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【観劇記録】新宿梁山泊 第76回公演『少女都市からの呼び声〈若衆公演〉』下北沢ザ・スズナリ —3連続公演という旅—

本記事はあくまでも個人的な雑記であると断ったうえで、感じたままを記していきたい。


同じ演目の舞台演劇が、異なるキャストと演出で3連続で公演されるということは、そうそうない。
観客として、それを全て体感するという経験も貴重である。

唐十郎作の戯曲『少女都市からの呼び声』。

2023年の夏、花園神社でのテント芝居から始まり、東急歌舞伎町タワー・THEATER MILANO-Zaのオープニングシリーズとしての公演、東大阪市文化創造館での大阪公演、そして下北沢ザ・スズナリでの若衆公演と、この戯曲は異なるキャストと演出で少女都市への旅を続けてきた。

筆者は舞台演劇を観る際、作品自体の意味を自分自身がどう感じ考えて何を得たかということはどうでもよく、それぞれの役者がどう表現するかを見たいし見ているので、話について所謂考察のようなことはあまりしないし他人のそれにも興味がない。
話自体を観に行くことが主ではなく、その話を役者がどう表現するかを見ることが楽しみなのだ。脚本や演出の良し悪しも重要であるしその質ももちろん重視してはいるが、それも話自体を楽しみにするのとは違う。話や役に感情移入はしないが、役者の芝居の仕方には感情移入する。その点でも、異なる規模・役者陣で同じ作品を続けて観られるのは面白い。


花園神社での紫テントの芝居では、主人公の田口を六平直政が、“存在できなかった”妹の雪子を水嶋カンナが演じた。
演出の金守珍は、「あの向こう側に大きく見える東急歌舞伎町タワーのTHEATER MILANO-Zaで、関ジャニの安田くんによって、異なる演出で少女都市をやります」と告知していた。
六平氏が金氏に、「これ(テント芝居)をやりながら劇場版の演出もやってるんだからすごい」と言っていたことが、既に懐かしい。

安田章大主演のTHEATER MILANO-Zaから始まった大劇場版の公演は、東大阪市文化創造館で8月22日に大千穐楽を迎えた。
その際の安田氏の挨拶は、他出演者の挨拶を挟み三回に分けて行われたが、二回目、三回目の言葉の一部を残しておきたい。


「僕たちみんなで力を合わせて一つの作品を作りました。一人一人が努力しなければこのような作品にはならなかったのかなと思います。これは皆さんの日常生活にも言えることだと思いますので、(ここで舞台奥から落下音)落ちましたね、唐さんかな?!…その唐さんの戯曲、皆さんの中でしっかり心に留めていただいて、他にもたくさん面白い作品がありますので、是非戯曲集読んでみてください。“考えるな、感じろ”ということらしいです!」

「そして、これが終わりましても東京のスズナリ下北沢で、…航輝ー!(柴野航輝氏に呼びかける)彼が、田口をします。人と人を繋ぐということは大切なことなので、経験したことを次の誰かに渡してください。そしてスズナリに足を運べる人は運んでいただいて、新宿梁山泊の皆様や関わっている皆様がどんなことをしているのか確認し知ってください。あらためまして、この座組に出会えたことを幸せに思います。涙なくては語れない出来事でしたが、笑って終わりたいと思います。では皆さん!!!!……ばいばぁ〜い」

鳴り止まぬ拍手で三度目の挨拶。
「世の中でシェイクスピアが語り継がれています。日本のシェイクスピアは唐十郎さんだと僕たちは思ってこの戯曲に挑んでいました。皆さんの中で少しでも唐十郎さんという、もう生き物ですね、生き物を語り継いでいきたいのであれば、梁山泊さん、紅テントの皆様に力を貸してください。宜しくお願いします。(洒落っ気も込め拍手を要求)本日にて、閉幕します!ありがとうございました!!」
拍手の渦の中、「唐十郎を、宜しくお願いしまぁす!!」と叫び閉幕。

