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【期間限定無料公開】六本木のネバーランド(後編)

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前編はこちら:
https://note.com/ha_chu/n/n6bf03c407e4d

「美幸ちゃん。写真はおっしゃる通りで、ホテルから撮ったやつ。ニューヨークでの一枚目の写真を送ろうと思いました。ちょっと酔っぱらっていたから、ブレててごめんね。
 インターンの選考、頑張って。就活は俺も、嫌々やっていたけど、外銀は、昔は、今とは違って人気がそこまでなかったから、英語ができれば通る感じだったような……。俺の場合は、やりたいことよりも、自分ができることを優先して受けて行って、あっさりと受かって、何も考えずに働き続けて、気が付けば今って感じです。他の道があったのかもしれないけれど、もしもの可能性を考えるのはあまり好きではないので、縁のあったところがいるべき場所だと思って、がむしゃらにやってきました。
 でも、本来は就活って、それまでの人生で一番、自分が何者か、考える時期だよね。気の利いたことは何も言えないかもしれないけれど、何か相談したいことがあればいつでも言ってください。
 僕は場所が変わっただけで、あまり生活に変化はありません。仕事自体は、東京にいた頃とあまり変わらないかな。パソコン相手に、数字を読んだり、資料を作ったりする毎日です。変わったのは、同僚の言語と、ランチの場所と、スタバのサイズくらい。僕は毎朝ブラックコーヒーを飲むのが日課なのだけど、日本では飲みきれないと思って頼んだことのないサイズが、こちらの一番小さいサイズなので、夕方までデスクのはじっこに、冷めたコーヒーが残っています。
 仕事が終わるのは遅い時間なので、そこから何かをするのはかなりの気合がいるのだけど、美幸ちゃんが『楽しんで』と言ってくれたのが印象に残っているので、何か、自分を楽しませるようなことも、やってみようと思います。今週は街を散歩でもしてみようかな。美幸ちゃんはどんなことをしている時が楽しいですか」
 
 メールを受け取った日は、寒くてストーブを出した日だった。私はまた、森さんからのメールを印刷し、手帳に貼った後に、紅茶をいれて返事を書いた。
 
「森さん、今日、電気ストーブを出しました。エアコンだけだと、足元が寒くて。冷え性なんです、私。電気代、高くなっていたらすみません。けど、きっとニューヨークのほうが寒いですよね。風邪などに気を付けてくださいね。
 私が楽しい時ですか……。改めて考えると難しいですね。就活のための資料を作る時も、いつも思うんですけど、それまで、自分がなんとなくやってきたことを改めて、楽しいとか悲しいとかに割り振ったり、理由をつけたり、それがどういうことに役立ったか分析するのって、すごく難しいです。
 私が楽しいと思うのは、友達と会って、おしゃべりすること。美味しいものを食べること。映画を見ること。本を読むこと。旅をすること。カフェに行くこと。散歩も好きです。でも、公園や緑の多い場所を歩くより、激しい音楽を聴きながら、街の中を歩くほうが好きですね。表参道から赤坂までとか、六本木まで歩いたりもしますよ。あそこらへんは、お店の移り変わりが激しくて、歩くたびに発見があります。
 もしニューヨークにいつか行けたら、セントラルパークもいいけど、タイムズスクエアをスニーカーでがんがん歩きたいです。
 スタバで毎日コーヒーを買うなんて、オシャレですね。私は、せこいので、コーヒーだったら家でも作れるしなあなんて考えて、スタバではいつも凝ったやつ頼んじゃいます。フラペチーノとか、クリームがのった季節限定のラテとか。森さんは、ブラックコーヒー派かもしれないけれど、『ダブルショートソイカフェモカ』が今私のハマっているカスタマイズです。まるで呪文みたいで、これに一体何がどういう風に入っているのかは、自分でも、実はよくわかっていないのだけど、美咲が頼んでいるのを見て、真似したら、すごく美味しかったので、気が向いたら試してみてください」

 書きながら、森さんはどんな状況でこのメールを読むだろうと、わくわくした。できれば、会社でばたばたとしている時ではなく、家でくつろいでいる時に読んでほしい。
 森さんからは、一週間に一回、土曜日の夕方にメールが届き、翌日か翌々日に私からお返事するのが、パターンになっていた。土曜日の夕方に私がメールをもらうということは、ニューヨークは、金曜の夜……というか正しくは土曜の明け方だ。未来にいる私に向けて、森さんが、過去からメールをしてくれているみたいだ。時差って、時空まで歪めてくれるみたいで、面白い。

