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精神科医からの二次被害~私の原体験~

 拙著「わたし、虐待サバイバー(ブックマン社)」では描ききれなかった児童精神科医からの二次被害について詳細をnoteに書きたいと思います。なお、書籍出版前の書きなぐった原稿をそのままコピペしているため、きちんと自分で編集していないものを急遽、掲載しています。内容が重複していたり、文章として読みにくい点はご容赦ください。

精神的な病を治療してもらうために受診したのに、精神科医や臨床心理士(公認心理師)から心ない暴言や傷付く発言をされ、二次被害(人権侵害)に遭った人は少なくないのではないでしょうか?以下は、書籍ではすべてを収録できなかったため、カットされた原稿です。途中、腕をリストカットした実際の写真を公開しているため、精神的に具合が悪くなる方はくれぐれもご注意ください。各自の判断で読み進めて頂けたらと思います。

精神科で治療ではなくトラウマ(PTSD)に

 私は、二十代後半に市役所で勤めていた際に、あまりに病状が悪く、子供時代の虐待被害の苦しい体験のフラッシュバックが止まらなくなったり、それによって、フラッシュバックがあまりに苦痛で大声で叫んでしまったり、怒りのコントロールが全く利かず、無関係な他人にまで暴言を吐いてしまったり、毎日のように七転八倒するくらい症状の酷さが止まらなくなるくらい状態が悪化したとき、「子どもの虐待」を専門にしている全国的に知名度も高く、評判もとてもいい児童精神科医に診てもらうことになりました。
 
 私は田舎街に住んでいましたが、児童虐待が専門の精神科医が、田舎の病院に札幌から出張医として毎週外来診察に来ているという噂を役所で聞き、評判もとてもいいし、何より「児童虐待」が専門ということで、自分の子ども時代の虐待による後遺症を理解してもらえるのではないかと思い、是非診てもらいたいと思ったのです。その児童精神科医が書いた児童虐待に関する論文も初診前に、事前にインターネットで無料配信されているものも読みました。私は「この医者ならきっと私の病状を理解してくれる!」。そう大きな期待をして自分からその児童精神科医を希望してかかりました。
 その児童精神科医は、児童だけでなく、大人の診察も受け入れていました。
 しかし、私の子ども時代の虐待体験をその児童精神科医に、診察で丁寧に具体的に話しても、なかなか医者に伝わらず、興味も持ってもらえず、職場で社会適応できず困っていること、精神的な情緒の不安定さが大人になってからもずっと酷いことを伝えても、<大人>の私には、向き合ってもらえず、初診から半年が過ぎても、私は病状の理解と解決に糸口が見えない日々が続きました。
 
 主治医である児童精神科医に、診察で子供時代からの私の生い立ちを詳しく話し、親から酷い虐待があったこと、親が離婚再婚を繰り返す家庭で、食事も作ってもらえず、DVや私への暴言・暴力もあり、高校も家庭環境の悪さで中退を余儀なくされたことなど、機能不全家庭でずっと不安定な中、育ってきたことを一生懸命に話しても、特別、理解を示してくれるような反応や回答もなく、生育歴を丁寧に話した次の診察では、もう私の生育歴はすっかり忘れているかのような診察をされるのでした。

 「虐待とかではなくてね」と言われた時は、物凄くショックを受けました。「もう大人のあなたが、今、いったい何に困っているの?」と軽く言われた時は、大人であっても困り果てているから病院にわざわざ診察を受けに来ているのに、大人は何も困らずに生活できていると勘違いでもしているんだろうか?と思うような無理解な発言ばかりをされました。

 職場で暴走が止まらず、困り果てているという切迫した状況や精神的にも追い詰められていることを話しても、その児童精神科医にはそれが伝わらず、「気分転換してね」など解決にならない回答ばかりされるのです。
 そして、病状が酷く悪化したとき、職場でも冷遇されてしまい、どこにも自分の安心できる居場所がなくなってしまった私は、駆け込み寺のように、その児童精神科医の病院に自分から希望して入院しました。

 主治医だった児童精神科医は、50代前半の医者としての経験も充分に積んできて、まだ体力的にも精神的にも医者の仕事をやる気のある精力的な医師でした。日々の診察の傍ら、あちこちの講演会で講演したり、とても忙しく熱心に精神科医の仕事に尽力している方でした。

