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#04 日本の未来はどうなるか。 国家の衰亡について調べてみた

2050年、日本は没落するといった森嶋道夫

黒木氏と同じように、ロンドンに長い間住み、外から日本を見て、その衰退を予見した人に、経済学者の森嶋進夫がいる。
 
森嶋氏は、1942年に当時の京都帝国大学経済学部に入学。翌年、20歳で徴兵され、帝国海軍に入隊。通信担当として、特攻隊、戦艦大和、沖縄戦など日本海軍の敗戦への道のりを経験。戦後は大学に復帰し、京大経済学部助教授などを経て、40歳で阪大経済学部教授となる。その数年後、イギリスに渡り、エセックス大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授となり、定年まで20年間、イギリスで過ごした。

森嶋氏が、太平洋戦争から戦後の高度成長、バブル崩壊までの日本の変遷を踏まえて書いたのが、「なぜ日本は没落するか」である。1999年に発刊され、今日まで重刷を重ねている。この本の中で、森嶋氏は、2050年頃の日本を「没落する」と見通している。

今年購入。1999年の発刊以来、15刷を数える。

森嶋氏の没落論

森嶋氏の日本没落論は、次のようなものである。マルクスは経済が社会の土台と考えたが、氏は「人間」が土台と考える。経済は人間という土台の上に建てられた上部構造であり、人間こそが社会のあり様を決めている。将来の社会を予想する場合、人間が量的・質的にどう変化するかを考えればよい。
 
そこで、2050年の日本を予想してみる。まず、人口だが、国立社会保障・人口問題研究所の1997年当時の推計では、2050年の人口は中位推計で1億5万人で、当時の1億2557万人から2割減る。2050年には、田舎だけでなく都会でも過疎が発生し、空き家や空きビルが増える。

さらに、人々は、将来人口が減るなら生まれてくる子どもはより大きな負債を背負うことになり可哀そうだと考えて、一層子供を産まなくなり、出生率が低下するから(理由はともかく、出生率の一層の低下という予見は当たっている)、2050年の総人口は低位推計(9231万人)に近く、1億人を割っているだろう。
 
他方、出生率低下に比べ高齢者の死亡率は下がらないから、高齢者比率は高まるだろう。

森嶋氏がこの本を書いてから四半世紀経つが、人口減少・高齢化については、森嶋氏の予想通り、出生率は上向かず、人口の低位推計に近い水準で低迷していることは周知のとおりである。

戦前教育、戦後教育

森嶋氏の議論が面白いのは、社会の基礎を「人間」に置きつつ、「人数」の予測だけでなく「質」の変化にも注目した点である。

森嶋氏は、政官財の日本のリーダーを構成する人々を、彼らが受けた教育の内容に沿って、戦前教育世代、戦後教育世代、過渡期世代の3つに分類する。「戦前教育」は、「忠君愛国、挙国一致を促進させるような教育」である。「国民道徳の規範は政府によって一方的に定められ、学校は産業側の労働需要に応じるように、多様化されており、高等教育も高給職に将来就く人を供給するだけに制限されていた。だから大学はエリートを育成するためのものだった。」
 
こういう教育体制は、占領軍が主導した教育改革によって一変した。この新体制による教育が「戦後教育」である。それは次のような特色を持つ。中等教育は複線路線でなく、特殊な職業に適した専門家された学校を最小限にしか許さない単線路線のものにさせられた。高等教育機関はエリート養成のための専門教育ではなく、市民のため国民のための高い水準の教育をつける所と考えられるようになった。また、国家が必要とする高い意識を生徒や学生に教え込むという姿勢は教育の場から一掃され、自由主義、個人主義が教育の根幹となった。

「戦前教育」と「戦後教育」の違いが没落の契機となる

戦前教育を挙国一致を促進する「全体主義、国家主義」だとすれば、戦後教育は「自由主義、個人主義」であり、特に高等教育について、前者が「国を担う少数のエリートの育成」を目的としたのに対し、後者は「国民全般の教育水準の向上」を目的とした。戦後の教育改革により日本の教育は一変したが、その社会への影響は段階的に現れた。
 
戦後間もない1950年代は、政官財のリーダーは「戦前教育」を受けた人々であり、「戦後教育」を受けた人たちはまだ子どもだった。
1960年代、70年代に「戦後教育」を受けた若者が増え始め、1980年代には純粋戦後派の家庭に生まれた子どもたちが社会人となっていった。他方、政官財のリーダー層はまだ「戦前教育」を受けた(あるいは影響を受けている)人たちが多かったから、純粋戦後世代の若者を「新人類」と呼んだ。

こうして、1990年代以降、戦前教育を受けた「大人社会」の理念(全体主義、国家主義)と戦後教育を受けた「子供社会」の理念(自由主義、個人主義)の間の接合がうまくいかないまま、前者が後者によって押し切られていった。戦後、日本社会が自由主義・個人主義になるならば、本来、大人社会の側は自分たちの社会道徳や気風を変えていき、子供社会の方は自由主義・個人主義について生徒相互に徹底的な議論を行って深く学び、両者が融合していくべきなのに、そのような展開はみられなかった。

その結果、森嶋氏は、1990年代末には、日本社会は戦前教育を受けた政財界の上層部と戦後教育を受けた若手層とが混在しており、リーダー層の多くが戦前教育を受けた世代という意味で、エリート主義や儒教的職業倫理が残っていたとする。

(次号に続く)


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