見出し画像

マグロの中落ち ‐初めてのアルバイト‐

高3の夏、CDコンポが欲しかった俺は、初めてアルバイトをした。
これまでは、部室でトランプや麻雀をやって金を得ていたが、夏休み真っ只中だ。それに、もう部活は引退している。

俺は地元のスーパーで働くことにした。校則でアルバイトは禁止されているが、地元ならバレにくいと思ったからだ。

俺が配属されたのは鮮魚コーナーだった。時給は700円。当時の高校生バイトはだいたいそれくらいのものだった。
主な作業は、パック詰めや品出し、声かけ等だ。一つひとつの作業はそこまで大変ではないのだが、手際と仕上げのきれいさが要求された。
主任と副主任が厳しくて、モタモタしているとよく怒鳴られた。
半泣きになり、パートのおばちゃんから慰めの言葉をかけてもらったりもしたな。
ああ、拘束時間は長かったな。朝8時から夜7時まで。
一日終えるころには、全身が生臭くなっていた。

――週5日の勤務で、3週間が過ぎた。
金が溜まった俺は、予備校で夏期講習を受けると言ってバイトを辞めることにした。予備校に行くというのは方便だ。
やはりなんだかんだできつかったから、はやく辞めたかった。
肉体よりも、精神面だな。あと単純に、当時から労働が嫌いだった。

最後の挨拶を終えたあと、主任が特別だ、と言って本マグロの中落ちを食わせてくれた。
初めて食う本マグロの中落ちはとても美味だったが、ふだん食いつけないものを口にしたからか、あるいは食器や手が清潔な状態ではなかったのか、急に激しい腹痛を覚え、俺はトイレに駆けこんだ。

なに、とは言わないが、とにかくものすごい勢いだった。

マグロを食ったのに、出る時はブリだ。

表で、主任と副主任が俺を捜す声がした。
せっかく特別に食わせてもらったのに、それが原因で腹を壊したなんて言いたくない。
俺は「トイレです」という言葉を飲みこんだ。
二人の話しぶりからすると、短期間だが働いた俺をもっと労いたかったようだ。
厳しい態度の裏にあるやさしさに、俺は目頭が熱くなったが、尻の穴はもっと熱かった。


――あれから30年が経つが、いまでもマグロの中落ちという言葉を見たり聞いたりすると、このバイトの話を思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?