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不妊治療でぐずついたメンタルをそのまま。


※不妊治療のことを書いています。完全に主観であり、客観性のある情報ではありません。苦手な方は、またほかの記事を読んでいただけると幸いです。




土曜日、読みたいと思って買っていた本を開きたくなくて、ああこれはちょっと落ちてきているなあと自覚した。メンタルが落ちてくるとまず本を読めなくなるので、読書はわかりやすく心の調子のバロメーターになっている。

不調の原因はわかっていて、それはざっくり言うと不妊治療への不安で、もうすこし詳しく言うと、一度うまくいかなかった体外受精にもう一度挑戦しようとしていることだ。

以前、体外受精にチャレンジして、胚移植(受精卵を子宮に戻すこと)を4回やったのに、すべて陰性で終わったということがあった。わたしのメンタルダウンの大きな、たぶん最も大きなとどめになった、忘れがたいできごと。

わたしは自然妊娠は過去4回、結果は流産ではあるけれどできているので、タイミング法でがんばるという方向性もあるが、ちょっと事情があり、現在ふたたび体外受精を検討している。

不育症の先生と不妊治療の先生の間でも意見が分かれていて、でも最後に決めるのはいつだってわたしであってわたしたち夫婦であって、こんな重要なことを決められるほどわたしたちは大人なんだろうかって泣きたくなる。自分の決めたことで自分を不幸にしたくない。

妊娠しないこともこわいけれど、妊娠することもこわい。流産がこわい。また落ち込んでうつになるんじゃないかってこともこわい。どちらをどう選んでもこわい。

こんなにこわいのに時間は待ってくれない。病院の電子カルテの年齢が、毎月律儀に◯歳◯ヶ月と更新されていくのを見るたびに、じりじりと焦る。先生は「まだあなたは若いから」って肩をたたいてくれるけど、それでもう何年経ったか。時間は容赦ない。自分の頭に何本も白髪を見つけて、そのことを母に言ったら、「わたしもあなたの年齢のときには白髪があったから大丈夫」と返されたけど、母さんはわたしの年齢のときにはもう子どもを産み終えていたじゃない。時間を止めて欲しい。わたしが歳をとるのを止めて欲しい。その間に、生殖医療がどんどん進歩していってほしい。


この4年くらいずっと、命、人生、子ども、生きる、生まれる、そんなことを考え続けてきたけど、そんなことを考えないままで親になりたかった。親になって、目の前に存在する小さくて美しくて体温のある命を見て、ああこれが生まれるってことか、これが命で、これが生きているってことか、と感じたかった。こじらせずに、もっとシンプルに人生を生きたかった。それを許されたかった。


こんな調子でまた体外受精をやって大丈夫だろうか、と思う。でも一方で、その選択肢をふたたび持ったってことが、何よりわたしが再生している証拠のような気がする。一時はもう、二度と体外受精なんてするか、って思っていたのに、またがんばってみようかと、その選択肢もあるよねと思えるところまで帰ってこられたということ。その自分は、認めてあげたい。落ちて落ちて、悩んで、泣いて、もがいて、書いて。それで、ここまで帰って来た。

悩ましい夏になると思う。今後、体外受精のことは書くかもしれないし、もう書かないかもしれない。書いたり書かなかったり、泣いたり泣かなかったりしながら、進んでいきたい。少々ぐずついたって、こじらせたって、もう昔のわたしじゃないんだよ。


おわり




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