当たり前が変わる時

外出自粛が続いているけど仕事の都合で外出が必要になり、ひと月ぶりくらいに電車に乗った。
外はいまにも雨が降り出しそう、と思っていたら降り出した。

電車の中の人はまばらで、窓ガラスをなぞる雨粒がよく見える。

こちらは仕事で仕方なくではあるけど、いまこの電車に乗っている人たちはどうなんだろう。

ほとんどの人がひとりで乗っているので会話は聞こえず、窓が開いているせいか自然音が思いのほか多い。

自分も含め無表情で等間隔に座る人たちは、集団催眠でもかけられて、このまま深い森の奥へでも連れていかれそうな雰囲気を醸し出している。

ただ何事もなく家に帰り着きたい。
本当は寄り道のひとつでもしようかと思っていたけど、とてもそんな気分にはなれない。
これが当たり前になったら人の温もりの感じ方を忘れそう。

ゆっくりと浸食されたら気づかない。

リモートがなかば強制的に導入されたけど、大きな支障らしい支障がない。
適応できるものが生き残るというなら、完全に周りは適応している気がする。
きっと生き残るだろう。

いまの会社に限っていうと、緊急事態宣言解除後でもリモートで仕事をして問題がないことをみんなが気づいた。
同じようなことを感じている人は日本中にいると思う。

アップデートしていくことはもちろんたくさんあるだろう。
それでも働き方が一気に変わる可能性がある。

中長期での影響はわからない。
未来が不確定なのは当たり前か。

立っている人が誰もいない電車。
今まで見たことがないような街の景色。

当たり前が揺らぐ。

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