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来世でまた、母親と出会えるといいね

今回のはいつもと少し違って、心情整理の為に文字を雑に打っていきたいと思う。

もう何年ぶりかな?
これはそんなことを思いながら、地元へと向かう車中で書いている。



世間がコロナでざわついてる中、私の父親は静かに息を引き取った。

死因は肺がん。

既に一年前には余命三ヶ月と宣告されており、他の病気も持っていたのでこれでも長く生きた方だと思ってる。

ただ、私が余命三ヶ月と知ったのは父親が亡くなる二日前。いま思えば、疎遠であった私のもとへ急に「長男のランドセルをプレゼントしたい!」と言ってきたのは【そういうこと】だったんだろう。

一般的に大黒柱である父親は、家庭を外から守る役目がある。仕方ないことだが、圧倒的にどの家族よりも子供本人との関わりは少ない。
それに加えて、疎遠期間が長い私にとっては父親との関わりは人よりも薄い。

残酷なようだが、父親が死んだところで涙は一滴もでなかった。むしろ、顔を見たけどこれが本当に父親なのかさえもわからなかった。

不幸自慢をしたい訳ではないのでこのような表現にはなってしまうが、私の家庭はあまりいい家庭ではない。

「ご両親に愛されて~」なんてフレーズは私には無縁である。おかげで余計な苦労もしたし羨む気持ちはあったけど、大人になった今となってはどうでもいい。

父親が死んだからといって、特に私の生活が変わる訳でもなかったけど、これまで無関心であった「人生とは」についてを考えるようにはなった。

人生とは?なんてカッコつけたことを言ってみたけど、よくTwitterで話題になる学歴戦争。一番最初に考えだしたのはこの事だった。

もちろん上には上がいるのだが、父親はいわゆる高学歴の部類の人。生前は学歴が高いことを誇りに思っている印象だった。

学歴は確かにコスパのいい資格とでもいうのか、いまだ学歴社会である現在においては必要不可欠なんだろう。

でも実際、父親の最期を見ていると、ただ学歴は持っているだけでは意味がないとは思う。

というのも、雑な言い方にはなるが父親の葬儀は身内でさっさと済ませたのである。

唯一、号泣していたのは母と父親の母である祖母のみ。「長生きしすぎると子供の方が先に死んでしまうのが辛い」と祖母が言っていたのだけは、どこか胸に突き刺さるものがあった。

私も母親である身、祖母の気持ちは痛いほどわかる。でも祖母には悪いが、自分の最期は絶対にこんな風にはなりたくないとも思ってしまう。

だって、子供から自分の死を悲しんでもらえないのだから。

いくら学歴があってもこんな人はいるし、学歴は人生を豊かにする為のアイテムのはずが、人との接し方ひとつで人生こんなにも悲しい結末にもなる。

学歴がすべてじゃないとはよく聞くけど、本当はこういう意味なのだと身をもって知った。

だからこそ今、一生懸命勉強を頑張っている学生たちに伝えたい。

ただ単に勉強をしていい大学に合格すればいいってものではないし、結局は自分がどう生きていくのかで人生は決まる。

だから間違えないでほしい。

言葉を、態度を、人への接し方を。

結局、学歴でマウントを取れるかどうかなんて、人生の最後にならなければわからないんだよね。

今なんとなく勉強をしている、なんとなく働いている、なんとなく頑張っている、なんとなく感謝をする、なんとなく生きている。

後悔をしない人生なんて有り得ないんだから、別になんとなくでもいいと思う。

何かを変えなきゃと焦っている人も、人生で考えればそれがひとつひとつの積み重ねとなるし、なんとなくでもいいから出来ることからを始めてみればいい。

人生においては、なんとなくの積み重ねがとても大きなものとなる。

こんなんだから父親のすべてを否定するのか?といわれるとそうでもない。

子にとっては最悪であった父親だが、母を大事にしていたのだけは知っている。きっと家庭内のバランスが上手くなかった人なんだろう。

これは唯一、父親の誇れる部分であり、これがなければ私は死んだ後も一生憎んでいたと思う。

死ぬ前に父親がなにを思っていたのかは知らない。

でも

「来世でまた母親と出会えるといいね」

これだけは今も願っている。


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