり、施設の被害状況の確認を命じるとともに、テレビで情報収集を開始しました。

「おそらく、何処かで災害派遣がかかるはずだ。」

あの揺れには、そう確信できる恐ろしさがあったからです。

情報収集用のテレビを見ていると、海岸沿いの堤防から海水が溢れ出てくる映像が流れています。

海水が溢れ出る直前に、堤防の前を通り過ぎる車

海水の勢いは増すばかりで、通り過ぎていった車がどうなっていったのか、想像するのは容易でした。

この記事は、東日本大震災に災害派遣として出動した際に得た教訓についてお話ししていきます。

宮城県沿岸部への災害派遣命令

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「おそらく、何処かで災害派遣がかかるはずだ。」といった予感は残念なことに的中してしまいました。

未だかつて無い「未曾有の大震災」、テレビの映像を見ていた限りでは当然のことです。

私達は宮城県北部への沿岸部に災害派遣を命じられて出動していきました。

家族には「当分帰れない」と電話で連絡しての出発です。

家族も震災の津波の映像をテレビで見ていたものですから、「いずれ危険な任務に就くことがある」と覚悟はしていたようですが、いざ出発となると納得がいかない様子でした。

派遣先は宮城県の北部

石巻市や女川町と震災がなければ、漁業や観光で賑わっている地域です。

宿営地は大きなスポーツ競技場がある公園でした。

発災からしばらくの間は、津波で被災した地域への前進は瓦礫で車両が通れないような状況です。

通れたとしても、油断すると釘(釘が刺さった木材)などが道路上に散乱していて、すぐに車両がパンクするなど、これからの困難が予想できる道のりでした。

派遣先での主な任務は行方不明者の捜索

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現地の到着した以降は、「行方不明者の捜索」が主な任務となります。

行方不明者の捜索は、重機の数が足りていないこともあって難航を極めました。

行方不明者を捜索するには、山積みとなった瓦礫を移動させなければいけません。

重機が足りてないとなると、全て人手で行うことになります。

その時に改めて感じさせられたことは、「人間は素手では無力である」ということです。

いくら日々の訓練で体力錬成を行っている自衛官が数十人いても、山積みとなった瓦礫の前では、ほぼ「無力」です。

瓦礫には流された住宅の柱、屋根、自動車、剥がされた道路のアスファルトなど人手で移動させるには途方もない労力と時間を要するものばかりです。

津波の破壊力は私の想像をはるかに超えていました。

道路や駐車場のアスファルトが津波の力で剥がされて、到底人力では動かしきれない大きさの瓦礫となって、所々で覆いかぶさっているのです。

重機の数や運搬手段、道路の状況から「すぐさま重機を投入」とはいかないのは分かっていますが、重機がないと行方不明者の捜索は「目に見える範囲」に限定されてしまいます。

「その時に、やれることは全てやった」と自分では思っているのですが、「あのとき、重機があったらな」と今でも悔やむことがあります。

神戸市から届いた被災者救援物資

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行方不明者の捜索が進んでくると、併せて被災者の方々に向けて送られた救援物資の搬入、整理整頓そして搬出についても支援するよう命令が下りました。

救援物資の量は膨大で、津波の被害を免れた体育館などに集積されます。

「どの段ボールに、何の何サイズが幾つは入っているのか」を全て確認し、仕訳しながら段ボールを積み上げていく作業が続きます。

こうした中、阪神淡路大震災で被災した神戸市からの物資も届き始めました。

1日で大型トラック数十台分の物資が搬入されてきます。

そこで驚いたことは、神戸市からの救援物資が入っている段ボールには、「箱の中に何が何個入っているのか」と梱包物の内訳が書いたある紙が張ってあるのです。

不謹慎で申し訳ないのですが、それを見て「さすが被災経験がある神戸市は違う!」と驚いたものです。

「救援物資の仕分け作業が必要なこと」

「仕分け作業にも膨大な人手や時間がかかこと」

「仕分けに時間がかかると、被災者の手元に届くまで時間がかかってしまうこと」

「封を開けた段ボールは強度が弱くなって高く積み上げられなくなってしまうこと」

今まさに、私達が戸惑っていることを神戸市の人達はお見通しだったのです。

誰でも一目で分かるように、段ボール側面に張ってある梱包物の内訳表は本当に助けられました。

中古段ボールや中古の下着は救援物資としては不適

1日で大型トラック数十台分の物資が搬入されてきます。ここで問題だったのが、あまりの膨大な救援物資の量により、屋内には積み上げきれなくなって屋外に積み上げる以外に手段がなくなってしまいます。

そこで「どの箱を外に出すのか」と検討しましたところ、高く積み上げられない強度が弱い段ボールを屋外に出すこととなりました。

神戸市からの救援物資のように封を開けずに中身を確認できる段ボールは、どんどん高く積み上げられるので本当に助かります。

ですが、一旦封を開けてしまうと一気に段ボールの強度が下がってしまいます。

まだ、新品の段ボールなら、ある程度の強度を保ってくれるのですが、ミカン箱だったり、ジュースが入っていたりした段ボールは積み上げ方も不規則な積み上げ方になってしまい、強度がアッという間に下がってしまいます。

そうなると高く積み上げられなくなるので、屋外に積み上げ決定になります。

また、本当に申し訳ないのですが、中古で着古した下着についても屋外に積上げさせてもらいました。

下着や靴下は、企業から新品が大量に送られてきます。

被災者の立場としてたら、中古品をもらうより新品をもらった方が嬉しいですよね。

まとめ

東日本大震災のような大災害が今後起きないことを祈るばかりです。

しかし、おそらく災害は何処かで必ず発生するでしょう。

もし、この記事の読者の方が現地に「救援物資」を送ろうと思われたのなら、以下の3点について注していただければ有意義な救援物資として、被災された人達に喜んで頂けるかと思います。

1 救援物資を入れた段ボールには、中身の内を訳が一目で分かるよう表示することで被災者の方達の手元に早く届く。(きれいな状態で届く。)

2 救援物資を送るなら「新品」を買ってきた同じ大きさの段ボールに入れて送ると被災者の方達の手元に早く届く。(きれいな状態で届く。)

3 中古の下着や靴下を送っても、(おそらく)被災者には届かない。

あれから間もなく、10年が経とうとしています。

私が作業をした地域も復興が進んでいることでしょう。

引退して時間に余裕ができたこともあるので、来年は宮城県や岩手県を訪れてみようかと思っています。



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