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自分のことだけ肯定できないなんて変なの。



短いエッセイを書きました!
日記のようなものです。
どれかひとつだけでもどうぞ。


自分のことだけ肯定できないなんて変なの

人の人生は、「いいじゃん!」「たのしそう!」「すてきな決断だね!」なんて言ってぽんぽん肯定するくせに、自分のこととなると「ほんとうにこれでよかったのだろうか…」と急に自信がなくなってへなへなしちゃうの、我ながら歪んでて変なの〜。自分さえ「いいじゃん!」って言ってあげられればそれでいいのに。人を見るような目で自分を見ることが、こんなにもむずかしい。

note収益というお小遣い

うれしいことに、昨年の11月から毎月有料noteを買っていただけており、お小遣いがいただけるようになった。生活していけるほどではまったくないけれど、ちょっぴり暮らしがうるおう、ありがたいありがたい額である(感謝)。それは例えば本屋さんに行って2冊で迷ったとき、「どっちも買っちゃおう」と思えるくらいのゆとり。ただ、最近その細かいゆとりを小刻みに発動させすぎて、あれ、もしかしたらnote収益ではまかなえていないかもしれない。


1500円カットの感動

いつも通っている美容院は、仕上がりは満足で気に入っているものの、家から遠い。だからちょっとしたメンテナンスカットや前髪カットは、自宅近くのお安いカット専門店でやってもらうことがある。最初、足を踏み入れたときはドキドキしたのに、一度使ってみたときに友人たちから「今回の髪型、過去イチすてきなんだけど!」と喝采を浴びてしまい、1500円カットに絶大な信頼を寄せるようになった。シャンプーもしないからすぐ終わるのも楽でいい。ひさびさに行ったので、「すごく安いのに、ここで切ってもらうと友達に褒められたりするんです〜」と女性のスタッフさんに伝えたら、「うれしいです〜!下手だから安いんじゃなくて、ここで働いてたスタッフもみんな以前は高いお店で働いてた人だから。カットだけしたいとか、家庭と両立したいとか、短時間だけ働きたいとか、そういう理由でここで働いてるんです。毎日カットばかりしてるから上手くもなるし。だから、安いけど技術はみんなあるので!すごくお得なんですよ!」とすごい熱量で語ってくれて、こんなのもう、また来るしかない。

そうめん慣れしていない

昨年、義母から木箱に入った大量のそうめんが贈られてきて、そうめんがあまり好きではないわたしは、どう食べ切るかを真剣に考え、ナポリタンだの生春巻きだのさまざまな創作そうめんメニューに挑戦した。それでも結局食べきれず、秋、冬、春を我が家で眠って過ごしたそうめんたち。今年は原点回帰、正々堂々シンプルに麺つゆで味わってみようじゃないか!と茹でてみる。そうめんをあまり茹でてこなかった人生なので、シンプルに食べる場合何束が適量なのかわからず、「しっかり食べたいときは2〜3束」というネット情報を鵜呑みにして夫婦で4束。茹で上がりはなかなかの量で、少食夫に「多すぎ」と言われる。ごめん、そうめん慣れしてなくて。夫とふたりで立ち向かうが結局食べきれず、我らにはふたりで3束がちょうどよいと学ぶ。賞味期限は今年の10月。そうめんにとって、最後の夏がはじまる。


眠れなくなるような本

起き抜けの夫が、パジャマのままベッドの隅っこに座って本を読んでいる。珍しいね、と言うと「続きが気になって寝られなかった!…寝たけど」とのこと。読んでいるのは東野圭吾の『白鳥とコウモリ』で、下巻に入っていよいよクライマックスというところらしい。本の続きが気になって仕方ないときの多幸感。その感覚にしばらく浸っていないことに気付かされる。本屋へ行こう。眠れなくなるような本を探しに。


おわり

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