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#人生

セミ理論

セミ理論 初めて聞いたと思う。 僕以外でこんなに『くだらない考え』をしてる人がいないからだと思う。 そんな話をしていく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『セミ』と聞けば何を思いつくでしょうか。 ・短命の生き物 ・7年も土の中で我慢して、1週間しか生きれない。 ざっとこんな感じかと思います。 でも僕はこうは思いません。 こう考えます。 ・7年1週間も生きれる長寿の生き物 ・7年間土の中でめちゃめちゃ楽しんでるかもしれない。いや、楽しんでるに違いない。

人生は選択の連続だ。村からサンフランシスコに移民するとき、嫁になってくれと言われて断った妹が99、代わりに嫁になった姉が17で天国に行った。  

「人生はチョイスや」 90歳になるヨネさんから英語が飛び出した。 「これ誰だと思う?」 ヨネさんは、仏壇の引き出しから 古い写真を取り出した もちろん、白黒で被写体は頭を カボチャのような島田に結っていた。 写真は真っ二つに破れた跡があった。 セロテープなどない時代の写真らしく、 後ろには森永のキャラメルの外箱を糊付けして張って、 つなぎ合わせてあった。 「ヨネさんの若い頃?」 「いや、アタシのお姉さんやよ」 「ええ、ヨネさん、長女だとばっかり思ってた」 「ワシが14の時やっ

いい仕事がしたい 1

実は就職して30年目なんですよ。 で、ずっと考えていたことがあります。 「いい仕事」って何でしょうね。 定義は人によって千差万別ですよね。 では、自分にとっての「いい仕事」とは何だったのか。 そもそも「仕事」にいいわるいがあるのか。 自分が満足すれば「いい仕事」という面もあるでしょうね。 自分はこれまで、どんな仕事ができたら満足してただろうか。 「満足したらそこで成長が止まる」 なんてことも耳や目にして、「満足する」ことを 意識的に避けてきたような気もします。 また、

「ネガティブ思考」より「ポジティブ思考」で機嫌良く No.494

=========== 2022年5月10日 「DAYONE日記」No.494 本ブログは、何か新しいことを始めるきっかけになることを書いていきます。365日、1日も欠かさず発信します。プロフィールは以下の通りです。 https://editor.note.com/notes/nbb31358271e4/edit/ =========== 仕事をしているとよく出会う場面が 「できない理由」を並べられることです。 営業でも企画でも管理でも どんな部署でも起こるように思えます

今日の新聞[2021.12.31]

「人生は、ものごとを面白くしたものが勝つ」 朝日新聞「折々のことば」で取り上げられていた、朝比奈ゆか『阪神タイガースファン名言珍言集』からの一節です(2021.12.31. p.1)。 来年の私のキーワードにしようと思いました(^^♪

五月目標

今月で僕は20歳になります。 もう子どもではなく大人の仲間入りです。 鯉のぼりを見ると「もうそんな時期か。」 と1年経つ早さを感じます。 今日は五月の目標を書いていきます。 投資を始める20歳をいい節目にして、投資をスタートさせようと思います。 今や投資は当たり前にしなければいけない時代です。 まずは小さくコツコツやっていこうと思います。 まだ日本人口の2割しか投資をしていないのは驚きです。 まだまだ、勉強は足りていないですが、最低限の知識はあるので投資の世界に

【恋愛編】ググる恋と、ググらない恋

過去の恋愛と気付いたことを、のんびり、ゆるーく思い出しながら書いたnoteです。 ■薄っぺらくて、ちょっとエモい

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成長のための「3つのかく」

こんばんは。sugi.kです。 今日も普段から選手に話していることの一例を紹介させて頂きたいと思います。 これから紹介するのは選手の自主的に意識レベルを向上させるための取り組みです。 私は選手に次の「3つのかく」を習慣化することを求めています。 ・主体的に「汗をかく」(練習する)        ↓ ・積極的な「恥をかく」(ミスを怖れずにチャレンジする)        ↓ ・自主的に「文字をかく」(成功/失敗をノートに書いて振り返る)これをサイクルとして習慣化することが大

自意識過剰を捨てること

新しいことに挑戦するときに誰かの目が気になってしまうときがある。 誰かが見ているという事実が、自分の行動を狭めているような気がした。 「お前のことなんて誰も見てない」 ネットか何かの広告かどうかは全く覚えていないけど、どこかで見たこの一文がきっかけで、僕の中の何かが弾けた。 確かに僕のことなんて誰も見ていないのかもしれない。当時の僕は誰かに見られているという自意識が過剰過ぎた。 誰よりも人の目を気にしていた僕は、この一文に魅了されるがままに、ブログを始めたり、イベン

普通って何だろう?

「普通って一体何なんだろう?」 こんなことが頭に浮かんだ。昔友人から「普通じゃないよね」と言われたことがある。この言葉が褒め言葉だったのか、それとも卑下した言葉なのか。その問いの答えは今もわからないまま。 世間一般の普通はもしかしたら自分の普通の基準とは違うのかもしれない。人一人ずつにそれぞれの「普通」があるから、無理に自分の枠組みにはめこんでしまうのは難しい話。 これだけたくさんの人がいる中で、自分の普通に当てはめる方が難しいと思う。本来は人の数だけ普通があってい