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もしかして、愛なのか?


短いエッセイを書きました。
日記のようなものです。
どれかひとつだけでもどうぞ。


「ちょっと寝るから起こしてね」

入眠にやや時間のかかるわたしとは真逆で、寝ようと思えば即寝られる夫は、よくわたしに「ちょっと寝るから何分後に起こしてね」と頼んでくるのだけど、今日一緒にドラマを見ていたら、「ちょっとCMの間だけ寝るから起こして」と言われ、さすがに耳を疑った。


ひとりで食べ放題

サラダをたらふく食べたい衝動が抑えられず、平日の昼にひとり、サラダバーのあるお店へ向かう。レタスも大根もオクラもコーンもわかめもひじきもポテサラも一皿に盛り付けて、ドレッシングはごまと玉ねぎの二刀流。さらに思いがけずカレーやパンやスープや炒飯も食べ放題だと言われるし、デザートコーナーまで充実しているではないか。うへへへ、平日のお昼にこんなに贅沢しちゃっていいのかしら!と勢いよく食べはじめたのに、サラダをおかわりしに行こうと思ったあたりで、急にさみしくなってくる。「そろそろ2周目行っちゃう?」とか「これにこのドレッシングかけるのがおいしかったよ!」とか「ポテサラ食べすぎじゃん!」とか「いったん甘味を挟もうかな」とか「まだ30分しか経ってないのに満腹なんだけど!」とか、そんなことを言い合う相手がいない。あぁそうか、わたしは食べ放題を許される場面に、ひとりで居たことがなかったかもしれない。ぎゅうぎゅうに並べられたバイキングが、自分が今ひとりであることを認識させてくる。あれもこれも気になるけどこんなの絶対食べきれないねって、一緒に打ちのめされる相手がほしい。近くの席に20代の会社員男性3人がわいわいと入ってきたあたりで、わたしは店を出た。


がんばらなくても残ったもの

仕事で書いて、仕事でなくても書いて、求められても求められてなくとも、毎日何かを書いている。それなのに飽きるどころか、「今日も書けるんだ!」とうれしくて起きる朝がいまだにあるんだよ、実は。天職だと思ったことも向いてると思ったことも全然ないけれど、原稿用紙にうきうきした中学生の頃と何ひとつ変わらない気持ちが、今もちゃんとあるってことだけは確か。そんなことは、わたしの人生にほかになかった。好きなことや一時的にときめいたことはあって、それなりに続けた習い事も、青春を費やしたスポーツも、お金を使って没頭した趣味もあった。でもどれも、飽きちゃった。がんばったのに、飽きてしまった。飽きて飽きて飽きて、ひとつだけ、がんばらなくても残ったものを、軽やかに愛し抜けるといいなと思う。


もしかして、愛なのか?

今週、飲み会も出張もなかった夫は、毎日18時半頃に家に帰ってきた。帰ってくるたびにわたしは心の中で、ふふふ、と思う。夫は、好きだの愛してるだの言わない人である。何でもない日にスイーツを買って帰るとか、サプライズでお花を準備するとか、そんな小洒落たこともしない。結婚記念日にさえ何もない。もっと言葉や行動で表現してくれたらいいのに!とぶつくさ思っていた結婚して数年目の頃、『夫のトリセツ』という本を読み、そこに「男性にとっては、毎日家に帰るとか、毎日働いて毎月お給料をもらうとか、そういう『定番を繰り返す』ことが愛の証だ」というような話が書いてあった。その日から、わたしは夫が日々同じような時間帯に会社からまっすぐ帰ってくるたび、毎月「給与明細出たよ」と報告してくるたび、この人もしかして愛に溢れてるのか?…ふふふ…とひとり密かに笑うようになった。淡々と日常を繰り返すことが、この人にとっては愛なのだ。いやわからない。本にそう書いてあっただけで、それが夫にも当てはまるのかはわからない。でも本を読んでよかったし、書いてあることを真っ向から信じるタイプの人間でよかった。


おわり


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