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10. 誰がための勉強

私は漫画が結構好きで色々読むのですが、最近はブルーピリオドを一気読みしました。あれ面白いですね。

先生には"良い子"を、仲間には"ヤンキー"を、クラスでは"成績優秀者"を、そして自分にすら"自分"を演じる努力家高校生が、絵にどハマりして日本の最難関名門大学・東京藝術大学を目指す話。


私も母親が東京音大生だったので、芸術系学校への入学の門が狭いことはそれなりに知っていたけれど、まさか藝大への現役合格があれほど難しいとは。
しかも美術科唯一の国立大学なんだってね。


ネタバレになることは言いたくないので避けますが、漫画だから現実味よりもストーリーを重視するのはわかるけど、非現実的!笑

まぁそれが漫画の好きなところでもあるんだけどね!

自分をどこまでも連れていってくれる可能性を感じるというか。

とまぁ、ワクワクしながらブルーピリオドを爆速で読んでいて、6巻を読み終わったあたりで感じたのですが、私って美術に関する知識皆無だったんだなぁということ。


小学校からの友人で、大学で美術専攻の子がいるんです。
その子が、高校受験の時からデッサンとか石膏像とか色々言ってるのは聞いてたんだけど、実際なんのことだか分からなかったし調べようともしていなかった。

なぜなら、自分には美術の道に進む可能性が全くなかったから。作品を見るのは少し、でも描くことへの興味は無かった。 だから私は美術に関して無知でした。

でも私は、同じ芸術分野なら音楽のことは知ってる。
なぜならピアノを習っていたから。楽譜の読み方はもちろん、音の種類、コード、楽典、などの形式的なものから、自分が出したい音を出すには、つまり、自分が伝えたいことを音を媒介にしてどう伝えるか、とかも。

勉強してきたから、私は音楽、特にピアノに関しての知識は人並み以上にある。でもこれは強いられたからした行為ではなくて、私自身がピアノが好きだったからできた努力。

知識がないって恥ずかしい。



そう。誤解を恐れずに言えばそうなんです。一概には言えないけれど。そしてこれが今回のテーマ。


ギリシャローマ帝国時代の偉大な哲学者ソクラテスが、街ゆくあらゆる人に、己の無知を自覚するのを手助けする会話、助産術を繰り広げたとして処刑された話は有名ですね。

友人、兄妹、親でさえも時々、「えっ、こんなことも知らないんだこの人」って思うことありませんか。


知識の量は、経験値だと思います。

知識とは経験値だ。


知識って言うと少し語弊があるかもしれないな。

ここでいう知識っていうのは、勉学に限ったことではなくて、

どれだけ人の気持ちを慮れるか、

とか、

言葉の重みを知っていること、

なども含みます。


たとえば、これ言ったら人は怒る、だとか、「象る」が読めるっていうのも、多くの人にとっては経験によって培った知識だと思うんです。

※「象る」は「かたどる」と読みます。
筆者が中学生の頃に聴いていたボカロ曲の歌詞に出てきたのですが、当時は読めず、"調べる" という経験をしたので知っていました。「象」は小学4年生で習うので、おそらく当時から訓読みを知っている方は少ないと思います。
私も漢字として調べたのではなく、曲の歌詞に出てくる私が知らない言葉、として調べました。



この世の人の多くは、勉強ってあんまり楽しくないなぁと思いながら小中高あるいは大学を経てきたと思うのですが、それならなんで続けてきたのでしょうか?
その時間、好きなことに割いたらもっと豊かな人生になったのでは?


先程私は漫画が好きと言いましたが、中学生頃まではアニメも大好きでした。毎クール放送作品をチェックして、2期待ってました!、絵が綺麗だから、キャストの中に好きな声優さんがいるから観てみよう、っていうふうにどんどん色んな作品に触れてきたんです。

アニメに対する情熱があったから、新しい出会いがたくさんあったし素晴らしい作品にもたくさん出会えた。でも今、あの頃と同じことしようと思ったら多分できない。アニメは今も好きだけど、情熱を失ってしまった。


ゲームも好きだった。新しいゲームを見つけてはやり込んでた。でももう、ゲーム機をセットするのすら面倒くさい。

しかし、中学生の頃に目に焼き付けたアニメやゲームや漫画から、私は色々なものを自分の経験として吸収した。

もしかしたら他の人が勉強して身につけるかもしれないものを、私は楽しく、しかも若いうちから持っていた可能性だってある。

それなら勉強ってなんなんだ、と。


私は、勉強っていうのは手段だと思います。


勉強をした先の最終目標は、

一般人になること

です。


これだけだと❓ですよね。笑

あくまで私の持論として聞いて欲しいのですが、一般人になること、具体的にいうと、

誰の前でも一般人になること

です。
もちろん偉人・芸能人の対義語としてではなくてね。笑


当たり前なことって挙げてもらえれば誰でもぽんぽん出てくると思います。

しかしそれは主観的な当たり前。

自分にとっては当たり前でも他人にとっては違うかもしれないでしょう?

会話をしていて違和感を抱かない人は、あなたにとって一般人です。つまり、価値観や物事の基準が似ている人です。

良い悪い関係なく、この人は私と考え方が違う、と感じてしまったらそれはその人はあなたにとっての一般人ではない。


私は、誰の前でも、居心地のいい空間になりたいのです。


だから、知らないことがあるだけで、
「あ、この人は私が当たり前と思っている基準に達していない。」
という認識をされているのではないか、と勝手に怖くなるのです。


全ての人にとっての一般人は、到底一生かけても果たせない目標だと思っています。

だからこそ、せめて出会う人々、濃密な時間を過ごす人々にとって、自分が当たり前の存在になりたい。願わくば、あなたじゃなきゃだめなの、と思ってもらえたら、とも思う。

そのために、日々勉強は続けなければならないし、なんでも知らないこと、自分にとって新しいことがあればどんどん吸収するべきです。


でも、付き合う人が増えれば増えるほど、相手の基準の幅も拡がるので、こんなもんかな、と思える自分にはなかなか至ることができないものです。

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