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キャラクターは誰のものか?

先日togetterでキャラクターの著作権をめぐって、ちょっとした論争になってしまった。

この際だから自分の考えをまとめておきたい。

まず前提として、日本人と西欧ではキャラクターに対するイメージが異なる。
個が確立している西欧では、キャラクターの人格がぶれることはまずない。
それは空想的あるいは仮想的キャラクターであっても同じである。ディズニーのキャラクターのあり方を見ていると分かるであろう。

ところが日本は、キャラクターは不変ではなく時には互換性のあるものとして広く認識されている。同じキャラクターが2等身のぷちキャラになったり、性別すら入れ替わる。
平安時代後期に書かれた「とりかへばや物語」がその嚆矢であろう。新海誠監督の「君の名は。」もこの物語をモチーフのひとつとしていると言っていい。


西欧ではキャラクターのデフォルメが理解できない人が多い。
キャラクターの等身が変わるだけで、別のキャラクターと認識してしまうのだ。

最近は日本アニメを見て育った若い世代が増え、少しづつ認識が変わってきているようだ。米国のアニメ作品「RWBY」は日本アニメの影響を受けた作品だが、メインキャラがギャグシーンではちびキャラ化したりするのだ。
http://rwby.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=A6sWqoau_QQ&feature=emb_logo

ただ、これは例外的なケースであろう。
複雑な内面を持つキャラクターを描いている作品はあまりない。
グローバルな展開、あるいは多民族社会に向けた作品であることが前提としてある限り、アニメ作品に高度なコンテクストを求めることは難しい。


キャラクターに関する権利は複雑である。
何故ならキャラクターとは抽象的な概念であり、表象的なイメージだけの存在ではないからだ。そのバックボーンとして、様々な属性や人格、物語、人間関係等があり、非常に複合的なコンテクストを有するものである。


もちろん法的にはキャラクターの権利は、著作権者が所有する(著作者ではない)。
マンガの場合は著作者=著作権者であるが、アニメの場合は職務著作であり映画の著作物に近くなる。多くの場合、製作委員会が著作権者となる。ゲームなども同様だ。

キャラクターの権利著作権だけではない。
商標権意匠権によっても保護され、時には不正競争防止法によって権利侵害訴訟を起こすことも可能だ。
また、キャラクター商品は、ライセンス契約によって商品化権の許諾を得る方法が一般的である。
というのも、著作権という権利は権利範囲が明確でないため、どこまでが似ているか線引きが難しいのだ。


これが音楽著作権の場合であれば、権利範囲は明確だ。
音楽は譜面に起こすことができる。詞もテキストで書き表せる。
権利侵害をデジタルで数量的に解析できるのだ。

実際に平成10年の記念樹事件で下された判決では、旋律の数量的解析による一致率は72%だった。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/656/011656_hanrei.pdf

これがひとつの基準と言えるだろう。


キャラ絵だとこうはいかない。
例えば、初音ミクは多種多様な派生キャラクターが存在する。
http://urx.blue/UcnN

つまり、緑色の長いツインテで貧乳だと、全部ミクさんになってしまう。
キャラクターの権利がここまで広く及ぶとなると、明らかに創作活動を阻害する。
開発元のクリプトン・フューチャー・メディアは初音ミクの著作権(コンピュータプログラムの著作権を除く)を当初から開放し、後にクリエイティブ・コモンズとして登録した。

初音ミクの(キャラクターとしての)権利は固いですよ。がちがちと言っていい」と語っていたのは、AHS社の尾形社長だ。2012年頃だったと思う。
当時、結月ゆかりをリリースしたばかりで、ある知財関連のセミナーで「商標登録しないんですか?」と話を切り出して、ついでに聞いてみたのだ。
なるほどなぁ。
同業者からだと、そう見えるのだなと感心したのをよく覚えている。

ちなみに結月ゆかりの商標登録については「検討中」と言葉を濁していたものの、後で記録を確認してみると準備はしていたのだろう。翌月には出願。翌年2月に商標登録されていた。


