スッタモンダヴォーズ ワン・ソロストーリー
「私の観ている世界が変わったような・・?」
『私の世界か・・。まだ思考と同一化が起きているな』
〈変化は完全にはなれません。闇は光を知ろうとせずと等しく。知識を持ったまま神は実現しない。宇宙の理です〉
「え?私はニセモノってこと!?」
『安心するがいい。本当の花子は常に輝き続ける実在だ。ここで重要なのは、神は分離も意味づけもしない、ということだ。思考でいくら私は創造主だの自由だの宇宙だのといっても意味がない、ということだ。これは私が云うからそうではなく、法則である』
〈このあたりで言葉の限界が見えます。もちろん、どの様に考えても花子さんの自由ですが、ここでやっているのは聖なる自己認識。さらにソレがソレを認識したままムチュウライフを送るという聖人たちの神域。個は存在せず、全イチになりきる。ですから、スケベイダー卿はスケベな世界に戻していたのですよ。本当の自己を思い出せば学んでいた者は消えますが、学ばなければ己を知ることは不可能ですから〉
「自分とは・・人間とは・・霊止とは何か・・。つまり己を知るとは教えや知識はガラクタになる領域に等しいってことね」
〈汝自身を知れ。汝偽物の自身を知れ。さすれば本物は自ずと顕れます〉
『フン。自我はどこまでいっても自我。内と外の中心ならざる中心に支配され、おそれや不安と共に迷い、やがて病を患う。思い出したのち、私の世界だと意味づけしたほうが、愛と至福と自由な世界が広がるだろう。内側が外側に顕れるのだから。これもまた宇宙の理だ』
〈本当の花子さんではない”観念”の投影が社会現象に現れてます。身体的にも症状として顕れておられる御方も。理解が深まれば惑星ムチュウ物語を書いている高次存在がどこに存在しているかは言うまでもないでしょう。空の上ではありません。見えているものすべて幻想ですから〉
「・・・。ハ!内側が外側に現れるっていう、写し世の本質!!?」
『ははは!そうだ。それゆえ大切なのは他者の自我が唱える聞く力でなく、気づく力だ』
〈花子さんは気づきそのものですからね。内側にすべて在る〉
「!・・実在が少し見えてきた。・・答えはない。あるとすれば”知る者は存在しない”が答えね?💫😨」
『実在の風は今ここで吹き続けている。風にのって本当の自由を得るか、自我を強め幻想世界を楽しむか。本当のあなたである全なる愛という天国の上に在りながら、自由に羽ばたくがいい』
〈花子がどう考え、どのように意味づけしようと、すべては赦されてます👏〉
『他者のせい、人のせいにしている以上、自身の成長という気づきは得られないがな』
実在はすでに発見されてます。けれどもそれを知識で理解しようとする以上は、ソレにはなり得ません。
すでに在るものが、全く新しい発見のような顔をして現れる。すでにソレ。全なる愛。愛と至福。すべては原子、素粒子と聞いてもピンとこないのは、自我を強めすぎた現代であるがゆえに感じることが疎かになっている為と云えましょう。あなたの中心から出ているそれと、外の世界のそれはまったく同じもの。あなたの皮一枚外と内側に境界はありません。
記事内で、実在の”ルビ”を変えざるを得ないのは、気づきのためだけでなく、素粒子の持つ性質がためとも言い換えられます。
「これは何だろう?」
「わからないから知りたい」
求めても問題ありませんが、頭で知ろうとすればするほど、本当のあなたからは遠ざかります。なぜなら、原子や素粒子または意識などというそれら言葉や知識、あらゆる教えは真理を全く孕んでいないからです。僅かばかりの表現は可能というだけで。
『愛と表現することが恥ずかしいのか?それともソレを恐れているのか』
「え・・」
『面白い、面白い。花子はソレそのものであるのに』
「え・・では理解らない?」
『実在しかない。それ以外は幻想だ。ニセモノとホンモノをあなたの内面で分離させることができれば、本当のあなたから祝福されるだろう。そして、その祝福は最初から花子のソコにあるものだ』
「理解らない💦」
『そうだ。だから表現しよう。花子が意識の奥を求めて自我を強めてしまう前に。頭で理解しようとし、いつまでも幽霊の自我を残してしまう前に。かつての私のように、賢いことが正義だと誤った観方をしていては戻れぬ場所だ。自分が何かをやっていると誤った観方をしていては顕れぬ今ここだ。同時にこう云おう。自分が何かを成すという幻想を楽しんでいることは否定できない。なぜなら、すべてはひとつに繋がっており、世界には花子しかおらず、すべてのものが花子なのだから』
「ひとりだけって・・まさか・・」
『思考ではソレを理解できない。だから分離させるのだ。分離させ自分ではない思考を観よ。それは台本を読む感覚だろう。台本通り演じる感覚だろう。すべては自動で起きている、必然の過去だったと知ることになるかもしれない。実際、今のあなたはプログラム通りにしか動いていない』
「考えていたのはわたしではなかった、と??」
『そうだ。さすが、わが娘。本当の自由に近づいた』
「私はすべてを手に入れられる?」
