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#ゾンビと僧 5

幸いなことに私は僧であるから、人の生き死には比較的近しい場所にいる。そこでどうにかして土葬ができないものかと調べてみたところ、埋葬について規定した法律というのがあって、そこでは行政の長と墓地管理者の許可があれば、管理組合から禁止されていないかぎり、土葬はどうやら可能なのだが、そもそも土葬が許可されている地域は非常にすくない。この寺にきて10年近く経つが、いまだに土葬の話はきいたことがない。住職にもきいてみたが、やはり知らないと言う。自治体の職員にも、土葬の事例がないかきいてみたが、この土地ではそもそも土葬が許可されていないので、法的に許可された事例はないとのことだった。ただしこの記録は昭和23年に埋葬に関する法律が制定された以降だから、それ以前はわからない。しかし仮に昭和22年までは土葬が行われていたとして、かれこれ70年も経ってしまっているので、腐乱期はとうに過ぎて白骨化している。だから運よく土葬をみつけて掘り返したところで、彼らはゾンビではない。70年は長すぎるというわけだ。ではゴールから逆算して、埋葬後の経過時間がどれくらいであれば、ゾンビになれるかというと10日以降1年未満といったところだろうか。調べてみると、死後3日くらいから体内でガスが発生して膨張期に入り、10日を過ぎると充満したガスや水分が体外への噴出をはじめる。これが腐乱期のはじまりで、最終的に数ヶ月から数年で白骨化する、とのことであった。死後10日は腐乱期がはじまってすぐだから、少し時間をとって20日から30日くらいで土中から出てくれば、フレッシュなゾンビができあがる。私は一度でいいから本物のゾンビをみたい。
 
僧の務めは衆生を救うことである。仏教の教えで衆生を救うことを衆生済度というのは授業で教わった。衆生とはこの世に迷う生きとし生けるものすべてが対象なので、ゾンビを迷いの衆生とみなすことは可能だろう。なぜならゾンビとは成仏できない霊魂がかつての肉体をかりてこの世にふたたびあらわれた存在であるから、彼らはじゅうぶんに衆生だ。その証拠にゾンビは常に攻撃的である。救われない魂は現世への想いがフィジカルに力学系として表出するので、生者にとっては驚異だ。この状態はゾンビと生者の双方にとって不幸なので、私は僧として彼らを成仏させて、穏やかな死後の世界に導く使命がある。
 
問題がある。ゾンビがいない。“ないものは作ればいい”といったのはゴジラ映画の円谷監督だが、さては私もゾンビをつくったものか。今までさんざんにゾンビとその周辺について話してきたわけだが、そろそろ実践が必要であろう。仮説をたてて実行するのは、物事を前に進めるには必要なアプローチなわけで、とかく僧はこういうときに仏典をひもとくなどして抽象に行きがちだが、私はそういう僧のスピリチュアルなところが嫌いなので、ここはひとつ踏ん張って素直にチャレンジしたい。つまり理科の実験みたくゾンビをつくってみよう。

つづきます

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