同じ時期にクリプトン社watさんこと、佐々木氏に話を聞いたこともある。
当時は初音ミク英語版のV3開発が進められ、海外展開を視野に入れた活動が本格化していた時期だ。
「海外だと日本と法体系も異なるし、権利保護に対してもシビアにならざるを得ないでしょう?」
と水を向けてみると、佐々木氏は苦笑しながらこう言った。


「海外の業者とコラボするのは神経使いますよ。向こうから出てきた契約書の文面をよーく読んでみると、明らかにひっかけだろ?という条文が書かれていたりします。万が一にも見落としたら、大変なことになります」
起業当時から海外と取引してきたクリプトン社でもそうなのか。
背筋がぞわぞわした。


この話を北大法学部出身で法律事務所に勤めている友人に「どう思う?」と聞いてみた。
まだ若いが、イタリア育ちで海外の法体系や商慣習にも詳しい人物だ。
「そのミクちゃんの契約に関する文面は、弁護士や専門家数人がかりで一字一句舐めるように徹底的に検証してるはず。たぶん一週間くらいかけて。そのくらいやらないと絶対に安心できない」
こ、怖えぇ。
法律のプロって、そこまで用心するもんなのか。


今はまた状況が変わってきている。
2014年の商標法改正で、音やホログラム、動きの商標登録ができるようになった。
また、今年4月に施行された改正意匠法では、従来の「物品」デザインに加え、物品に記録・表示されていない「画像」デザイン「空間」デザインも意匠法の保護対象になった。
つまり各法律の守備範囲が変わってきているのだ。


デザインの権利は、通常は意匠法で保護される。
ところが、今までの意匠法は使い勝手が悪く、活用されてきたとは言い難い。
ひとつには国際出願が難しいことだ。
特許はPCT条約、商標はマドリッド協定によって一元的な国際出願が可能だ。ところが、意匠についてはこのような統一化された仕組みが未だにない。

これはデザインに対する考え方が、その国の文化的な要素と深く関わり、産業財産権でありながら著作権的な面を併せ持つ点に起因する。
例えば、絵画の著作物における追及権は、フランスなどEU諸国を中心に90カ国が導入しているが、日本の法律にはない制度だ。


この枠組みも変わりつつある。
日本はハーグ協定ジュネーブ改正協定に加入し、2015年5月から意匠の国際登録出願の受付を開始した。この協定の締結国はEU諸国を中心に76カ国。先進国はほぼ加盟しているが、中国やインドなどは加盟していない。

課題はまだ残されている。
キャラクターの場合、表情が異なれば別の意匠になってしまう。この協定では最大100の意匠を1出願に含めることができるが、日本の意匠法は1意匠1出願である。
EU諸国などは新規性を伴う実体審査を行わない国(非実体審査国)であるのに対し、日本や米国は新規性を含む実体審査を行う国(実体審査国)であり、権利保護の仕組みが強いからである。
EUは著作権的な法運用、日本や米国は特許権や商標権のような法運用を志向しているといっていいだろう。


2021年の意匠法改正で複数意匠を1出願でできるようになるらしい。それでも審査は意匠ごとに受け、1意匠ごとに1つの意匠権という原則は変わらない。
また、意匠の物品区分表が廃止され、ロカルノ協定によって定められた国際意匠分類に依拠することになる。これは32のクラス219のサブクラスから構成される。

ロカルノ分類リスト

                       (特許研究2015/3より)

法改正の動きは予想以上に速い。
知識のアップデートを怠ると、時代に取り残されてしまう。
個人的にはキャラクターにもパブリシティ権を認めるべきだと考えている。

DD巡音ルカと初音ミク

                      (DD巡音ルカと初音ミク)

ここで関連用語についてきちんと定義しておこう。
キャラクター」とは、物語のなかで役割を演ずるために表現された個性であり、群衆(モブキャラ)とは明確に区別された登場人物のことである。