 一見、物腰は柔らかく穏やかで、笑顔で診察をしてくれるものの、私としては何度、真剣に子ども時代の虐待被害を説明をしても、どうも理解してくれていないという感触を受け続けていました。私は追い詰められて切迫していて必死で診察で助けを求めているのに、主治医である児童精神科医には、その切迫さが全く伝わらず、いつも診察は無理解で共感している態度はするけれど、実際のところ、何も伝わっていない、共感してくれていない、「大人」の私には興味すらないと私は感じていました。

 一方で、私以外にもその児童精神科医に診てもらおうと病院の待合室にいた子どもと親は、私の診察より倍以上は長い時間の診察をとっていることも見えていました。患者の中には、診察室から出てきた高校生くらいの少女が、「こんないい先生に出遭ったの、初めて!」と嬉しそうに言ったり、「私には、電話でも相談に乗ってくれるの!」と私とは全く違うというくらい、熱心に子どもは診ていて、大人の私とは明らかに差別されているな、と感じていました。

 その児童精神科医は、若い頃から子どもの虐待を多く診察してきており、経験も豊富で大人も診察を受け入れているのに、この児童精神科医は、虐待の後遺症は子どもだけに起こるものだという認識が強かったのか、あるいは、大人の虐待被害者への理解や臨床経験が乏しかったのか、私は、病気ではなく、性格、人格の問題であるというような疑いをかけられた診察をされ、あらゆる暴言を吐かれました。

 家で辛くて泣いていると診察で伝えても「へー。あなたでも泣くことあるんだ~」と嫌味を言われたり、「もう大人なのに、何で困っているの?」と嫌味を言われたり、「職場に出す診断書に、羽馬さんはわざとやってるわけじゃないから、って書いておいたから!」とキツイ言い方で言われたり傷つく対応ばかりが続きました。

 私の説明不足で伝わっていないのだ、と焦燥感を募らせるばかりで、もっと理解してもらわなければと切迫し、診察回数を増やしてほしいとお願いしたら、「僕はあなたを診ている暇はありません!!」とキツク怒鳴られたこともあります。
 一方的に怒鳴られた診察の後は、一週間ほど、うつ状態になったり、病院から出た後、病院の裏の駐車場の片隅で、一人で大泣きしたこともありました。

 とても評判のいい全国的に有名な児童精神科医だったため、私は実際に受けた診察と世間の評判との間に大きなギャップを感じていました。評判があまりに良いため、どうしても評判の方に先入観があり、いい医者なのだと思い込んでいたのです。
 「きっと、私の説明不足だったり、診察回数が月に1回だから伝わりきっていないだけなんだ」と思い、評判の方を信じて、私の方から理解してもらおうと、努力を続けるのでした。月1回の診察ではどうしても状態が酷いことが伝わらないと思ったため、月2回の診察をお願いしたら「あなたの希望どおりに2回に入れたから!!」とひどく陰湿な言い方をされたこともありました。

 何も迷惑をかけることすらしていないのに、どうして、そんなに私にはキツイ言い方ばかりして、辛い思いをさせるのだろう....?どうして診察で怒鳴られ、泣かすのだろう?どうして、待合室の子どもたちや、高校生の女の子には、とてもいい先生だと嬉しそうにいつも話すのだろう?どうしてなのだろう?と、混乱する日々が続きました。

 病状への理解も、具体的支援が何もない中、自分は何かの障害ではないか?発達障害ではないか?など、自分の症状とインターネットや書籍で読んだ障害の症状を調べ、一致する部分を探して、この頃は、おそらく発達障害もあるのだろうと、自分で思うようになり、主治医である児童精神科医にもそのことを訊いてみました。すると、主治医からは、おそらく発達障害もあるだろう、と言われました。だけど、職場に提出するための診断書の診断名には、病名は空欄だったのです。病状の説明には一行だけ、こう書かれていました。
 彼女が背負ってきたものにより、精神的不安定を示すもの、と。
  

