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#02 日本の未来はどうなるか。 国家の衰亡について調べてみた

2大巨頭、高坂正尭と中西輝政の衰亡論

 次に、高坂正尭氏と中西輝政氏の衰亡論である。それぞれ、国家の衰亡についての著書があり、そのエッセンスをご紹介する。
 
まず、高坂正尭氏の「文明が衰亡するとき」(1981年)である。この本は、1970年代の2度のオイル・ショックを経て、経済成長率が10%から5%に低下し、日本が高度成長から安定成長に移行した頃に書かれた。

高坂氏は、京都大学教授で日本の国際政治学に大きな影響を与えた国際政治、外交の専門家である。私は、社会人になりたての頃、氏の「海洋国家日本」という構想に興味を持ち、成長が鈍化(といっても5%程度は成長していたのだが)した日本の将来に漠然と不安を感じていたこともあって、この「文明衰亡論」を興味深く読んだ。

これは1982年に購入したもの。現在も、装丁を変えて新潮選書として販売されている。

もう一冊は、中西輝政氏の「なぜ国家は衰亡するのか」(1998年)である。中西氏も京大教授で、保守論壇の論客として知られ、歴史、外交、文明論など多くの著作がある。この本が書かれたのは、高坂氏の著作から17年後、バブル経済が崩壊し、金融機関が破綻し、アジア通貨危機が起きるなど、日本経済の低迷が始まった頃である。国家公務員だった私は、国家の衰亡ということに大いに関心を持って読んだ。

これは2000年に購入したものだが、今でもPHP新書として販売されている。

衰亡とは、国の衰退が続いて亡ぶということである。高坂氏は、ローマ帝国と海洋国家ヴェネツィアの衰亡について、中西氏は大英帝国、ローマの衰亡と江戸時代の改革について、原因や背景を論じている。

亡国論の効用

まず、亡国論について、高坂氏は、次のように述べる。

亡国論は、後ろ向きではないか。それよりも、いかに国を活性化するかを考える方が建設的だ、という意見があろう。しかし、衰亡論は成功者を謙虚にする。「衰亡の原因を探求して行けば、われわれは成功のなかに衰亡の種子があるということに気づく」。そして、「豊かになることが、人々を傲慢にし、かつ柔弱にするので文明を衰頽に向かわせるということは、何回も何回も論じられてきた」。

また、「衰亡の物語は複雑な物語である。衰亡の過程は一直線ではない。衰えを見せた文明がまた活力を取り戻すことは何回もあるし、解き難い問題をかかえ、力に衰えを示しながら、長期にわたって生き長らえることも少なくない。」

だから「衰亡論はわれわれに運命のうつろい易さを教えるけれども、決してわれわれを諦めの気分におとしいれることはなく、かえって運命に立ち向うようにさせる。」それは、われわれに人間の営みの「有限性と共に、それ以上のなにものかがあることを教えてくれるからである。」

氏は、このような考え方に基づき、当時、衰退に向かうのではと思われたアメリカと通商国家として成長してきた日本の未来について論じている。結果的に、アメリカ経済は、製造業からサービス業、インターネットなどのIT産業へと構造を変え、社会の分断など様々な問題を抱えつつも衰亡することなく成長・変化し続けている。

大衆の政治参加と国家の経済的繁栄が衰亡をもたらした?

ローマ衰亡の原因について、高坂氏は次の4つを挙げる。
①蛮族の侵入(北方のゲルマン民族の大移動)、②人間説(ローマ建国を担った政治エリートの消滅、ローマ人の美徳の喪失など)、③自然的要因(気候変動による農業の衰頽)、④政治・経済要因(共和制が崩れ専制政治に移行、農奴制の崩壊)。

この中で「人間説」については、日本の場合も参考になるだろう。「ローマ帝国衰亡史」を著したイギリスの歴史家ギボンは、ローマ帝国が「遅緩で、秘密の毒素」を注入され、「人々の精神は漸次同一の水準に低落し、天才の焔火は消滅し、軍事精神さえも蒸発した」と述べている。
 
高坂氏は、この「遅緩で、秘密の毒素」という比喩は、ローマの大衆社会化を指しているのではないかと推察する。ロシアの歴史家ロストフツェフは、ローマ帝国内で「漸次的水準低下を伴う、下層階級による上層階級の漸次的吸収」が起こり、「いかなる文明も、それが大衆に浸透し始めるや否や、衰微せざるをえないのではないか」と述べる。裁判で「喝采屋」が雇われ、審判員の判断に影響を及ぼすようになり、弁論の質的低下や野心家による大衆利用をもたらしたことなどが例に挙げられている。

ローマの共和制については、モンテスキューが「ローマ人盛衰原因論」で2つの変化を挙げている。
一つは、軍隊の「私兵化」である。帝国の領土拡大は軍の拡散を招き、その結果、地方勢力が私兵を持つことを許す結果となり、これが祖国愛の頽廃を招いた。もう一つは、ローマ市の繁栄である。その結果、私利追及の精神が強まり、市民間の格差も広がった。こうして、「美徳の喪失」が起きた。

参政権の拡大(大衆の政治参加)と国家の経済的繁栄は、中世から近世、現代にかけて国民が勝ち取ってきたものである。それによる政治や社会の大衆化、経済発展が、結果的に国家衰亡の原因となったとすれば、何とも皮肉なことだ。

高坂氏は、ローマ衰退の原因について、様々な分析をしておられるし、素人の私が安易な断定はできない。しかし、「衰亡の原因を探求して行けば、われわれは成功のなかに衰亡の種子があるということに気づく」という高坂氏のことばは、民主主義国家に生き、経済的繁栄を謳歌する私たちに、根本的な問題を投げかけていることは確かである。

(次号に続く)

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