日記:2020/2/20(木)

어젯밤에 잠 않기 때문에 오전 4시에 이불에서 나오고 독서한다. Dawn breaks while reading the book, 台所の磨りガラスの向こうが青灰色にぼんやりと発光しはじめるのが、ページを追う視界の片隅に入る。Es ist heute bewölkt.

金井美恵子『目白雑録5 : 小さいもの、大きいこと』読了。呆れるほど幼稚でピント外れな言葉の数々(カギカッコが次第に汚物をつまむためのトングのようにすら見えてくる)を引用するたび、「(傍点は金井)」「(文中の傍点は引用者)」「(傍点は、もちろん引用者による)」「(傍点は、言うまでもなく引用者)」と、断り書きの悪意のレベルが徐々に上がっていくのがたまらなく可笑しい。「ヒロシマ」や「ナガサキ」を想起させることで原子力爆弾の投下と原発事故とを無邪気に結びつける「フクシマ」というカタカナ書きや、2001年アメリカ同時多発テロの呼称「9・11(キューテンイチイチ)」と安易に関連づけ語られる「3・11(サンテンイチイチ)」という軽薄な表記などが、東日本大震災以後蔓延した(あるいは現在進行形で蔓延している)わけだけれども、アメリカであの表記はどうかというと、「9・11」といえばもちろん救急車の番号「nine-one-one」で、では「3・11」という数字の並びを見たときにまず何を思い浮かべるだろうかと考えてみるに、「スリーマイル島(Three Mile Island)の原発事故」ということになるのだろう、という結論に至る。

お気に入りのブログ「borujiaya」で、ダグラス・サークのフィルム・ノワール『ショックプルーフ Schockproof』(1949)が取り上げられていた。『ショックプルーフ』はたしか脚本にサミュエル・フラーが関わっている作品だったはず。サミュエル・フラーといえば、妻で女優のクリスタ・ラングとの親密な共同作業(フラーの口述をタイプライターで打ち込みながら、時折彼の記憶違いを的確に指摘、訂正する様が生々しく記録されている)によって、今まさに書かれつつある本(それを我々は読んでいるわけだが)のスリリングなドキュメンタリーの感触すら覚える感動的な自伝『サミュエル・フラー自伝 : わたしはいかに書き、闘い、映画をつくってきたか』が、2015年にboidから出版されている。「女の腹に載った卵をはがす」「ひっつかんで、ひっぱたいて、揺さぶってやれ」など、章のタイトル1つとってもきわめて魅力的な本なのだが、以下、『ショックプルーフ』について語られた箇所を引用してみる。

 次に執筆したのは、『恋人たち』という題の話だった。(チャーリー・)フェルドマンがコロンビアにこれを売ってくれた。ジェニー・マーシュという名の元ぺてん師の女性と、グリフ・マランドという名の彼女の仮釈放管理者をめぐるストーリーであった。一九四九年、偉大なるダグラス・サークがこの脚本に基づいて映画を監督した。どうやらスタジオはわたしがつけた題名を気に入らなかったらしく、『ショックプルーフ』に改題されてしまったが。戦後に執筆した脚本の一本がようやく映画化にこぎつけたので、連中が題名をどう変えようがちっともかまわなかった。(p.319)

 本作執筆後、フラーは次の映画化企画として「『拘束衣(ストレイトジャケット)』と題した精神病院をめぐる物語」をフリッツ・ラング(!)に売り込むこととなる。この企画自体は結局実現することなく終わってしまうのだが、ここで構想されたストーリーが、およそ十五年後フラー自身の監督による傑作『ショック集団 Shock Corridor』(1963)を生むことにつながる。映画史的魅惑に満ちた美しいエピソードであるが、フリッツ・ラングが監督したヴァージョンも見てみたかった、というとわがままが過ぎるだろうか。

読んだ記事:

mubiの特集配信″ Yuzo Kawashima's Post-War Japan”(2020年1月~4月、残念ながら日本未配信)にあわせた、川島雄三についての記事。海外の記事であるにもかかわらずワイズ出版の新刊『偽善への挑戦 : 映画監督 川島雄三』にまで言及があり、なかなか行き届いた内容となっている。方々をうろつき回るようにあちこちの映画会社・撮影所に出入りする川島雄三の「irregular」なキャリアや、「無常(transience)」観に裏打ちされた彼の映画の特異な時間感覚について論じている。(※レビュー系の記事は見慣れない形容詞が多用されることが多く、読むのに苦労しました)

※本日覚えた言葉:roman à clef
実在の人物を架空の名前で書いた小説の総称。文中やエピグラフなどに実在人物のヒント=鍵を配し、読者に匂わせる手法をとる。17世紀の女性作家、マドレーヌ・ド・スキュデリ(ホフマン『マドモワゼル・ド・スキュデリ』のモデルではないか!後で読む)によって考案されたらしい。

※3/9(月)追記:ダグラス・サークのインタビュー本、ジョン ハリデイ編『サーク・オン・サーク』を読んでいたら、こんな記述に出くわしたので書いておく。

(…)この映画でわたしに興味があったのは、兵士と女の子の恋愛なんです。最初のうちは、「愛する者たち The Lovers」と名づけようと思ってたんですよ。これは「ショックプルーフ」のフラーの脚本タイトルで、コロンビアにボツにされてしまったものです。コロンビアでは「愛 Love」が入っているタイトルはよくないと考えたんです。(…)(『サーク・オン・サーク』pp.229)

上述の「この映画」とは、『愛する時と死するとき A Time to Love and a Time to Die』(1958)のこと。フラーの考案したタイトルが、この作品にまで反響しているのだ、と考えると感無量。

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