 病名が空欄では、職場も病気と認めることができないし、どれだけ子ども時代の虐待体験を説明しても、一行だけの内容も漠然としたもの。誰がその診断書を読んでも、私が病気であることも、どんな病状かも、分からない医学的見解のないものでした。 

 なので、自分でもインターネットで大人の支援を探し、障害者手帳の存在を知って、何か1つでもいいから支援に辿り着きたいという追い詰められた結果、主治医に「障害者手帳にメリットはありますか?」と訊いてみても「ありません!!」と怒鳴られ申請すらさせてもらえなかったり(後に調べて知った情報では、障害者手帳がなければ障害者枠では働けませんし、障害年金も申請できません。また、自治体によっては公共交通機関など助成がいくらかあり、経済的にも助かるものです)、診察では「職場で暴走が抑えられないのはあなたが悪いのです!!自分で我慢して抑えなさい!!」と主治医からのひどい叱責ばかりの診察により、大泣きさせられ1週間ほど酷くうつ状態になることも少なくなくありませんでした。

 後に、この医者の方がおかしかったと思う私ですが、このときの私は、完全に四面楚歌で、誰も味方も理解者もいなかったのです。そして病状があまりに酷すぎて、判断力もありませんでした。家族がいてサポートしてくれたり、主治医に代弁してくれれば少しは違ったのかもしれませんが、病状が急性期の時に患者1人で医者を変えたり、病院探しは非常に困難となります。

 なので、藁にもすがる思いで、この児童精神科医しか助けてもらえる人がいないと思っていたし、何より、世間の評判のとてもいい医者だったため、この医者しか助けてくれる人はいないんだ!と思い込んでいました。何より、二十歳から数十名の精神科医に診てもらってきたけれど、児童虐待を専門にしている精神科医はこの医者が初めてだったのです。

 論文も虐待を受けた子どもの心を非常に理解した温かい心が伝わってくるような内容で、この児童精神科医の講演会や書籍の業績を見ると、児童虐待というものにとても熱心に活動をされている児童精神科医でした。なので、私の子ども時代の虐待体験と、それによる成人後の病気もきっと理解してくれる!と信じ込んでいました。
 なので、無理解で、時には大泣きさせられる辛い診察ばかりでも、いい医者なのだと思い込んで通い続けたのです。

 子ども時代の虐待体験を全て主治医に話していましたから、勇気を出して「わたし、ずっと独りぼっちだったんだ・・」と言ってみたこともあります。しかし、「知らねーよ!!僕はあなたが子ども時代には出遭っていませんから!」と怒鳴られただけでした。
いつも待合室で出会う高校生の女の子が、電話でも相談や診察を頻繁にして熱心に診てもらえてるという話を聞き、私も同じように向き合ってほしい!親身になって診てほしいと、とても羨ましく思った私は、この主治医に同じように電話回診をしてほしいとお願いしたことがあります。

しかし、「僕のクリニックには、1000人の子どもたちがいるの!!大人のあなたを診ている暇はありません!!」と酷く怒鳴られたこともありました。
 世の中には、良い精神科医もいて、患者さんに寄り添い、理解しようと向き合って、尽力されている精神科医の方もいらっしゃるとは思います。しかし、私のように、精神科医に、暴言を吐かれたり、無理解で傷つく言葉を言われ、二次被害に遭って、さらに心に傷を負わされた患者は、少なくないのではないでしょうか。なぜなら、精神科にかかったことのある友人の大半が、精神科医から無理解だったり、言葉の暴力を受けて傷付いたという話があまりにも多すぎるからです。 

 患者は、精神科で受けた二次被害を保健所に通報や相談することはできますが、保健所は、病院に注意するだけで、病院側の改善にはつながりますが、二次被害で心に傷を負わされた患者の心の傷の回復には、何一つ貢献しません。
 精神科は、患者の心に「見えないナイフ」を何本つきたてようと、訴えられることのない「無法地帯」だと私は思っています。

