幽霊部員は「ブロッコリーを傘にする女」を描く #同じテーマで小説を書こう

 この油絵のテーマは「ブロッコリーを傘にする女」なんだ、と絵筆を手に笑いながら言ったのは美術部幽霊部員音の浅見緑子だ。
「どこからそんな発想が湧いて出た。異彩極まるゲイジュツで世間一般の芸術に戦争を仕掛けるな」
 大変失礼な物言いであったが緑子の反応は実にあっけらかんとしていた。
「大丈夫、大丈夫。ゲイジュツに常識も非常識もないんだから!」
 一言発すれば十の毒舌となって跳ね返ってくるというのにそれでも緑子は喜色を崩さない。どれほど邪険にされようと言葉を交わせるだけで嬉しいのだと全身で訴えてくる。これを無下にできる人間がいるとしたらそれこそ真の冷血漢だろう。
「ブロッコリーを傘にするような女もそれが日常風景としてまかり通る世界にも興味はないが、いい加減、現実を見ろ。タイムリミットだ」
 真の冷血漢はここにいた。
「嫌だよ……」
 使い古した絵筆をぎゅっと握りしめ、緑子は叫ぶ。こんなことは理不尽だ、と。
「正式な美術部員でもないくせに、勝手に忍び込んで意味不明なゲイジュツを量産している幽霊部員が何を言ってる。今すぐここから出て行け。もう日が暮れる———終わりだ」
「終わったら洋介お兄ちゃんいなくなるじゃない!」
 大学卒業目前だった従兄弟———吉良洋介が運転中のながらスマホによる交通事故に巻き込まれて死んだと報されたのは、葬儀が終わってからさらに数日後のことだった。そう、インフルエンザで一週間近く寝込んでいた緑子が現実を受け入れる前に、毒舌の従兄弟は白い小壺に収まってうんともすんとも言わなくなってしまったのだ。
「当然だ。今日で四十九日が終わるんだからな」
「……未練たらしく母校の美術部で本物の幽霊部員やってるくせに」
 洋介が緑子の高校の先輩であることは生前に聞いていたが、まさか放課後の美術室で本当の幽霊部員になっているとは思わなかった。緑子が美術部に忍び込んで期間限定の幽霊部員になったのはひとえに洋介の成仏を思いとどまらせるためだ。緑子はいまだに洋介の死に納得していない。だから、納得して受け入れるまでこの世に留め置きたかったのである。
「死んでも治らないのがバカだから説教するのもバカバカしいが、あの世の道理にこの世の人間が文句を言うな。少しつきあってやるからその間に納得しろ」
 大変身勝手なわがままにしかし洋介は相変わらずの仏頂面で小さく頷いた。緑子にとってそれは世紀の大事件に等しかった。あの冷酷無情な従兄弟が温情を見せたのである。当然緑子はその温情に食らいついた。食らいついたが現実は非情だった。四十九日はあと数時間で終わってしまうのだ。
「洋介お兄ちゃんの人でなし、冷酷非情、魔王、鬼、幽霊部員!」
「幽霊が幽霊部員で何が悪い。俺は亡者だ、鬼はあの世だ。魔王は余所を当たれ文化圏が違う」
 亡者と化してなお洋介の毒舌は切れ味抜群だった。
「まったく、お前につき合っていると終われるものも終わらんな。とりあえず、お前は自分の頭蓋骨の心配でもしてろ」
 学生時代、見た目だけは「善良な高校生」だった洋介は問答無用の腕力で緑子の首根っこ引っ掴むと夕日色に染まった窓の外へと放り投げた。
「幽霊のくせに洋介お兄ちゃんの人殺しいいぃ———っ!?」
「幽霊部員見習いが幽霊部員を追いかけて本物の幽霊部員に成り果てるのを助けてやったんだ。むしろむせび泣いて感謝しろ。あと勝手に忍び込んで使った備品は自腹で弁償しろよ」
 後頭部を襲った強烈な衝撃に意識の半分を吹っ飛ばされながら、緑子は洋介の最後の言葉を必死に飲み込んだ。意味がわからなくても記憶に刻みつけておきたかった。
「お前がどれだけ面倒くさいことをやらかしたか、次の機会にでもわからせてやる」

「この絵のテーマ? そんなもの、見ての通り———『ブロッコリーを傘にする女』だ」
 成績優秀で品行方正な生徒会長兼美術部部長は部室の窓際で正座する老年の幽霊部員を見下ろして冷酷に笑う。
「お兄ちゃん、ゴメン。ほんっとにゴメン、ゴメンなさい!」
 吉良洋介の死から数十年。かつて忍び込んだ高校の美術室で不運にも石膏像の雪崩に後頭部を強打され、数日間生死の境をさ迷った末に現世に舞い戻った浅見緑子は、その後、天寿を全うしたにも関わらずかつて洋介がそうであったように何の因果か本物の幽霊部員としてあの美術室にいた。正面には見た目も中身も従兄弟にそっくりな孫息子が絵筆を手に仁王立ちして緑子を見下ろしている。なぜ彼がここにいるかといえばもちろん生前の緑子と同様「説得」のためである。
「亡者にとって生者の懇願とやらがどれだけ面倒くさいものかわかったか、緑子?」
「身に染みて理解しました。でも、このためだけにうちの孫に転生してくる必要ってあったの? だいたい潔くんはそんな邪悪な顔はしませんっ!!」
「顔面偏差値有望な孫息子に向かって何を抜かすかこの孫バカが。心配しなくても俺は一抹の未練のようなものだ。満足したら今度こそ消えて無くなるから安心しろ。それより、お前のほうこそ早く『オレ』を説得するんだな。亡者と関わる時間が長引けばそれだけで死期が早まるぞ?」
「それだけはダメーっ!?」
 四十九日が終わるまであと半月。
 二代目幽霊部員浅見緑子は果たして孫息子の決意を「説得」できるのか。「ブロッコリーを傘にする女」にまつわる幽霊部員たちの闘いはまだ継続中である。

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