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015話 面会

 先生の眉間が険しくなる。

「こ、…れ、…から」

「何度も何度も『会うな!』と言われているのに、何で会い続けていたんですか? ……こんな風に悲しい思いをしてしまうんですよ?」

「……え? こんな風になる事、分かっていたんですか?」

「……病棟に戻りなさい」

 サオリは遣り切れない思いのまま、2北病棟へ戻った。

「何分、遅刻してると思っているんですか? もう時間開放させられなくなりますよ!」

 看護師にもお叱りを受けているのに、サオリの頭は、裕司との様々な出来事の幸せだった思いを振り返っていた。

・・・あんなに思い遣りが有って、あんなに賢い裕司が。……どーしてあんな可笑しな事になっちゃうのよ?

・・・それにしても裕司の担当の先生、凄く意味深な事を言ってたなー。あの症状になる事を先生は知っていたのに、何の手も打っていなかったのかなー? 病の事は本人に伝えている筈だと思うけど、裕司がその事を知ってた様には、……あっ!

 サオリは改めて、裕司から貰った手紙の数々を病室の引き出しから掻き集め、目を皿にして観返してみた。

 サオリへの想い、一緒になりたい想い、退屈な思い、大麻への思い、施設への思いが手紙の一枚一枚にびっしりと綴られている。

 その中でも目を引いた文章は『指の震えがあったら教えて下さいね! と主治医に言われ……』

 そう書かれていた事と、何より、全く同じ内容の文章が2日続けて書かれている事実だった。

 先生は、指が震えだす事を知っていたのだ。

 そうなった時、裕司がどうなるかもだ。

・・・そんなのを知ってて本人に教えていないんだったら、あちしは許せない。もし裕司が知っていたなら、絶対、あちしに知らせる筈だし……。それ位の深い絆は築けていたつもりだよ。

・・・その大変な病の事をあちしに教えず、独りで悩んで苦しんで……。そんな思いの中、ちょっとでも心を通わす事の出来るあちしと、出逢えただけでも満足だったのかなー?

・・・あちしと一緒に暮らそうと話し合った時も心の中では「そ〜なれたらいいなぁ」と思うだけで、実現は出来ない事を知っていたのかな? 知っていて言わないってのは? あちしを悲しませない為に、黙っていてくれた裕司の優しさなの?

・・・あちしはそんなの望んでない! ……言ってほしかった。……そして一緒に、その病と闘いたかった。

・・・何であちしも、もっと早く気付いてやれなかったの? きっと、あちしは裕司の事を上辺だけしか見てこなかったんだ。もし、色んなところの隅々まで観察していれば、指の震えとかに敏感になれた筈なのに……。

・・・あちしの馬鹿! 馬鹿、バーカ!

 サオリの夕食は、全く喉を通らずに。夜は涙が邪魔をして、一睡も出来ず朝を迎えた。

 看護師に凄い剣幕で叱られたのに、時間開放がなぜだか許されていた。

 裕司と会う予定が無い30分間、外に出ても何の意味も無いと思いながらも、躰がいつもの所へ動いて行く。

・・・2人の密会場所。あちしと裕司がココで会っていたのは、何回有るんだろー?

 サオリは過去を遡って数えてみる。

・・・2度、裕司が施設に外泊しているから……13回、多分。たった、それしか会ってないの?

・・・あちしの心の記憶では、もっともっと沢山の良い思い出が蘇って来るのに。

・・・それだけ裕司と会えた時間を大切に感じているのかなー?

 ふと、木製の机の傷に釘付けになる。

 顔を近付けて良く観てみる。

『サオリ へ』

 そこには、サオリ宛の文章が、薄いけど読み取れる程度に削られていた。


 サオリ へ

 ボクはきおくを うしなっ ている
  どんどん わすれていく
 もし
 このぶんをよみ おえたら
ゆうじのことをサオリも わすれてください
   いままで ほんとアリガト!
 しあわせだったよ
ゴメンネ
   ずっといっしょにいられ なく て

                ゆうじ


 サオリは、そのまま机に突っ伏して泣いた。

 大声を出して……。

「狡い狡い、酷い酷ーい。えぇええーーーん」

 瞼を腫らしながら、サオリは病棟に戻った。

 自室のベッドに倒れ込み、頭を整理する。

・・・裕司は自分の病を知っていたんだ。だけど、直接話したり手紙に書いたりだと、あちしの悲しむ顔を見てしまうから、それを避けようとして小山のアノ机に掘った……。そうすれば普段は気付かずに済みそうだし、あちしがこーゆー状況で独りぼっちになり、何気無く気付いて知ってもらう程度で丁度いい事だと考えたのかな?

・・・それにしても、……狡いよ。勝手に別れを告げたりして……。そんなの嫌。独りで決めないで。……離れないよ。ずっと一緒の『ずっと』ってこーゆーふーに大変な事態になってもの事を含んでいるんだよ。

・・・だから、勝手に謝らないで!