 私は、もともと福祉が専門ではなく、自然や野生動物を専門に大学で学んできました。このため、福祉現場の実態を全く知らなかったのですが、精神科や福祉の現場で支援者からの二次被害(人権侵害)というものが、少なくない実態があるようです。性暴力被害を受けた女性の被害者からもよく聞く話ですが、被害に遭った後、警察などの支援者に相談に行ったところ、無理解な発言や「あなたにも隙があったんじゃないの?その気があったんじゃないの?」など傷つく言葉を言われ、無理解な支援者から二次被害に遭い、さらに心に傷を負うことは、支援の現場では、実は珍しくないことだということは、ずいぶんと後になってから知ったことです。そして、二次被害というものが、患者の心や生活をどれほど崩壊させているか、その罪の重さに、支援職は軽い考えすぎていると思います。

「二次被害」に遭った多くの被害者たちが共通して言うことは、「実際の被害(一次被害)より、二次被害で言われた言葉の方が傷付いた。二次被害の方がその後、トラウマになった」という話もよく聞きます。

入院先でもトラウマ(PTSD)にされた

 子どもの虐待を専門にしている児童精神科医に診てもらっている間、病状の酷さから、職場にも家庭にも、どこにも居場所がなくなってしまい、自分から駆け込み寺として入院することにしました。
 入院時、看護師長に子どもの頃、酷い家庭環境で育ち、成人してから精神が安定しないのだと相談しても、「虐待の後遺症は、本当は、子ども時代に起きるものなんだけどね。大人になって起こるなんて、あなたの性格じゃないの?」と嫌味を言われたこともありました。勇気を出して、看護師に相談してみても、私が悪いと言わんばかりの返答で、とても辛い思いをしました。

 子どもの頃、非行にも走らず、親から勉強しろと言われなくても真面目に勉強し、ずっと家庭や親からの仕打ちの辛さを「封印」して我慢し続けていた子ども時代の私や、私の人格までも、看護師長に言われた言葉で、否定された思いがした苦い体験もあります。

 看護師以外にも担当の精神科ソーシャルワーカーもいましたが、評判のいい有名な児童精神科医である主治医は世間だけでなく、病院内でも信頼が非常に厚いのです。評判のいい主治医が患者である私にとても冷たいということは、看護師もワーカーも、一緒になって冷たい扱いし、大事にはしてくれないのでした。

 周囲の患者を観察していると、医者が熱心に丁寧に大事にしている患者は、他の医療スタッフからも大事にされていました。だけど、医者が冷たく扱う患者である私は、他の医療スタッフからも粗末に扱っていい患者だというレッテルを貼られてしまい、病気の症状であるという理解も、大事にする患者だとも思ってもらえず、医者とそっくりの冷たい態度をされるのです。

 医学は、日進月歩で新たな知見が発見され、精神科医療の研究の世界でも、虐待の後遺症についても世界の医学者は、研究し論文を書いていると思います。しかし、研究で明らかとなった症例や医学の進歩が、おそらく各精神科医療の現場スタッフまで伝わってきてはおらず、特に、地方の精神科病院は、ガラパゴス化しているのだろうと想像しています。

 私が入院した子どもの虐待を専門にしている児童精神科医が所属する病院には、その医者が担当していた子どもたちも病棟に数名、入院していました。児童精神科医は、入院した私の目の前で、入院中の子どもたち(機能不全家庭などの理由から情緒障害を起して、児童相談所から保護され施設などで生活し、病状の悪化で入院している今の子どもたち)には、優しく大事に具体的な支援をする姿を見せられました。看護師やワーカーなどど連携を組んで子どもたちの支援体制を作り、病院総出で子どもたち一人ひとりにどんな支援ができるのか?と会議を開いてもいました。
 子ども時代に誰にも虐待から助けてもらえず、大人に助けてほしかった私の心は、それを見せ付けられることで、次第に、とても不安定になっていきました。
 
 入院した病棟には、児童精神科医が担当する患者は子どもが大半で、成人の患者はほとんどいませんでした。わずかにいても、うつ病だとか、発達障害と診断されている患者ばかりで、子ども時代に虐待を受けた大人の患者は、私一人でした。
 後に知った情報では、子どもの虐待を専門にしている児童精神科医は、50代前半まで、ずっと子どもしか診察対象にしていなかったようです。しかし自分が診ている子どもたちもいずれは大人になる!だから、大人の臨床経験も積んで、大人の患者も受け入れる体制にしないと、これから大人になる子どもたちを継続して支援できない!という想いから、50代前半になって大人も診察対象にし出したことを、看護師から噂で聞きました。

