見出し画像

『サイレントラブ』の感想

 内田英治監督の最新作『サイレントラブ』。
 書店で平積みされているのを目にしてから、すぐに図書館でリクエストをかけた本だった。予約数は、当時何番目だったかは覚えていないが、手元に来るのに一か月はかかったように思う。
 予約取り置き済みになってからも、しばらく高熱で取りに行けなかったが、取り置き最終日にやっと手に入れて、読むことが出来た。

 内田英治監督を知ったのは、映画『ミッドナイトスワン』で。当時、留学先で初めて見た925秒のトレイラーに、その音楽に、心が震えたのを、今でも鮮明に覚えている。
 色々あって、映画自体はまだ観ることはできていないが、ノベライズ版を読んだときは、何となく想像できていた結末をいち早く確かめんとするかのように、ただひたすら無言の中でページをめくり、疾走するかのように読み切った作品だった。

 その彼が手掛け、私の尊敬する久石譲×角野隼斗さんのタッグで音楽が創られた映画『サイレントラブ』。
 読まないわけにはいかなかった。

 だが、結論から言うと、よくわからない作品だった。

 何がわからないかもよくわからない、気付いたら始まっていて、気付いたら終わっているかのような、水の中に在って、起承転結がはっきりしない感じの、ぼんやりとした感じの話だった。
 この話を通して伝えたかったことが何なのか。よくわからないのは、私の理解力不足からなのだろうか。

 まず共感できなかったのは、主人公の一人である、視力を失った音大生・美夏の心理である。
 同じく、音楽に人生を捧げた私として一言言わせてもらうのなら、ずっと寝ても覚めてもピアノのことを考え、それと共に過ごし、ピアニストになることだけを夢見てきた人間が、いきなり交通事故に遭って視力を失ったとしたら、そう素直にこんなセリフは出てこない気がする。

「ピアノ、一日でも休みたくないの。夢を叶えたいの。のんびりしてたら治ったときに手遅れなの」

内田英治・著 『サイレントラブ』(集英社文庫)p.52

 いずれこうなるにしても、まずは、うんと絶望するのが先だ。
 うんと絶望して。諦めようとして。
 それでも諦めきれなくて、必死にもがいて。
 そうやって初めてたどり着ける境地のような気がする。
 とてもじゃないが、手術後三週間で大学(しかも音大)に通ったり、ピアノを弾いたりは無理がありすぎる設定のように感じる。

 次に、本作品のもう一人の主人公である、声を捨てた青年・蒼(こっちの方がおそらく本命の主人公)だが、彼の再生(?)の物語は、あまりにも緩やか過ぎて、またよくわからない。
 彼は、美夏のひたむきに夢を諦めない姿勢に胸を打たれるようだが、それにしても作中振れ幅はあるものの、世界や自分に対する諦念感がラストで少し軽減される程度で、目立った変化がみられる感じでもない。当然、声で言葉を交わすこともないから、この作品の中で彼が声を失っている意味もよくわからない。

 唯一共感できそうだったのは、物語の序盤では、ポルシェを乗り回し、ギャンブルに手を出す、グレたピアニスト崩れの青年・悠真かもしれない。
 物語序盤の性格は文字通り最悪だが、物語を通し、美夏や蒼と関わることによって、少しずつ垣間見えてきた本来の性格には、少し好感を持てそうになる。
 ただし、ピアノが二度と弾けなくなったことに対して

「俺じつはほっとしてるんだ。これで、ピアノから逃げなくてすむからね」

内田英治・著 『サイレントラブ』(集英社文庫)p.172

というこのセリフは、やっぱり現実味が無くて、少しがっかりした。
 彼も、物語を通して、ようやく、家族のしがらみ抜きの新鮮な気持ちで音楽やピアノに向き合えそうだったのに、そういう可能性すら残さないところの必然性がわからない。

 長々と書いてしまったが、もう少し、過酷な運命に抗おうとする、等身大の人間味だったり、絶妙なリアリティだったりを期待していた私にとっては、少し残念な作品となってしまった。
 是非色々な人の意見や感想を聞いてみたい。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?