キャラ」とは、そのキャラクターの振る舞いや発言、表情など社会的な関わり合いのなかで、イメージされるものである。キャラクターの行動特性であり、メンタリティと言っていいかもしれない。
「キャラが立つ」「キャラが被る」という言葉があるように、他者から見た視点でキャラクター自身が自分の立ち位置や属性等を再認識したりすることもある。
その視点は物語世界の住人とは限らず、オーディエンスをも意識したメタ的な要素すら取り込むことすらある。

パーソナリティ」とは人格のことだが、「キャラクター」が仮想的な器だとすると、「パーソナリティ」は中身と言える。
名前があって顔が見えるプライベートな存在であり、外界を意識した「キャラ」とはニュアンスが異なる。キャラクターがモノローグで語りだすとき、その「パーソナリティ」が露わになる。


精神科医であり批評家の斉藤環筑波大教授は著書「キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人」のなかで、キャラクターの定義として「同一性を伝達するもの」である、という説を掲げた。
ただ、その同一性をどう認識するかが問題なのだ。

言うまでもなく「キャラクター」のデザインは、担当した絵師によるものだ。
3DCGで立体化するならば、CGモデリングしたモデラ―や動きをつけるリガ―アニメーターなどがクリエイターとなる。「キャラ」を作るのは、演出家脚本家であるし、シリーズ構成監督の寄与度も大きい。
また「パーソナリティ」は、声優の演技に依拠することが多いであろうし、その演技をブラッシュアップするのは音響監督の役目だ。
1人のキャラクターを動かすには、たくさんのスタッフが協働する必要があるのだ。


だが、前述のようにキャラクターの権利は、法的には著作権者のものである。
この原則は、良い方にも悪い方にも作用する。
それぞれ1例ずつ紹介しよう。

まず成功した代表例は、40周年を迎えたサンライズの「ガンダムシリーズ」だ。
ファーストガンダムのテレビシリーズは打ち切りになったのだが、富野監督はファンの熱気をアニメ雑誌等を通してスポンサーに働きかけた。
アニパロと呼ばれる二次創作を喜んで受け入れた。
その結果として市場は大きく広がり、今に至る隆盛となっている。

失敗例は、言わずと知れた「けものフレンズ」。
1期で熱狂的なファンを掴んだたつき監督の功績を考慮することなく、次回作から外してしまった。この内紛劇はせっかく盛り上がっていたブームに冷水を浴びせかけ、アニメ2期は酷評された。


この2つの例から見えてくるものは、著作権者がキャラクタービジネスで利益を得ようとするときに、ファンが見たかったものをきちんと把握し提供できているかどうかがカギとなる。
殊にクリエイターがリスペクトされていないと、ファンは敏感にそれを察知する。
魅力的なキャラクターは、たくさんのクリエイターの熱意の結晶だということを特にオタク界隈は熟知している。
それは自分でマンガを描いたり、小説を書いてみれば如実に分かる。キャラクターを創り出し、ストーリーを紡ぐのは実に大変な仕事なのだ。

今後どうなるか分からない存在がある。
VTuberのキャラクターとしての権利である。
魂の人」とはよく言ったもので、「キャラ」と「パーソナリティ」のかなりの部分は演者が担っている。
だが、演じている声優さんの名前が表に出てくることはない。ひっそりと引退し、別のキャラクターになって再起をはかる人物もいるという。


VTuber界隈を見ていると、個々のキャラクターとしての魅力もさることながら、箱の中で様々なコラボをして交流する人間関係を観察する楽しみに気付くことがある。
キャラクターの持つ魅力が付加価値になるとしたら、それは個々のキャラクターの持つ魅力だけではなく、キャラクター相互の関係性をも含めた世界観こそが重要になってくる。
そしてそこには、オーディエンスを含めた場の盛り上がりが欠かせないものとして再認識されるであろう。

超歌舞伎

                       (南座・超歌舞伎より)

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