「内なる子ども(インナーチャイルド)」が宿っている私は、子どもの頃に傷ついたまま、その傷が癒されることなく大人になり、身体だけ大人になりました。児童精神科医に「あなたはもう大人です!」と怒鳴られたとき、私の中の内なる子どもが「助けて!」と泣き叫んでいたのに、消されていくような感覚に襲われました。

あなたはもう大人です



 児童精神科医は、私が子どもたちに何ひとつ、傷付ける言葉すら危害を加えていないにもかかわらず、不安定が酷くなり、腕の皮がないくらい、かきむしって自傷する私を、病院から、強制退院させました
 自分から駆け込み寺として、病院に逃げるように入院した私に対し、児童精神科医からは「入院してて何の意味がある?」と言われました。私は、「どこにも居場所がないから、退院したくない!!」と言い、主張が完全に食い違っていました。

三恵 腕

腕に皮を掻きむしり自傷し不安定になる私に児童精神科医は、「僕は他に入院している子どもたちの安全を考えないといけないので」と、如何にも私が子どもたちに何か危害を加える危険があるかのような言い方をし、「退院したくない!!」と泣き叫んでいる私に冷たく「退院してください。退院してください」と言い放ち、結局、私はタクシーに1人乗せられ、強制退院させられたのです。※写真は、強制退院の翌日の写真で、別の精神科・閉鎖病棟で撮影したもの。

 「医者と患者との共同意思決定」という人権も無視された状態で、患者がいないところで、本人のことを決めてはいけない等、本人の自己決定を尊重しない中で、強制退院させられたこと、今の家庭環境が酷い子どもたちと差別的な対応をされたことは、深く私の心に傷を残しました。医者側の人権侵害なのです。

 強制退院させられるとき、呆然と泣きはらした顔で、病室の荷物をまとめ、看護師と一緒に病院の入り口まで荷物を運びました。もう、目の前が真っ暗なくらい絶望させられていました。心から、助けてほしい!と叫んでいるのに、そのSOSが届かない.....。それはもう、信じられない感情でした。病院側がタクシーを1本呼び、それに私と荷物を乗せて、そのまま、病院から無理矢理、退院させられてしまったのです。
 
 このとき、私の虐待サバイバーとしての病状に何も理解もない医療スタッフの介護福祉士から「もう大人なのに、子どもに嫉妬?」と馬鹿にして笑われたり、「今、死にそうな入院中のおばあちゃんがいるのに、自傷なんかされたら迷惑なんだよ!!」と怒鳴られたりもしました。そして、そのことで、ますます、不安定になる私をみた看護師は、お腹を抱えて私を馬鹿にして笑い飛ばしました。

 自傷という行為は、患者の最後の最後のSOSです。それを精神科スタッフはSOSと受け止めるどころか、いじめのような酷い対応をするのでした。私は大人になり精神を病んでも、それほど頻繁に自傷していたわけではありませんでしたが、この強制退院のときは、もう言葉で助けを求めても誰も理解してくれないし、私の入院していたい!守ってほしい!という意思を尊重してくれる精神科のスタッフが誰もいませんでした。

 言葉で訴えても無駄だと追い詰められたとき、もう、腕をかきむしる行為をするしか自分の追い詰められているSOSを表現することができなかったのです。
 血を見て安心したかったわけでもなく、ただ、助けてほしい!しばらくの間だけでも、病院で休ませてほしい!現実から逃げたい!守ってほしい!という追い詰められた自分を追い出そうとする病院スタッフに、「私はもう限界まで追い詰められているよ!」と訴えていたのです。

 精神科スタッフからの無理解と暴言により、無理矢理、病院から強制退院させられた私は、たった独り、行く充てもなく、腕を自傷したまま、もう自殺しようと線路を泣きながら歩きました。

二次被害2

自身の怒りなどの感情コントロールがどうしてもできず、どこにも居場所をなくし、虐待家庭の実家に帰ることもできず、どこにも逃げ場がなかった私にとって、精神科でSOSを出しても、無理解と酷い暴言の数々を精神科スタッフから受けることで、泣き叫びながら、線路をひたすら歩き、電車が来て、轢かれて死ねればいいと、錯乱状態で歩き続けました。