 5月下旬

 サオリは退院した。

 サオリの次の行動は決まっている。

・・・裕司と面会をする方法なら分かってる。

「患者と元患者では、面会が断られる可能性が高いんだぁ。だから、僕に面会するなら、オノデラ サオリじゃなく僕の兄弟姉妹や従姉妹の名を装えば上手くいくと思うょ」

 サオリは以前、裕司から教わった事をしっかり憶えていた。

・・・あちしは従姉妹になる。だからー、…名前を? …せめて、苗字だけでも偽名にする必要があるね? 裕司はあちしとの関係がこーなる事を予期していて、あちしにどーすべきかを伝えてくれていたのかも。

 そう想うと裕司との会話の全てが、サオリにとって非常に重要だった事に気付く。

・・・初めに、あちしの命を救ってくれたんだよ、裕司は。今度はあちしが裕司を救う番ね!

 サオリは偽名の名前を、アレコレ考えた末に『河内 沙織』と決めた。

・・・河内は裕司の旧姓だから、裕司1人だけに気付き易いかな? ってね。……意識が戻っていたらだけど。

 素顔も看護師に見せない方がいいかもと考え、サングラスにマスク姿で、病院の受付に立った。

「面会に来ました。3北病棟の高橋 裕司にです」

「はい、ではこちらにお名前とご関係をご記入下さい」

 河内 沙織【従姉妹】と記入をする。

 受付の女性は、内線電話で話をしている。

・・・多分、病棟の看護師さんとだね。ドキドキするー。

 サオリは、裕司と会える喜びと、上手く面会が出来るかの不安感がごっちゃに混ざっていた。

 電話を置いて受付の女性が話し掛けてきた。

「3階北病棟に居ます。あちらのエレベーターをご利用下さい」

・・・上手くいった。……いやいや、まだ油断は出来ないぞー。

 サオリは少し浮かれたが、すぐに心の中で気を引き締めた。

 3北病棟の入口に着いた。

・・・ココであちしと裕司は初めて出逢ったんだよね。…あちしの気も動転していて裕司に「死にたい」なんて呟いたら、裕司ったら必死になって生きろって説得してきたっけ……。

 そんな裕司に、サオリの心は惹かれていき「彼となら生きられる」「彼となら楽しい毎日が送れる」って希望を感じていたのだ。

・・・今度は、彼の希望にあちしが成るんだ!

 病棟のインターホンを押す。看護師が扉を開けて出て来た。

・・・見憶えの有る人。

 特に疑われた様子は無い。

「どうぞ」

 サオリは、病棟内に足を踏み入れる。続いて、ナースステーションへ通される。

「えーっと、差し入れの物は? ……有りませんか?」

 手ブラで来てしまったサオリは

・・・あ! そーゆーのを持って来るのが普通だったー。最後の最後でしくじった気分。

「面会室へどうぞ」

・・・やったー! あと少し、あと少しで会える、裕司に。

コンコンッ

 看護師が面会室のドアをノックした。

「はぁ〜ぃ」

 聞き憶えのある声がドアの向こうから届いた。

「どうぞ」

 看護師が面会室のドアを開け、サオリを中に通してくれる。

「終わったら、声を掛けて下さい」

 看護師はナースステーションに戻って行った。

・・・裕司だ! 全然、変わってない。母性本能を操るこの笑顔。

「裕司♡」

 サオリはサングラスとマスクを外した。

 少しの沈黙の後、疑問の表情で裕司は声を出してくれた。

「コウチ サオリ? ……サオリ!? …オノデラ サオリ!」

「うん、憶えててくれたんだね、あちしの事」

「当たり前じゃ〜ん! 彼女だもん」

「…………ぅ、嬉しい」

 サオリの瞳は涙で溢れた。

「……あの、可笑しく、なった、……日の事は、憶えてるー?」

「……多分、あの日の事だろ〜けど、殆ど記憶が無いんだぁ。気付いたら病室のベッドの上でっ。
サオリとど〜やって別れたのかすら、思い出そぉとしても無理なんだぁ」

「何て症状だったの?」

「具体的には分からなくてぇ、記憶障害の一種だってぇ」

「それって、…こ、これからも記憶が無くなっちゃうのー?」

「ん〜〜……、そんな事は無いみたい! 進行を遅らせたりも出来るし、急に元に戻る事もあるんだってぇ」

「遅らせよー! ずーっとずっと先に遅らせよ?」

「………………大丈夫ぅ?」

 裕司が急に、真顔になった。

「何が?」

「嫌だったら、離れていいんだょ?」

「何言ってんのさ。何があっても離れたくないって想ったから、裕司と一緒に居たいって想ったから、……ず、ずーっと傍に……居たいんだよ?」

「……アリガト。…………本当、アリ、ガ、ト」

 裕司も涙声になってしまった。

「…………面会、上手くいったね。……イッパイ会いに来てねっ」

「どーやったら会えるか、裕司が教えてくれてたからだよ。……毎日、来るよ」

「………………キス、したぃ」

 テーブルを挟んで向かい合って座っていた2人は、同時に立ち上がり歩み寄った。

 今迄で一番強く、そして長く長く、ハグ・チューをした。

 こうなる為に、これまでの険しい人生を歩んで来たかの様に…………、








 『もぅ一つの病と僕』

             精神病棟編(上巻) 完

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