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入社半年、突然の休職


今年の4月から社会人になり、半年が経とうとしていたある日。

私は突然、「休職」することになった。



異変が起き始めたのは、
入社2ヶ月目のとある出来事がきっかけ。


研修を終えて、ようやく希望の職種につけた私。
大変ながらも楽しいドタバタな毎日を過ごしていた。


私の会社では毎日、日報を書く決まりがある。

ある晩に上司から長文の書き込みが投稿されていた。


内容は詳しく書かないけど、期待値が高かっただけに
その期待に見合うような頑張りが上司には見えていなかったらしい。


その意が、なかなかの鋭く厳しい言葉で並べられていた。


日曜の深夜に投稿されたその言葉たちを見た瞬間、
目の前が真っ暗になり、ドバッと涙が溢れた。

そして、こんな言葉が同時に浮かんできた。

「ああ…。私、期待に添えなかったんだ。悪いことをしてしまった。」

期待に応えることが生き甲斐だった私にとって、上司のその言葉は、
今の職場で初めて「期待に添えない自分」への「ダメ」レッテルを貼った日だった。


その一件があってから、心に刺さった鋭く長いことばの矢が抜けず
会社に行っては泣き、家に帰っても泣いていた。

ただ悲しくて、つらくて、苦しくて。

何度も何度もやめようと思ったけど、辞められなかった。

周囲にそんな私の姿を心配し、声をかけてくれる人がたくさんいたから。
そこに救われて会社に行き続ける選択だけはできていたように今では思える。

その後、周囲の支えもあってなんとか回復し、上司とも話して和解したものの、

心に一度芽生えた“ダメな私”と“周囲に対する恐怖心”が
スッキリしないまま、仕事を続けていた。


仕事に本気になっていることを見せないといけない。
そうじゃないと私はこの場所に居られない。ふさわしくない。


研修の頃は自分の“安全地帯”だと思って楽しく行っていた会社という居場所が
ジワジワとそうではなくなっていった。


この一件があってから、周囲の教育も以前より喝が入り、
それについていくのに必死で食らいついていた。

「できない自分」に何度も押しつぶされそうになって。
そんな自分が受け入れられなくて。

「社会人1年目なんだから、できなくて当たり前」


それを頭に何度も言い聞かせるのに、体と心がそれについていかない。

何度も行きの電車で「仕事 辞めたい」と検索し、
それでも「本当にやめていいのか?」という思いが何度もよぎる。


それでも、少しづつだけど前に進んでいるような気がしていた。



そんな矢先のことだった。

毎週の会議に向けて資料を探しているときに、
とつぜん動悸と息苦しさ、鳥肌が出てきてしまった。

追い打ちをかけるかのように、
家庭内でもある出来事(この話は後日)が起こり、さらに心はズタボロ。


会社に行こうと足を進めるのに、
足が前に出ていかない。


ただただ、体が重い。

主治医のところへ行って、事情を話すと、
涙がポロポロ出てきた。

自分でも、なんで泣いてるのかよく分からなかった。


主治医:「完璧主義なところがあるようですからね。さらに自分で自分を追い詰めてしまっているのかもしれません。一度仕事を休んでみるというのはいががですか。」

私(心の声):「え、休んでいいの?そんな簡単に?
        だって私まだ動けるし外にだって出れるのに…」

あまりにさらっと発されたその言葉が、
急に現実的になった「休む=休職」という言葉が、
なぜか素直に受け入れられなかった。


休む前は、休職っていう選択肢もあるのか〜くらいのテンションでいたのに、
実際に言い渡されるとなぜか重い。


休むことに対する10%くらいの安堵感と
90%の罪悪感に包まれてるような感覚だった。


病院からの帰り道。

進んでいる仕事のこと、休んだら先輩や周りに迷惑をかけること。
いろいろなことが頭をよぎった。

休職しちゃったから仕事変えないといけないかな、とか
復帰するときどんな顔して会社に行けばいいのかな、とか。

だけど、ある人から言われた。


「休むことも権利だから。とにかく今はゆっくり休むといいよ。」


権利か…。


権利ねえ…。


って、最初は素直に受け入れられなかったけど(笑)



でも、今は少し休んだおかげもあり「まあ、ひとまずはそう思ってみてもいいのかな」くらいには感じられるようになった。


それは、「私頑張ってたじゃん」って少しずつ思えるようになったから。


慣れない生活、慣れない職場、慣れない人間関係。


バスと電車を乗り継いで、
満員電車に揺られて。


周りにいる社会人も頑張ってるんだからって自分を鼓舞して。


電車で寝てる人見ると、日本の社会人ってこんなに疲れてるんだな、とか1人で勝手に絶望して(笑)


全てがこれまでの学校生活とは違う世界。


責任の大きさも、人との関わり方でさえ神経使うのに、
「仕事だから」っていう言葉で、自分の中の「しんどい」気持ちに蓋してた。


あの時の自分を振り返ると、今はこう思える。


慣れない環境の中で、
与えられた役割を自分なりに頑張ろうとしてたよね。

よく頑張ってたねって。

そう思えたら少し楽になった。

サボってたわけでも、ズルしてたわけでもない。


休むことも権利なら、少し休んで、また徐々に元の場所に帰ればいい。


帰る場所が元の場所じゃなくてもいいと思うし、
そういう決断を休むときにするのも大変だから。


少しづつ元気が出てきたら考えたらいいのかなって、今はそう思っている。


「休職」をすることに対して
罪悪感を抱く人は私以外にもいるのかもしれない。


でも、その選択をすることも、あなたに与えられた一つの権利だよ。

心のSOSに蓋をして壊れちゃうくらいなら、
壊れる前に、決断できる余裕があるときに考えてみてほしい。

ずっとフルマラソンじゃ疲れちゃうから。
少し休憩して走る、また休憩して走る。

それでも一歩ずつ前に進めているならそれでいいし進めてなくても、
生きていればそれでいい。


私も今後どうなるかわからないし、
今のところ会社に戻るつもりでもいるけど、正直少し怖い。


やっていけるのかなって。
また休んで迷惑かけないかなって。


だけど、それで休んでいる自分を責める必要はない。

今は「休む」という自分の権利を全うしてほしいし、
私もこの権利をそう使いたい。



一歩一歩、進んでいけたらいいね。


ここまで記事を読んでくれてありがとう。

時間をかけて読んでくれた、それだけですごく嬉しいです。




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