【掌編小説】「初夏を聴いた日」
※この話は、こちらの小牧幸助さんの企画「#シロクマ文芸部」参加作品です。すみません! 45分の遅刻です。
「初夏を聴くんだ」
「ショカ、をきく?」
あのお兄さんと幼い私が交わした言葉。ここだけは、言葉のイントネーションや間まで、やけにハッキリ覚えている。
今振り返ってみれば、「初夏」を「聴く」という主語と動詞の組合せに違和感を覚えるのだけれど、当時小学一年生だった私はそもそも「ショカ」という言葉自体知らなかった。だから、妙に鮮明に記憶に残ったのだろう。
それは、初夏のある日、母と一緒に祖母の家へ遊びに行ったときのことだった。
祖母宅は山裾にあり、電車を乗り継いで一時間もかからないが、とても自然豊かなところだった。マンション暮らしの私には、なにもかもキラキラと眩く映ったものだ。近くにはきれいな小川があって、私はその端に座り込んで、せせらぎを聴きながら草花を眺めるのが好きだった。
祖母が出してくれるおやつとお茶をたいらげると、私はいつもと同じように「お外いってくる!」と祖母宅を飛び出し、小川へ向かった。
小川の端には、腰掛けるのにちょうどいい大きさの石があって、私は勝手にそこを自分の指定席だと感じていた。ところが、その日は先客があったのだ。深緑色のブレザーを着たお兄さん。自分よりはるかに背の高そうなお兄さんに石は低すぎて、長い足が余っている。
そこ、あたしの席だから、どいてちょうだい。
心の中ではそう思ったものの、そんなお兄さんに言えるはずもない。私はただお兄さんの少し後ろに立ちすくんでいた。
すると、私の気配に気づいたのか、お兄さんが振り向いた。
「どうしたの?」と訊かれて、私は返答に困った。やはり「どいてちょうだい」などとは言えない。そこで聞き返した。
「なにしてるの?」
「初夏を聴くんだ」
「ショカを、きく?」
「そう」
「ショカってなに?」
「ああ、そっか。まだそんな言葉は習ってないか。夏の初めの頃のことをいうんだよ」
お兄さんはそう言って、朗らかに笑った。とても優しそうな笑顔で、どきりとした。
「なんでショカをきいてるの?」
「んーとね、課題、じゃなくて宿題っていったらわかるかな」
「ふーん」
それから、しばらくお兄さんと「ショカをきく」話をした。細かいことは覚えていないけれど、私の舌足らずなお喋りをお兄さんは楽しそうに聴いてくれた。夏の花の精だとか、風の神様だとか、小人たちの仕事とか、おおいに想像を盛り込んだ話をしたような気がする。
大人よりは自分に近く、学校の友だちなんかよりはずっと大人。そんなお兄さんが対等に話をしてくれるのが、とにかく嬉しかった。
どんなふうに別れたのは覚えていない。以来、二度とお兄さんに会うことはなかったし、この翌年、祖母が亡くなり、祖母宅も処分することになって、行くこともなくなった。
結局、あのお兄さんは誰だったのだろう。なんとなく、母に聞いたりすることもないまま、いつしか記憶の箱にしまいこんでしまった。
この一連の思い出が記憶の箱から出てきたのは、高校受験のときだ。絵を描くことが好きだから、芸術系コースのある学校もいいかも、と軽い気持ちであちこちの高校のホームページを適当に眺めていた。
その時、特徴的な深緑色の制服が目に飛び込んできた。
あのお兄さんの!
お兄さんは音楽大学附属高校の生徒だったのだ。「宿題」と言ってた「初夏を聴く」というのは、初夏のイメージで作曲するとか、そんな課題だったのではないだろうか。
十年も経って、突然答えが天から降ってきたように思えた。
もしかしたら、今も彼はどこかで音楽に関わっているかもしれない。あのとき「初夏」を「聴いて」いたように、音で感動をとらえて表現していたらいいな、と思う。
お兄さん、元気ですか?
私は今、芸大で絵の勉強をしています。
今度の課題は「初夏を見」て、表現してみるつもりです。あの日、お兄さんが聴いてくれた、幼い私がとらえた「初夏」を思い出しながら。
小牧幸助さん、素敵な企画をありがとうございます。今回が二回目の参加です。なかなか毎回というわけにはいかないのですが、またお話が見えたときには参加していきたいと思っています。
今回は、あまり短くまとめることができなくて、私にしては長くなりました。この話にはまだ余談があるのも見えているので、いつかセルフリメイクしてみたいとも思っています。
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