 結果的に、自殺未遂に終わり、その日のうちに、同じ医療法人の別の病院に自分から入院となるのですが、この児童精神科医による二次被害をきっかけに、私は、「子どもの支援者」がとても苦手になり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に何年間も苦しむこととなります(現在8年経ち、かなり落ち着いてきましたが、本当にPTSDで長く苦しみました)。

私は、児童精神科医に、完璧な支援なんか求めていなかったのです。具体的に支援が何もなくてもよかった。ただ、味方であってほしかった。虐待を受けた心の傷を「今まで頑張って生きてきたね」と共感してくれるだけでよかった。子どもと同じように大切に優しく寄り添ってくれるだけで満足だったのです。

職を失っても酷い診察が続く

強制退院後も主治医は変わらなかったのですが、職場からは病気であるなら病気休暇を取ってしばらく仕事を休むようになど、上司が親身になって対応しようとしてくれていました。しかし、主治医である児童精神科医は、診断書に病名すら記載せず、たったの一行だけの病気からくる症状だと明記されていない診断書を私に渡しました。
口頭で「病名は?」と訊いても、うなったりするだけで答えられなかったり、「判らない」と言うこともありました。そもそも私の子ども時代の虐待体験について、大人になって後遺症で困っていることに理解を示してくれないため、虐待の被害者の大人であるという認識すらとても薄いように感じていました。

診察で長々と話した子ども時代の虐待体験を、次の診察では、もうすっかり忘れているかのような様子を感じたのです。患者として興味を持ってもらえていないな、だから理解が進まないのだな、と焦燥感を感じていました。
 
 職場の上司は何とか病気休暇を取りつつも仕事を続けられるよう対応しようと尽力してくれましたが、結果的に上司も対応に限界があり自主退職を促され、私は安定した職を失い無職になってしまいました。
 無職となったとき、主治医である児童精神科医に「大学時代に借りた奨学金を今後、どう返済したらいいか困ってしまった・・」と、経済的な悩みを打ち明けました。すると、「簡単に借りるのが悪いのです!!働いて返しなさい!!」と酷く怒鳴られたのです。

 確かに、多額の借金をしてまで大学に進学することを決めたのは私自身であります。だけど、10代後半の私には、奨学金を借りて大学に進学する方法しか悲惨な家庭から抜け出す道が思いつかなかったのです。そして、10代後半の私は、大学へ進学すれば、これからは、親に振り回される人生ではなく、自分の努力次第で、明るい人生にしていけるのだという前向きな気持ちから、奨学金を借りて進学し勉学に励んだのです。

 その前向きに努力して生きていこうとした10代後半の私や、大学時代も、原因不明の精神的な病に苦しむ日が大半であったにもかかわらず、勉学に励み、自分なりに努力して結果を出して頑張ってきた私は、奨学金を簡単に借りるのが悪いのだと、児童精神科医に見下したような言い方で罵られたとき、やりきれない哀しさと悔しさを味わいました。

 この児童精神科医は、全国的に有名な医者でしたから、「子どもの支援」をテーマとした講演会に各地で引っ張りだこの精神科医でした。奨学金返済に困っている大人の私は自己責任だと罵った児童精神科医は、今の子どもたちの給付型奨学金には賛成だ、子どもの貧困対策は必要だと言っている話も講演会の資料をネットで知り、もう、今では、とんでもない医者だったと思っています。

私が精神的に不安定になり、リストカットすれば馬鹿にして「高校生じゃあるまいし!」と罵ることもありました。自傷に年齢など関係ないと思うのですが、大人になれば虐待の後遺症などきれいになくなるとでも思っているんだろうか?と疑問に思う発言ばかりだったのです。

自分ひとりでは、服薬管理ができないほど、病状が酷く、飲んだのか、飲んでいないのかもわからなくなるような日々を過ごしていました。また、あまりに重度のうつ状態が酷く苦しくて少しでも楽になりたいために多く飲んでしまうこともあり、薬が次回診察までに足りなくなってしまうことがありました。わざと、多く飲んでいたのではなく、飲んだか飲んでないかの判断もできず、多く飲んでしまったり、重度のうつがあまりに辛く多く飲んでしまう日もある。それを児童精神科医に相談しても、「なぜ服薬どおり飲まないのですか!!」と酷く説教をされ、診察後に1人で泣かされることもありました。

