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幼児教育は大卒の仕事じゃない?

こんにちは。今回は現在大学生で幼児教育の専門家を目指す私がよくぶつかる壁についてお話します。

壁とはタイトルの通り、「幼児教育は大卒の仕事ではない」という意味不明な概念です。

実際私自身も中学生の頃、これを思って幼児教諭になる夢をやめました。中学の職場体験で憧れだった幼児教諭の仕事を選んだときの話です。補佐の先生としてクラスに入らせていただいたのですが、先生が自分で考えてできることって圧倒的に少なかったんです。その理由は、一人で見なくてはならない生徒数(専門用語で言えば、pupil-teacher ratio)が多かったから。子どもたちの創造力を引き出したり、一人一人の話に耳を傾けたり、そういうことは日本の幼児教育のシステムではなかなかできませんでした。「みんなで同じことをしましょう」が基本的なスタンスで、ケンカが起きたりいじけたり輪から外れる子がいれば、「叩くのはいけません」というように社会的規範を伝えることしかできない。もちろん教員は専門知識がありますが、その知識を使って自分で自由に教育を提供することは難しそうでした。

その結果、生徒には「うちのママ怖いんだからね。」と言われました。子どもにとって教師は母親よりも立場が下、親にとっても教師は自分より立場が下なのかもしれません。自分が幼稚園児だった頃を振り返ってみると、先生はよく親にペコペコ頭を下げていました。優しい先生に憧れましたが、先生たちは自分の仕事に100%の誇りを持っていただろうかと考えたとき、きっと違ったのではないかと思ってしまいます。だから、中学生だった私は大学を卒業して幼児教育に携わるのはやめようと決意しました。

結局大学では教育を勉強していたのですが、海外の幼児教育施設に行くと親と先生は対等に話せて、親が先生を手伝うことも先生が親に教えてあげることも多い気がします。特に日本との違いを感じたのは、ニュージーランドの教育です。子どもは自由に過ごして良く、先生は子どもの創造力をかきたてる仕掛けを用意します。例えば、カラフルな粘土とグリッターを混ぜておいて、遊べるようにする。絵具と落ち葉とカラフルな紙で自由に作品を作れるようにするなどです。粘土を放置していれば、おままごとに使われることもあればお城づくりに使われることもあります。つまり、そこら中がベタベタキラキラグチャグチャになります…それでも子どもの自由な発想を止めないでいられるのは、生徒に対する教師の数が多いからでしょう。子どもがケンカしても先生は必ず子どもの意見を聞いて一緒に話し合います。ニュージーランドの幼児教育も日本のように緊張感のある仕事であることに変わりはないですが、教師が「教育者」として尊重されているように感じました。

私は私立の中高一貫校出身、大学も私立で、裕福な家庭の子が周りに多い環境にいます。その中で、親が大卒で幼児教育に携わることを好まないという人を少なからず見ました。「せっかく良い教育を受けさせたのに、社会的地位が低く給料も低い幼児教育?!」というのがそういう親の本心なのでしょう。そういう人は、子どもを育ててくれた幼児教育関係者を何だと思っているのでしょうね。本当に悲しい…日本の幼児教育関係者って「教育者」として尊重されているのかなって。そういうところがこの問題の根源になっているのだろうと思います。

日本は幼児教育業界に大卒が少ない国です。でも大卒は必要です。幼児教育って人生の基盤になるので、本当に重要だから。そんな重要な時期の教育を変えていったり、他の分野の人々と協力して子どもがより豊かな生活を送れるようにしたり、海外に日本の状況を発信したり…大学や大学院で学ぶような専門性を使わないと難しい仕事ってたくさんあると思います。

だから、どうか大卒で幼児教育?!なんて言わないで。と、分かってくれない大人を見るたびに私は心で叫んでいます(笑)

日本の教師の地位が上がりますように。幼児教育ももっと尊重してもらえますように。というのが今回伝えたい私の願いでした。

読んでくださってありがとうございました✨



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