彼の言葉は終始力強く、担い手としての覚悟と責任を燃え滾らせていた。
そして、自分の次の世代に繋げるということへの意識も一貫して感じられた。
そんな彼を見て語る声を聴きながら、「観客としても3公演目を観ずにはこの旅は終われないな」と感じていた。

テント版で主人公の田口を演じたのは、六平直政氏。そして大劇場版では安田章大氏。そのバトンを受け継いだのが、柴野航輝氏だ。
1996年生まれの26歳(2023年10月23日で27歳を迎えた)で、色白でどちらかというとふくよか、柔和そうな印象を受ける。
大ホールの舞台の上の姿を見ると、ふんわりしつつも若さ故か余裕はあまりなさそうに見えた。
気負いがないのにしっかりと安定感も遊び心もあり男臭さを漂わせる六平氏とも、
漢気としなやかさが共存し表情も動きもひとつひとつ一瞬一瞬に吸引力がある安田氏とも、雰囲気は随分と違う。

「キャラクター作りとして、多少頼りない感じの、とぼけた印象の田口になるのだろうか?」というぼんやりとした想像があった。

2023年10月18日。

下北沢ザ・スズナリは、下北沢駅から徒歩5分ほどの場所にある客席数定員116名の小劇場である。1981年に開場した。本多劇場グループ系列の最初の劇場で、代表の本多一夫氏が自宅近くのアパートを改築して、俳優養成所ホンダスタジオの稽古場兼、公演発表の場として作ったのが始まりだという。今も昭和の風情が漂う。

入口のある二階への階段を登り、ドアノブを回してドアを開く。受付で予約していたチケット代金を払い、後列の上手側の席に着いた。

遅れて会場に入ったのだが、「おや、観客の空気感があたたかいな」というのがすぐに肌で感じられた。観客が、“若衆公演”を厳しさや上から見るのではなく、慈しみ見守っている空気があった。
柴野氏の田口と矢内有紗氏演じる雪子は揃いのような黒縁眼鏡をかけており、雰囲気もよく似ていた。六平氏の田口と水嶋氏の雪子、安田氏の田口と咲妃みゆ氏の雪子は、あまり“兄妹”感はなく、男女の危うさや近いのか遠いのか掴めぬ異質な距離感があったのだが、柴野氏と矢内氏は実の兄妹のような空気感がある。“実家感”がある二人であった。
これは筆者の大変勝手な憶測であるが、二人は、“田口と雪子をどう演じるか”について対話を重ねてきたのではなかろうか。その経てきた時間の気配や、互いの芝居を尊重しようとする姿勢が感じられた。テント版や大劇場版の役者の演技の仕方に引っ張られていないことが良かった。

水嶋氏の雪子は、どこかスナックのママのような生々しいなまめかしさと、やり手な奔放さがあった。
咲妃氏の雪子は、純真無垢でいて妖艶、儚くもあり譲らぬ狂気があった。
矢内氏の雪子は、ませた少女のような生意気さがありつつ、どうも憎めないリアルな“うちの妹”っぽさを放つ。

柴野氏には、「多少頼りない感じの、とぼけた印象の田口になるのだろうか?」という想像を良い意味で裏切られた。
しゃんとした声には癖がなく耳触りが良い。変にとぼけたり過剰にキャラに走ったりすることはなく、正統派の芝居であったことに好感が持てた。

六平氏の田口は、泥臭くねっとりした雰囲気で、観客を否応無しに巻き込んでいた。
安田氏の田口は、迸るエネルギーがあって、生きた熱量により観客を引き込んでいた。
柴野氏の田口は、観客をやさしく見守らせ、行く末を穏やかに辿らせる。
そんな印象を抱いた。


