ありのままの自分を愛すること

「鋼の自己肯定感」 宮崎直子さん著

ポジティブフィードバック

昨日は仕事でした。私は週に3回、介護施設で働いています。統合失調症であることをオープンにして働いています。施設では、おもに整容(お風呂上がりの利用者さんの髪を乾かしたりする)などをしています。普段は二人でする仕事。昨日は担当の職員さんがお休みだったため、一人でしました。かなり忙しかったです。

仕事を終えて片づけをしていたら、ベテランの職員さんから、
「暮島さんがいてくれて、本当に助かる。ありがとう」
と声をかけてもらいました。
「無理していない?」と職員さん。
「はい。仕事、楽しいです」と、私。
「職員皆、暮島さんがいてくれて良かったと感謝しているから」
「ありがとうございます。頑張ります」
「じゅうぶん頑張ってくれているって」
と、すごく嬉しいポジティブフィードバックを頂きました。嬉しかったです。

自分が誰かの役に立っているという、自己肯定感と自己有用感を得ることができました。


今日も「鋼の自己肯定感」について学びたいです。


ありのままの自分を愛すること

宮崎さんは、「自己肯定感」「自己有用感」「自己効力感」と混同しやすいと書いておられます。

まとめてみます。

「自己肯定感」は、「ありのままの自分を無条件に受け入れ、愛すること」です。それは「何もできない」赤ちゃんに対して、親や祖父母が無条件で抱く愛情、その愛情を自分自身に抱くのが「鋼の自己肯定感」で定義する自己肯定感です。

過去も含めて、ありとあらゆる自分を無条件に受け入れ愛すること、それが真の自己肯定感です。

この自己肯定感と混同されやすいものに、「自分は誰かの役に立っている」という気持ちである「自己有用感」と、「自分は何かできる」という気持ちである「自己効力感」があります。

自分が誰の役に立っていなくても、何もできなくても、つまり「自己有用感」がなくても「自己効力感」もゼロに近い状態でも、それでもそんな自分を受け入れて愛するというのが、「鋼の自己肯定感」で定義する自己肯定感です。


「自己肯定感」が低いいままで「自己有用感」だけを高めようとすると

自己肯定感が低い状態で自己有用感だけを高めようとすると、自分が本当にやりたくないこととやりたくないことの線引きができず、本当はやりたくない事さえ引き受けてしまう。自分にとって大切なことを大切にできない状態で、自己犠牲に走ってしまいます。

そして、他人にも自己犠牲を期待してしまいます。「自分はやりたいことも我慢してこんなに人の世話をしているのだから、あなたも同じようにしなさい」と押し付けてしまう。また他人の幸せを喜ぶことができません。

自分には価値がないと思っているから、どんなに人から感謝されてもそれを素直に受けることができません。

自分が本当は何がしたいのかわからなくなってしまいます。

お世話した人が巣立っていくと、自分の中が空っぽのように感じてしまいます。

一方で、自己肯定かんが高い状態で、自己有用感を高めると、自分が本当にしたいことが常に分かっています。

そもそも自分を犠牲にしていないので、他人に自己犠牲は求めません。

お世話した人が幸せになると心から喜べるし、お世話した人が巣立っていても空っぽに感じることはなく、巣立っていくことを心から喜べます。

自分を大切にしつつ、人の役に立つことをしているので、常に生き生きエネルギッシュです。


「自己肯定感」が低いまま「自己効力感」だけを高めようとすると

人は実は2種類の方法で成功します。1つは自分を嫌いながら成功する方法。もう1つは自分を愛しながら成功する方法です。

ありのままの自分が嫌いで、ありのままの自分には価値がないと思う、自己肯定感がとても低い状態で大成功することもできます。

しかし、自分の存在価値を何かができるということに頼っているので、その何かができなくなったとたん、裸の大嫌いな自分がむき出しになり、それに耐えられなくなります。

自己肯定感が低い状態で、自己効力感だけを高めようとすると、うまくいっている間は良いが、うまくいかなくなった途端に大きく崩れます。

一度手に入れた高いポジションを手放したくないので、同じポジションにしがみつき、新しいことにチャレンジしなくなる。

新しいことにチャレンジするときは、非現実的な高い目標を設定して、すぐ挫折してしまう。

一方で、自己肯定感が高い状態で、自己効力感を高めると、うまくいけばもちろん嬉しいが、うまくいかなう自分も優しく受け入れられる。

ポジションの高さで自分を評価していないので、高いポジションを捨て、いつでも低いポジションから新しいことにチャレンジし続けられる。

新しいことにチャレンジするとき、現実的な目標を設定して、成功するまで続けられる。


自己犠牲に走っていたかつての私

この「自己肯定感」と「自己有用感」、「自己効力感」のところは、とても胸に響きました。かつての私は「自己肯定感」の低いまま「自己有用感」「自己効力感」を高めようとしていたからです。

結婚してお寺で暮らしていた頃、私は自宅で、児童英会話教室を開いていました。ありがたいことにたくさんの生徒が来てくれていました。私は英語が好きでしたが、英文科を出てはいないし、留学をした経験もありませんでした。自分の英語力に自信がありませんでした。「自己肯定感」がとても低かったのです。それを補うために猛勉強しました。

昼間は寺の仕事や家事をして、夕ご飯の準備をして息子たちに食べさせてから授業をして、終わってからまた家事をして、息子たちを寝かせてから、夜中に勉強。そんなサイクルで日々を送っていました。生徒から保護者の方からの評価のために自分を犠牲にしていました。家族との時間も犠牲にしていました。

「このままではいけないな」と感じていながら、生徒や保護者からの評価、他人軸で生きていました。「自己有用感」「自己肯定感」を高めようとばかりしていました。

宮崎さんのおっしゃる「ありのままの自分を無条件に愛し、受け入れる自己肯定感」があれば、あんなには無理をしなかったと思います。息子たちとの時間ももっと大切にすることができたでしょう。統合失調症にもなっていなかったかもしれません。反省と後悔です。

でも、過去は変えられません。樺沢先生のおっしゃるように、「やれることをやれる範囲で」やっていこうと思います。自分を愛して、「自己肯定感」を高めていきます。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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