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義務教育、勉強しなくてもいいと思う話

こんにちは。

就職活動で大切だと耳に胼胝ができるほどいわれる「自己分析」を最近よくしています。その中で、小中学生って勉強する必要あるのか?と思ったのでこの記事を執筆しています。息抜きです、息抜き。

先日、部屋の掃除をしていたら、小学生時代のテストがいくつか出てきたんです。なんとその点数は30点。自分では小学生時代そんなに頭が悪いとは思っていなかったため、え?と頭にはてなマークがたくさん出てきました。どんな間違いをしているのか見てみると、文章を最初の一行読んで答えを書いているんだなということが容易に想像できました。だって、その後の問題文に私が書いた答え書いてあるもん。そこで思い出したんです。私は小学生時代、全国なんちゃらテストで全教科平均以下、30点以上取ったことがない所謂本当のおばかちゃんだったことを。

文章問題を読むことができず、ましてや問題を理解することもできずに意味の分からない答えを書くタイプの子でした。

今となっては昔のこと、気になったので母に私は昔どんな子だったのかを聞いてみました。そうしたら「小学6年生のとき、家庭訪問で先生が去り際に、娘さんの成績だと、本当に今後が心配ですって言われたことはあるよ」と。大爆笑。確かに、問題文が読めない、平均点すら取れないんですから、先生の言う通りですよね。

しかし、母は「余計なお世話ですって言いたかったね、勉強よりも外で遊んだり、あんたのやりたいことをやらせてあげたかったから、勉強しなさいとも言わなかったの、まあ(成績に関して)少しは心配だったけどね」と言われた時、確かに勉強しなさいって言われたことないな、と思いました。今思い返せば、習い事に関しても母はやりたいと言ったらすべてやらせてくれていました。ピアノ、バレエ、体操、そろばんなど。「たくさんのことを経験してほしかった」と母は言っていました。「勉強は今後の人生で、いつでもできる。でも、色々な経験はいつでもできるわけではないでしょう?」と。

中学時代も部活はバレーボールで、小さな大会で優勝するようなちょっとやる気ある部活でした。部活以外は趣味、遊びに没頭。授業は朝練の疲れで熟睡。ましてや私の中学は授業中静かになることはおろか、自転車が廊下を走っているような問題児がたくさんいる学年だったため、勉強しなくても怒られることはない。しかし、このままではまずいとさすがに自覚して勉強を始めたころには中学2年生。受験のために塾にも行って勉強し、とあるスポーツで有名な私立の単願で第一志望校に入ることができ、成績もそれなりに良い方でした。

というように、私は義務教育の期間ほぼ勉強していませんでした。しかし勉強しておけばよかったと後悔も特にしていません。勉強よりも重要な生き方を学び、尊敬できる人に出会い、大切な過去の思い出が今の私を作っているからです。私は、生きる上で失敗はないと思っています。失敗しても成功しても経験になり、話すネタになる。何度うまくいかなくたって、すべてが終わるわけじゃない。こう思うようになった理由は、昔やりたいことはなんでもやらせてくれて、間違い、失敗をしても受け入れてくれる環境があり、多くの人に触れ、学んだからなのかなと感じています。

勉強は成績という形で目に見える一つの指針であり確かに大切ですが、それよりも大切なことは他にあると私は思います。それ以降の生き方は、幼少期どんなことを感じ、どんな環境で生活したかで変わってくる。だからといって勉強しないというのは話が違うという方もいると思います。これは私の、一つの意見にすぎません。だから、勉強がすべてだという人を否定するわけでもない。ただ、もしお子様がいる方は、聞いてみてほしい。「何か、習い事とかやってみたいことある?」と。人生は一度きりです。決まった生き方なんてないし、やりたいことをやればいい。楽しければそれでいいじゃない。人は自由なんだから。

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