「美幸ちゃん。元気ですか。元気ですかって、先週もメールしたから、元気に決まっているだろうけど、他に書き出しが思い浮かばなくて。電気代は気にしないし、そもそも自動引き落としになっているから、いくら払っているか、確認したこともないんだよね。しっかり防寒してください。日当たりの悪い部屋で、ごめんね。僕は元気です。
 あ、美幸ちゃんの言っていたカスタマイズ、頼んだよ。カスタマイズって初めてしたよ。ネットで調べたら、本当にいろんなカスタマイズが出来るんだね。基本は目を覚ますためだけに飲んでいるので、ブラックコーヒー派ではありますが、たまに気分転換もしてみようと思います。さすが、現役女子大生は、こういうこと、詳しいよなあ……。勉強になります。
 そうそう、今夜は、世界一美味しいといわれている『ピータールーガー』のステーキを同僚と食べに行きました。美幸ちゃん、お肉が好きって言ってたよね。NYに行く機会があったら、行くといいよ。アメリカを代表するステーキハウスだから。分厚くて食べごたえのあるTボーンステーキを食べながら、ああ、今ニューヨークにいるなあ、としみじみ思いました。僕は小学校から高校卒業まで、ロスの学校に通っていたから、アメリカはふるさとと呼べなくもないと思うんだけど、ロスとニューヨークは全然違う。ほとんど別の国です。時間の流れ方も全然違うな。ニューヨーカーは喋るスピードもすごく速いです。たまに、仕事中にふと我に返って、人生を早回ししてるんじゃないかという気になります。
 美幸ちゃんは情報通だから、ピータールーガーも知ってたかな。もしも行ったことがあったらごめんね。
 ステーキを食べた後は、雰囲気のいいバーで何杯かひっかけてから、部屋に帰って、ゆっくり湯船につかりました。そうすると、少しだけ、人間に戻ったような感覚になりました。美幸ちゃんは、どんな日々を過ごしていますか? こんなおじさんの自己満足なメールに付き合わせてごめんね。独り言を、書くあてがないから、美幸ちゃんに送っちゃっています。SNSか日記に書けばいいのだろうけど、うちの会社は、SNS禁止だし、日記みたいに、誰にも見せないものを書くのはどうも気が進まなくて。
 別に死ぬ予定は全然ないのだけど、僕が突然死んだとしたら、僕が僕だけのために書いた日記は、誰の目にも触れないまま捨てられる可能性がある。けれど、こうやって、誰かに伝えておけば、誰かの心の中に、僕の記憶の断片が残るよね。その外付けハードディスクの役割を美幸ちゃんに負わせて申し訳ないけど、もし迷惑じゃなかったら、僕の自己満足に、もう少しだけ付き合って下さい。
 はた目には、楽しみの少ない毎日に見えているかもしれないけれど、少し、自分で楽しさを見つけられるようになりました。今日のこのことを美幸ちゃんに伝えようかな、と思うことで、生活の中の、ハレの部分を見つけることが出来るし、それは、僕自身の心のバランスを保ってくれます。また書きますね。では」

 このメールを読んだ時、一瞬、この人、近いうちに自殺でもするのかと、心配になった。でも、落ち着いてもう一回読み返すと、死にたいんじゃなくて、生きたいんだと分かった。
 大人って、意外ともろいんだな。
 どこからどこまでが大人かというと、ものすごく曖昧で、自分だって成人はしているんだから、大人といえば大人なのだけど、社会人は、もう少しレベルが上の、大人の免許皆伝版だと思っていた。だからこそ、森さんのもろさが、愛おしい。エントリーシートを書きながら、完璧を演じなければいけないと思っていた私に、大人なんて完璧じゃなくていいと教えてくれているみたいだ。
 頼ってくれて、ありがとう、と思った。偶然出会っただけの、素性もよくわからない小娘なのにね。私みたいなものに、森さんが命綱を預けているとしたら、私は喜んでその綱を摑んでおきたい。そして、願わくは、私よりも頑丈な杭を見つけて、そこに森さんの命綱を、絶対に外れないようにぐるぐるに巻いて固定したい。

