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簡単に自分をポキポキ折る。


短い短いエッセイを書きました!
日記のようなものです。
どれかひとつだけでもどうぞ。


簡単に自分をポキポキ折る

友人が「会社で上司に言ってしまいたいことがあったから素直に言ったら衝突した」と、愚痴とも自慢ともつかないテンションで言っているのを聞いて、かっこいいじゃんかと思った。わたしは職場の人間関係で揉めたことがない。「ありがたいことに周りの人に恵まれて」ってことにしておけばよいのだろうけど(まあ実際それもあるだろうけど)、わたしにはそもそも、誰かと衝突してまで貫き通したい自分がない。めんどくさい。ぶつかるくらいなら、揉めるくらいなら、最初から合わせて折れればいいと思ってしまう。情けないけど。それは我慢のようで逃げのようで、いやそれだけじゃない、何よりわたしなりの心を守る方法なのだ。その子にとっては、衝突することよりも自分を折ることの方がつらいんだなぁと考えながら、わたしは今までどれだけの自分をポキポキと折ってきたのだろうと思う。なお、夫の前では折れない頑固者になる。

歳をとって楽になる

知り合いの70代の男性と話していたら、「最近忘れることばっかりで、気がかりなはずなことさえも忘れてしまって、楽になってきたわ〜」とたのしげに笑うので、わたしに必要なのは強くなることではなく歳をとることなのではないかと考えた。

Youtubeのコメント欄

とあるアマチュア交響楽団の好きな演奏があり、約2年ぶりにそれをYoutubeで聴いてみた。生命のきらめきを感じさせるような美しい旋律にじんわり感動しながらコメント欄を開く。たくさんのコメントのいちばん上にあった3行くらいの短い文章を読んで、「あぁ…世の中にはわたしと同じような経験をした人がいるのだな、でも前向きに生きようとしていてえらいな」とグッと来ていたら、あれ。このコメントしたの、わたしだ。2年前の、何もかもコントロールできなくて途方に暮れていたときのわたしだ。見ていなかった間に、数百件のいいねがついて、その動画のトップコメントになって、見ず知らずの人たちが応援してくれていたらしい。泣いた。人のやさしさも、ただ苦しかった記憶しかない頃の自分がなんとか前を向こうとしていたことも、そのときの言葉に2年経って励まされたことも、すべてが希望でしかない。


見返りを求める女

わたしは慢性的な肩こりで、夫には毎日だってマッサージをしてもらいたいところだが、いくら家族とはいえそれは申し訳なくて気が引ける。そこでわたしは、今日こそはしてほしいと思う日に、まずは夫に「体疲れてない?マッサージしてあげるよ」と夫のマッサージをしてから、わたしも肩をほぐしてもらうという自然な流れを作るようにしている。先日、肩がバキバキでどうにもつらかったので、いつもと同じように夫に「仕事で疲れてるでしょ!マッサージするよ」と言った。すると、「いや、いいよ。〇〇ちゃん(わたし)の『マッサージするよ』は、『マッサージしてよ』の意味だから!見返りがセットだから!」と完全に見透かされてしまっており、うろたえる。そういえば先日も、「〇〇ちゃんは、最近よく『一口食べる?』って聞いてくるけど、それって俺の食べてるやつを本当は一口食べたいときに言うよね」と言われたばかりだった。わたしは見返りを求める人が苦手で、見返りを求めず人を愛せる人でありたいと願い続けてきたのに、こんなにも見返りを求めてしまっている。自分の美しくない部分を見せつけられて、恥ずかしい。恥ずかしいが、肩は揉んでほしい。


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おわり

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