私の他にも、重度の知的障害の成人した息子を持つ母親が、息子が性的な欲求を抑えられず女性を見ると不適切な行為をしてしまうのだがどう対応したらいいか?という相談をもって児童精神科医に相談にきたことに対し「警察に捕まえてもらって一度懲らしめてやればいい!!」と怒鳴られたと、ショックで大泣きして診察室から出てきた母親を見ることもありました。
私の中で、この児童精神科医は、子どもには優しく寄り添うけれど、大人の患者には非常に冷たく理解すら示さないのだろうな...ということが薄々、分かってきました。

入院時、子どもと差別されたことが辛かったのだ、と退院した後の外来日に主治医に伝えてもみました。
すると児童精神科医は「あーよかった!聞いておいてよかった!今後も子どもたちに嫉妬するようなら主治医代えてもーらおっと ♪」と意地悪な言い方で嫉妬した私が悪いと言われたのです。
そして、「僕は子どもたちを優先的に大事にする医者だから!!」とまで言われ絶句してしまいました。私が子どもと差別されてどれほど傷ついたか、大人とはいえ、傷付く心は誰しももっているのに、それが微塵も伝わらない児童精神科医に愕然としたのです。

いま、この医者に会ったら、こう言いたいです。
「私は、児童精神科医が哀しんで優しく支援してあげている今の虐待されてる子どもたちの生き残った大人の姿なんだよ」と。「今、虐待を受けている子どもたちもいずれ大人になるのに、そのとき大人にはこんなに無理解で冷たく支援がなかったら、今の子どもたちを冷たく支援していないことと同じことをしているんだよ」と言いたいです。

もともとは子ども好きだった私

20代の頃、私は大学で学んだ専門の生き物を題材に、子どもたちに環境教育として、学校で出前授業をしたり、子ども向けの生き物イベントや講演会を何度もしてきました。動物園で臨時職員で飼育員をしていた頃は、子どもたちを乗馬させたり、ふれあいでウサギを抱っこさせたり、子どもたちと生き物をつなぐ仕事をしていた時期もありました。

過去の環境教育の写真


 動物園で子どもたちと動物をつなぐ仕事をしていた時、小さい子どもたちやその母親たちと会話する機会もたくさんありました。
 しかし、今の支援が整ってきている子どもたちに嫉妬とか、同年齢のお母さんたちにネガティブな感情は全くなかったのです。テレビのドラマで、児童養護施設を舞台にした作品を観ても、この児童精神科医から深く傷つけられるまでは、羨ましいと思ったことは1度もありませんでした。
私は、子どもたちはそれなりに可愛く好きであり、私の子ども時代より支援が豊富になってきている今の子どもたちに何の嫉妬心もなく、子どもたちの支援を反対しているわけでもなく、むしろ、応援している立場だったのです。自分と同じように、辛い想いをする子ども時代を、次世代の子どもたちには、味わってほしくないからです。

子どもの支援者がトリガーとなりPTSDに

 しかし、児童精神科医の「大人の患者」へのあまりの差別的な扱いや、精神科スタッフからの心ない発言に深く傷つき、強制退院させられ自殺まで考える強烈な体験をした私は、子どもの支援者がトラウマで苦手になりました。
 「子どもの支援」と聞いただけで、頭が真っ白になったり、当時の光景がフラッシュバックし、怒りがわいてきて呼吸が苦しくなったり、児童精神科医からの数々の暴言を吐かれた言葉がフラッシュバックしてよみがえり、涙が止まらなくなったり、そんなトラウマの症状に何年も苦しんでいます。

