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そのままさらりとは書いていない。


短いエッセイを書きました!
日記のようなものです。
どれかひとつだけでもどうぞ。


6000円分の枇杷

先日noteで、枇杷にまつわるすてきな記事を読み、枇杷が高級果物だと初めて知った。その日、我が家の冷蔵庫には、実家から送られてきた枇杷がたんまり入っていた。どれもぶりぶり太った、立派な枇杷。枇杷はこうして毎年実家にお裾分けしてもらうものだから、まさかこれがお高いものだとも知らず、ありがたみもわからず、今年も種がでかいねぇ、こんなにたくさん2人で食べ切れるだろうかねぇ、くらいの気持ちだった。我が家の周りでも本当に高いのだろうか?とさえ思って、翌日に近所の高級路線のスーパーの果物売り場を覗いてみたところ、1パック6個入りで880円だった。至急割り算。1個当たり約150円。思わず自宅に帰って改めて数を数える。40個。こういうときのためのかけ算。我が家の冷蔵庫には今、6000円分の枇杷様が…!?これまでは、台所で洗って皮を剥いてそのままバクバク食べる立ち食いスタイルだったわたしだが、その日から丁重にお皿に盛って座って味わうことにした。高級だと知れば高級な味がする。自分のイヤな部分が出てしまった。


そのままさらりとは書いていない

ある方に「自然体の文章」だと褒めていただいて、とてもうれしかった。だけど「起きたできごとをさらっとそのまま書いたように見える、楽に書いているように見える」というようなことも言われて、やや戸惑った。そうか、なるほどなぁ。それでいい。そう伝わってくれていいのだけど、「さらっと書いてるわけではないし、楽ではないよ!」と言いたくもなった。わたしは、できごとをそのまま出したりはしていない。料理人さんが素材に手を加えておいしくするように、わたしも人の前に出すものは必ず、余計な部分を削ったり構成を練ったり編んだりと手を加えて、少しでもわかりやすくおいしく伝えられないだろうかと、自分なりに手間暇をかけて書いている。嘘になるようなことはしないって決めているけど、素材のままさらっとではない。いろんな考え方があるだろうけど。読者の人は貴重な時間を使って、せっかく読んでくださるのだからわたしはそうしたいと思っている。これは、中学時代の恩師の教えであり、仕事をしてきた中で学んできたこと。そんなことを言いたくて頭の中がぐるぐるしていたけど、やっぱり言わなくていいやと思った。

そこまでは想像できない

出勤の日は、飲み物を準備して家から持って行くが、この日は朝から時間がなかった。会社までの道のりに、ペットボトルのお茶が100円の自販機があるからそこで買おう。だけど売り切れになっていることがあるから、まぁそのときは柔軟に水でもなんでもいい。と、急ぎ足で家を出る。…ない。お茶、ではなく自販機ごとない…!あきらかに撤去されましたというスペースをぽっかりと残して、自販機は姿を消してしまっていた。お茶の売り切れは想像しても、自販機の撤去までは想定できなかったよ。それにしても今じゃないだろう、暑い。


落ち込むし励まされるし

とある文章を書いていたとき、ふと、過去の似たような経験を思い出したのでそれもくっつけてみようと思った。文章はやや深みが出た。だけど、思い出したくなかった部分まで蘇ってきて、どうやらちょっと疲れているようだ。文章を書いていると、書かない生活と比べてどうしても過去を振り返ることが増えるように思う。それで落ち込むこともあれば、過去に励まされて元気が出ることもある。書いている限り思考が忙しいね。


おわり

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