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やさしい物語に救われる

 気がついたら7月も7日目、今日は七夕。行事ごとに疎い我が家は特に何もしない。そういえば子どもの頃この時期になると、父が大きな笹と紙縒りを持って帰ってきていたので、毎年七夕の飾りつけをしていた。
 ほかの行事もそれなりに行っていた気がするので、両親はマメな人たちだったのだな、と今更ながら思う。


 今週も仕事が立て込んでいた。
 水曜日は5時起き6時出発、7時半~20時までほぼ立ちっぱなしで店舗調査をし、21時半に帰宅、という久しぶりに12時間以上勤務をしてしまう。足がパンパンで全身が重い。
 書店員をしていた20代のころはこんな働き方でも平気だったのに、歳には勝てない。もう無理。足のだるさは金曜日の夜まで続いていて、本格的にもうダメ
だ。

ランチ時間は確保!
ここの醤油ラーメンは絶品


 自分だけの時間が取れていない気がしている。取れるとすれば夜しかないのだけど、22時ぐらいになると猛烈に眠くなってしまってもうダメ。平日はお酒を飲まないようにしているけれど、22時を過ぎると睡魔がに襲われてしまう。稼働時間が労働と家事労働のみで終わる日々。できることといえば、SNSをぼんやり眺めることぐらい。

 そんなこんなで、最近とても虚しい。ものすごく虚しくて。わたしを生きる時間がないことがつらい。


 糖尿病になってしまったねこは小康状態を保っている。毎日2回のインシュリン注射の効果が出ていて、血糖値が正常値近くまで下がっていたのでよかった。インシュリンってすごいな。 




 『百年の孤独』はまだ未読というか、手がつけられていない。気持ちに余裕がなさすぎる。
 児童書だったらサクッと読めるかしら、と『どろぼうのどろぼん』(斎藤倫/福音館書店)を手に取る。ものの声を聞くことができる、不思議などろぼうのお話。どろぼんも、どろぼんを捕まえた刑事も、どろぼんを取り巻く人たちも、皆やさしい。

 紙袋に入れられて公園に捨てられていたどろぼん。小さな体に47か所も怪我があり、きずやあざが息をしているみたいだった、どろぼん。
 そんなどろぼんをみたたまよさん(育ての母)は『ああ、この子はほんとうに、愛されてるんだって』と表現する。
 この子の親は、いつかきっとこの子を命の危険にさらしてしまう、でもその前に手放す決心をしたから。手放すことのほうが、殺してしまうより心の力がいる、と。だから愛されている、と。

 なにが起こってもふしぎはなく、なにかが起こらなくても、とくに意味はない。
 なにをうばっても、ぬすんでもいい。
 いいこともないし、わるいこともない。
 どろぼんは、生まれてはじめて、いきることは、おそろしいと思った。
 せかいが、あるじのいない森だとしたら、じぶんであるじになるように、いきるしかない。声の消えてしまった、このせかいで。

『どろぼうのどろぼん』204‐205ページ

 公園というのは、なにかのためにある場所じゃない。
 なんの役にもたたないことが、だいじなんだ。
 この公園は、そういうふうにつくられている、と思った。
 たとえばひとが、世の中のだれにも必要とされず、どこにもじぶんの場所がないように思える日に、落ちつけるところ。
 ほんとうに無力で、意味がなくて、それでもそこにいていいんだって、いってくれる場所。

『どろぼうのどろぼん』235ページ

  やさしい物語が、うつくしい挿絵が、わたしのささくれだった心をそっとなでてくれる。ここ最近の虚しさが、ほんの少し埋められた気がする。


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