逆に、キャラクターに走りすぎではないかと感じたのが、藤田佳昭氏演じるフランケ醜態博士。酔ったロックスターかのような台詞回しや動きにデニムの衣装など、テント版や大劇場版とは異なるフランケ醜態を作り上げようという気概は伝わってきたが、見方によっては空回りしているようにも思えた。


目を引いた役者が、ビン子を演じた本間美彩氏。
彼女はテント版では看護婦を演じていたのだが、その際も目を引いた。筆者は大劇場版で看護婦を演じた桑原裕子氏の芝居よりも、本間氏の芝居のほうが好みであった。
ビン子については、3連続公演いずれの役者もそれぞれの味があった。作品の登場人物の中でビン子が最もビジュアルや人柄の空気感の作り方に三者三様の個性が出ていて面白い役だったと思う。
佐藤水香氏のビン子の一見まるく包んだ女性的な執念や慕情の感じも良く、
小野ゆり子氏のビン子の近未来的さとレトロさを両方持つ圧倒的に魅力的なビジュアルも良く、
本間氏のオンナ!という感じの力強さや鋭さとわりと現代的でハイセンスな衣装も良かった。


若衆公演は、3連続公演の中で最も台詞にテンポ感がありリズミカルで軽やかであったと思う。
ただその分、テント版や大劇場版にあった、深く潜り溺れるような感覚や、感情の荒波に揉まれるような体感はなく、浅瀬を泳ぐように展開が過ぎ去ったなという感想があるのは正直なところだ。

とはいえ、やはり3連続公演にそれぞれ足を運べたこの夏は、濃密なものとなった。
舞台演目としての『少女都市からの呼び声』はこれで終わりではなく、バトンは次世代へと繋がれていくだろう。
唐十郎作品やテント芝居もそうで、役者のバトンも観客のバトンも次世代へ手渡しされていくのだと思う。この世界観に触れ、時の波に乗れたことで人生という旅も豊かになったと感じている。


■Information

新宿梁山泊 第76回公演『少女都市からの呼び声〈若衆公演〉』

【会場】
下北沢 ザ・スズナリ

【公演日程】
2023年10月17日(火)〜19日(木)

【料金】
一般指定席
前売 4,500円  当日 5,000円

【キャスト】
風間杜夫、金守珍、大久保鷹、藤田佳昭、ジャン・裕一、宮澤寿、二條正士、柴野航輝、若林美保、紅日毬子、本間美彩、矢内有紗、河西茉祐、青山郁彦、杉本茜、望月麻里、荒澤守、松本カオル

【脚本】
唐十郎
【演出】
金守珍

【公式HP】
http://www.s-ryozanpaku.com/


以下は余談だが、下北沢スズナリでの公演に向かう道で、特別な出来事があった。

安田章大氏がおられたのだ。
印象として、彼はファッションも出立ちも雰囲気も、仙人のようであった。“オーラがある”という言葉は生で見た芸能人に対してよく使われるが、まさしく、俗世に染まらぬような孤高なオーラを纏っており、彼だけにピンスポットが当たり続けているかのように見えた。「いや、実際にそうだったのかもしれない」、そんなわけはないのにそう思うほど。彼にだけ天空からの光がずっと射しているような存在感があった。それでいて、なんの飾り気も気負いも傲慢さもなく、本当に普通にそこにいて笑って喋って歩いていた。

その姿を目にしたことは、少女都市からの呼び声に誘われたいち観客としての4ヶ月弱の旅の締めくくりに忘れえぬ残像を脳に宿した。

「貴方の千穐楽の言葉がきっかけで、ここへ来ました」と声をかけたかったが、できずに見送った。伝えるという行為はこちら側のエゴでしかない。一方的に見ている側が役者に唐突に話しかけるなど失礼や迷惑にあたるかもしれない。でも、それでも、この日が伝えるタイミングであったなと悔いはあるが、その痼りを残したこともまた、この旅らしいではないかと思ったりする。

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