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「自分から捨ててもいい」と言った人

2か月ほど前、知人が亡くなった。30年近く前に一緒に働いていた先輩で、訃報は当時の同僚からもたらされた。まだ62歳だった。
そのうち会えるだろうと思っているうちに、20年以上経ってしまった。どうして、当然のように「そのうち会うだろう」と思っていたのか。しばらくは心にぽっかり穴があいたようだった。20年以上も会っていないのに。
連絡をくれた同僚と何度もLINEを送り合った。最近の彼の様子を聞いたり、あの頃のことをなつかしんだり。
彼を「冷たい」「厳しい」と評価する人もいる。それについては、「わかる。でも、彼は自分にもそれ以上に厳しかったから。その厳しさが身を削ってしまったのかもね」と。
「私たちもしっかりやっていかないと、ですね」と話を結んだ。

彼について、忘れられないことがある。
当時、彼とは仕事の関係で二人で飲みに行くことが多かった。仕事人間だった彼とは、仕事のことばかり話していたように思う。
当時、私は親と距離を置きながらも、完全に切ることができないつながりにモヤモヤしたり、イライラしたり、落ち込んだりしていた。自分に甘えることのない娘、必要以上に距離を取りたがる娘、近所で見かける親子のように仲良く出かけたりしたこともない。そんな関係に母もイラついていたのだろう。母には、ことあるごとに「あんたがそんな態度を取ったって、親子なんだから縁がきれることはないんだからね」と念押しをされていた。

その日も仕事帰りに飲みに行き、いつものように仕事の話をしていた。なんの流れだったか家族の話になり、母親からの電話がなによりも嫌であること、母親は私の気持ちを斟酌してくれるような人ではないこと、ずっとこんなふうに憂鬱な気持ちをかかえているんだということを話した。
最後まで話を聞いて、彼は「自分から捨ててもいいんだよ」と言った。
その一言だけ。

今となっては「親ガチャ」「毒親」なんていう言葉を聞くけれど、当時は子は親にしたがうもの、親子は仲がよくてあたりまえ(とくに母娘は)という風潮が強かった。私の状況についても、「お母さんがかわいそうだ」「親不孝なんじゃない?」「大げさなんじゃない?」なんて意見ばかりで、いつしか人に母の話をしなくなっていた。
だから、彼の言葉に驚いたのだ。
でも、結局、なにも答えられなかった。
心の中で「そんなこと言ったって」と思っていた(と思う)。

彼の訃報を聞いて、まず思い出したのはその日のことだった。
やさしい人だったな。
どこにいるんだろう、いま。
そう考えて、空を見てしまう。
おもに、夕方会社を出たときに。

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