『手に入れるのは花子ではない。実在のあなただ。それは実在の実現であり、すべては今ここにしか存在しておらず、真の今ここには分離も意味も存在できないのだ。今ここのソレ。そこに愛以外のものは存在できない。至福と賞賛以外のものは存在できない。自己を認識するトキ、完全なる祝福と癒しが訪れる。そこに在るソレが本当のあなただ』
「え~っ💦意味わかんないじゃん!」
『はははっ!面白い、面白い。意味を与える者は消えるのだからそれでいい!花子の消えた真の今ここが本当のあなた。では、花子は一体誰であろう?さて、誰が仕掛けた罠なのか』
〈まさに、I wanna(罠) know myself. (自分を知りたい)ですね。スケベイダー卿〉
『・・・・・』
「・・・・・」
〈ちょ💦ふたりとも・・何があかんねん!!〉
『さすが親子。オジ=サンもマスターに似てきたものだ。あの日、マスターはキ〇タマガジンの袋とじ写真集を開封するトキ、こう仰った。”これ、いつもうまく開かんねん!”と』
「??・・ハッ!まさか罠って私の観念!!?」
『それは在ることで消えていく。また気づきの瞑想などでラベリングなり、マインドフルネスなり禅なりヨガなり、何であれやってみるもよいだろう。だがいつまでもやっている自分が存在していては在るになれない。今ここの祝福は受けられぬ』
「本当の自己を認識できないってことね・・?」
〈段階があります。もちろんエゴを残したままでも愛ゆえ、どのような道を歩まれても自由。が、花子さんには本当の自由へ進んでいただきますので、自分という幽霊を完全に消しちゃいます〉
「ゆ、ゆうれい👻・・私は存在していないの??😨」
『また同一化しておる。まずは、その思考は自分ではないと完全に認識することが先だ』
〈誤った同一化は、幻想世界を生き続けることにもなりますからね。本当の自由に進めません。いつまで経っても自己を思い出せない〉
「思い出して本当の自由へ・・。存在って・・意識、至福・・?」
『存在とは実在そのものだ。私は存在していないどころか、実在の自己を認識すれば全てを愛している自分がそこに存在しているだろう👍✨✨✨』
〈最初から、世界が花子さんという冗談です💖〉
『”わたしはあなた”の意味もそこで完全に知ることになる。知識としてではなく、気づきが気づき、認識が認識し、理解が理解する。繰り返すが、理解を深めるにはまず花子の内面で分離をさせなければならない』
〈思考、想念、観念、感情、精神、人格、身体、世界・・それら本当の自分ではないものを手放すトキ、真我の愛は最大になります。そのカラダ中心からの免疫力、自然治癒力もそれに連動します。世界=あなたですから。でもこれを頭で理解しても意味はない。挿絵にも現しきれませんが、瞑想を誤る前に、在るというムチュウライフの真の意味を〉
『ニセモノは消えつつある。それでもその役割に中心から感謝しよう👍✨ページの都合で挿絵はまた次回だ💛』
「人生とは、自分ではないものを解体していく作業の連続…..。ハッ!カマキリ先生もまた気づきのために演じていた!?🙇♂️✨」
〈理解の浅き者は気づいておりませんが、実在の視点、つまり世界として観るとすべての現象は良い兆候でしかありません。個人としても同じ。失敗や失態というもの、本質においてそれらは失敗でなく手放しの合図。起こりくる病気や感情もそれです。自分ではないものをいつまでも掴んだままだと苦しい。守護である自身からのサインには気づかねば。赦しの愛〉
『自我だけが独りよがりの人生を送っているとも云えるだろう。いずれにせよ書かれていたことだ。実在以外は過去の幻想なのだから』
〈常務以外にも、役割を完璧に演じきった御方もおられますが、端的にいえば”不法を働くほど誤った自我を強めると愛図が現れます”。シッダールタが裕福な家庭に生まれながらも、当初は幸せを感じることができなかったことと似ておりましょう。求めずとも自身のソコにすべて在る。足るを知る〉
『カマキリ先生の所業を見て、花子がどのような反応をしたか?そこに観念が隠れている。我以外皆我師。観念を手放さぬ限り、花子の学びは終わらぬ。それは自己を知ることこそ現世の理ゆえ・・。ただ在るのだ。その血入れ替わるまで🩸✨』
「お父さんとオジ=サンが遠い存在にみえるんだけど💦」
〈あははっ。今の花子さんにはそう見えるかもしれませんが、我々は存在しておりません。実在のソレでしかありませんから。それに本当の花子もソレ以外には成り得ません。幽霊の自我を掴んでいるだけ。誰であろうと、本当のあなたを傷つけ罵倒することなどできない。まさにすべてが救われている愛と奇跡のムチュウ物語🎵〉
『とてつもなく広い愛という海の中にある、ムチュウ島という異空間で奇跡の体験をしているだけとも云えるだろう。己を知るため仕掛けた罠としては面白い冗談だ。真実ではこの愛海は凪でしかないのだから。私≒ワタシ=神、神の子ともいう』
〈完全充足し、ただ在る。まさにI seeてる。I seaてる。愛してるです💙〉
『・・・・・』
「・・・・・」
〈ちょ💦またもやっ💦💦😭😭😭〉
では次回。
さらに観念が剥がれ落ちた頃🔮
愛ゆえに愛が愛に愛という光を・・。 あなたにいつも拈華微笑💖