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寸感 映画「TITANE」(加筆あるかもです)

 取り急ぎの感想。


 映画にかかわらず、何かを鑑賞して自分の中で評価をつけるときに、あまり「共感できた・できなかった」を評価軸のひとつにしないように意識的に心掛けているのだけれど、今作についてはあまりに自分の物語としてどろどろと消化しすぎることができてしまうものだった。映像もよくまた音楽がとってもクールだったので、パンフレットまで買ってしまう始末だ。

 とりあえずジュリア・デュルクノーは、彼女のほうがグロ耐性があってそのへんの性癖については多分完敗なのだが(作中、痛覚に訴えてくるシーンが多い。特に前半。〇し方が生々しいし嫌~!でもそこは演出とか主人公の人物像に必要なところだと思うので仕方ないとは思う…)、個人的に相性のいい監督だ。はっとするカットや好きなシーンが多い。しょっぱなのダンスシーンがすごい良かった。前半の騒々しさやおどろおどろしさと対比する後半の穏やかさ。対比という意味では画面のライティングについてもかなりそれを意識して撮影していると感じていたらパンフレットにそう書いてあったので、やっぱりなあとなった。


 既存の「他者との愛し方」を教科書通りにできない人間は、愛し愛されたいと願った瞬間が悲劇でしかなくなるだろうと考えたことがある。

 例えば、人を殺すことでしか愛を表現できないもしくは充足感を得ることができない人間に自分が生まれていないことはまったくもってラッキーだとしか言いようがない。その潜在的な殺人癖の人間は、戦争で兵士にでもならない限り充足した人生というのはやってこずそれを他人に祝福されもしないのだから。

 この物語は、そんな悲劇を背負った人間同士が幸運にも愛し愛されるかたちを獲得する話。血とか体液でどろどろの表面のコアはこんなにもピュアなものがありました。例えそれが他者から見れば、批難されたり好奇の目を向けられるやり方であったとしても。2人の間では、人と人との間では本来様々な愛し方が自由に展開されるべきであり、お互いがそれを許している幸福。

 間違っているかもしれない愛し方、についてはかなり自分に身に覚えのあるもの(例えに出した殺人ほど過激ではないが)なので、あまりしないようにしている感情移入というものを珍しくせずにはいられなった作品。

 この映画が、映画としてはかなり不親切で見づらい(この後に見た「アネット」が見やすすぎたのかしら)にも関わらずパルムドールを獲得できたということが自分もうれしい。設定だけで言えば「パラサイト 半地下の家族」とちょっとかぶるところもあり、カンヌの審査員たちの好みなのかしらんとも思った(とはいえ、審査員に誰がいるのかとかどんな審査方法だとか、審査方法があるのならそれは毎年審査員が変わるのかとかなにもわからない)。



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