 具体的にどのような症状に困っているか?というと、「子どもの支援者や子ども支援が全般的にとても苦手」、「児童精神科医は誰であっても無関係に憎い」、「時に、子どもの支援者を敵対視してしまう」、「子どもの支援を頭では必要と解っていても否定してしまう」、「子ども支援者の中にはまともな人もいるよ、と友人から指摘されても、まともかどうかは私には関係ない」「子どもの支援と聞くだけで感情が高揚し、怒り、憎しみから身体が痛いほど筋肉が硬直し攻撃的な状態になる」、
「当時のことがフラッシュバックし、悔しさで涙が止まらなくなる」、「「子どもを優先的に支援すべき」という言葉がトリガー(引き金)となり、大人は殺されるのだと命の危険を感じる」、「子ども支援者は、大人を傷つける。大人の命を奪うほど虐める。二次被害後に、私の中の子ども支援者の定義がこうなった」
もう、8年間、これらの症状が改善されず続いています。※最近はかなり改善されてきました。今の主治医が本当に丁寧に4年近く診てくれているおかげです。

この症状が酷い日は、朝から晩までこの考えに1日中、捉われ、怒りで感情を切り替えることができない日もありました。
対処法としては、切り替えが上手く自分ではできないので、一度、リセットするために睡眠を取ったり、早めに休むようにして考え続けることを睡眠や休息でリセットするようにしています。また、精神科で処方された頓服薬を飲んで安定することもあります。

子ども支援者に限らず、今、児童相談所が虐待や家庭の問題に介入してくれている今の子どもたちや、児童養護施設や里親のもとに保護され支援がある今の子どもたちに対しても、嫉妬やネガティブな感情を抱く自分になってしまいました。

 私はこのトラウマによって「子どもの支援者」とよく衝突してきました。トラウマで感情的になった私が、子どもの支援に否定的な意見をしてしまうことが多々あり喧嘩となってきたのです。その度に、私の事情を知る友人から「他の子ども支援者は関係ない」と批判されることもありました。まさにその通りで、子どもの支援は必要だし、私に危害を加えた児童精神科医以外の子どもの支援者たちは、無関係な話です。まともな子ども支援者もいるはずです。理屈では、それは分かるのです。この症状については、最初はPTSDの症状だと自覚がなかったのです。

 本来は、子ども時代の虐待のトラウマ治療を受けるために精神科にかかったのに、その治療ではなく、精神科医や医療の支援者から別のPTSDにされてしまい、それをまた治療するために別の病院へかかるというのは、何とも理不尽で悔しく今でも涙が出ます。二次被害を起こした精神科スタッフは、1円も賠償してくれません。

児童精神科医からの二次被害によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ私は、リストカットも以前より激しくなっていきました。

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(追記)腕の傷の写真を敢えて公開している理由
見るだけでショックを受けるような写真を敢えて公開している理由があります。
日本は3.11の津波の大災害の時も、遺体などの写真はマスコミは報道しませんでした。精神的に目にするだけでもショックを受けることのないようにという配慮のもとですが、津波の恐ろしさ、災害の本当の悲惨さは、遺体の写真を敢えて報道しないことで伝わらないデメリットもあると思います。
ラスベガス銃乱射事件のときの報道は読者が選択できる形で遺体の写真を一部、アメリカのマスコミは報道していました。事件の残忍さを伝えるためには、被害がどのくらい酷かったかという写真が見て分かるように公開も必要だと私は思います。
この私の腕の傷の写真を見て、不快に思われる方もいらっしゃると思います。しかし私は、支援者による二次被害というものが、軽い被害ではないことを写真を通じても伝えたかったので公開を選びました。

精神科の医療者たちは、二次被害を軽くみないでほしい

患者にとって心も人生も破壊する重大な二次被害をもっと重く受け止めてもらえるよう願っています。また、精神科で二次被害(人権侵害)に対応する機関が日本にはない多くの患者が心をズタズタにされても泣き寝入りの実態があります。保健所も対応しないし、厚労省も対応しない。患者が精神科で受けた心の傷をきちんと相談できてある程度の対応をしてくれる公的機関が必要だと思います。あまりに精神科は無法地帯です。

※上記は、以下の書籍「わたし、虐待サバイバー(ブックマン社)」の原稿の中で収録しきれなかった内容です。記憶を辿りに書き出した内容をそのまま掲載しており、重複している内容や、まとまりがなく申し訳ございません。私個人は、被害の記録として残す意味で書籍ではカットされた原稿を保尊していたのですが、noteで公開しました。長く読み辛い点、ご了承ください。また、虐待の後遺症については、以下の書籍に詳しくまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。




虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!