「森さん、メール、ありがとうございます。私は元気です。森さんのほうこそ、元気がなさそうで心配です。お仕事、つらくないですか。私みたいに事情のよくわからない女子大生には、お仕事のつらさは想像することくらいしかできませんが……。
『ピータールーガー』のことはネットで何度か見て知っていましたが、もちろん、行ったことはありません。あんな大きなステーキ、食べてみたいです。六本木にある、似たようなステーキハウスに一度、連れて行ってもらったことがあったけど、きっと本場は味も雰囲気も違いますよね。
 森さんは自己満足と言いましたが、私は森さんからのメールが楽しみです。次のメールも待っています」

 楽しみです、と書いたにもかかわらず、翌週の土曜日は、森さんからいつも通りのタイミングで、返事が来なかった。メールが来ないことにそわそわしながら週末を過ごしたけれど、もしかしたら、仕事が忙しくて、それどころではないのかもしれないと思った。きっと、落ち着いたら、思い出して、メールを書けなかった理由を、メールしてくれるはずだ。
 そして、月曜日。飲み会の前に、髪の毛を巻こうと思って部屋に寄ったら、ベッドの上に森さんがいた。すごくびっくりしたのと同時に、予感が当たったような気もした。
 森さんを見た瞬間、ゴミ箱に彼氏と使ったコンドームが入っていなかったかとか、下着を出しっぱなしにしていなかったかとか、心配事が次々と浮かんだけれど、ちょうどゴミは捨てたばかりだったし、下着は、乾燥機付きの洗濯機に入ったままだった。
「突然家にいて、ごめん。帰ってきました」
「予定より、早すぎませんか。びっくりしました」
 心臓がドキドキといつもより速く鳴っていた。何も後ろめたいことが無かったからよかったものの、帰る前に教えてほしかった。前触れが無いと、なかなか、人は目の前のものが信じられないみたいで、私は森さんのことを、幽霊じゃないかと疑い、足があることを何度も何度も確認した。
「仕事、やめようと思って」
 森さんは、寂しそうに言った。その一言で、いろいろと察した。限界ぎりぎりのところで、森さんは今まで必死で頑張っていたんだな、と思うと、胸がいっぱいになって、どうにかして、彼の心を癒してあげたいと思った。
 正直、森さんが望むなら、森さんと寝てもいいと思ったのだけど、やっぱりそんなことを欲している気配は全くなかった。欲しがってくれたら、私も気が楽なのに。でも、森さんはそんなもの、全然欲しくなさそうだった。
 森さんと寝ること自体は、全然嫌じゃなくても、自分から差し出すほど、森さんの体が欲しいわけでもない。
 どうしていいかわからないから、私は森さんを包み込むようにハグをした。一応、私の意志は伝わるように、おっぱいを意識的にぎゅっと押し付けたけれど、やっぱり、男の人としての反応は無くて、必要なのは男女の結びつきではないのだと改めて分かった。
「あの……」
 何か言いたいのに、どんな言葉をかけていいかわからず、「元気でいてくださいね」とだけ言った。
「ありがとう」
 森さんは、されるがままの格好で答えた。
「森さんは、恋愛とかしなきゃダメですよ。楽しいことはいっぱいあるのに。お金もたくさん持ってるのに。そんな不幸せな顔して」
「恋って気力がないと出来ないんだよ。そういう気力が、もう何年か、本当になくて」
「大丈夫です。少し休んだら、きっと誰かに恋したくなる日が来ます。本当に本当に本当に、つらくなって、折れそうで、どうしようもなくなったら、私にまたメールください。その時は、会いましょう。何ができるかわからないけど」
「気を遣わせて、ごめんね」
「私がそうしたいんです。部屋をかりたお礼とは、また別。私、森さんの非常用ボタンになります。呼び出されたら、いつでも、登場します。でも、そう簡単に使えないルールにしましょう。『美幸ボタン』、いつでも使える代わり、人生で一回しか使えないことにしませんか。森さんがこの先の人生で、もう誰にも頼れない、無理だと思った時は、遠慮なく、私のこと呼び出してください」
 おどけて言うと、森さんはかすかに笑ってくれた。
「ありがとう、その気持ちだけで十分だけど、すごく救われる」
 私は、森さんがだらりと床についた両手を持ち上げて、膝の上で、自分の両手を重ねた。冷たいのかと思ったら、手はあたたかだった。森さんの心臓は勢いよく、ちゃんと、ドクン、ドクン、と動いているのが、指先を通して、伝わってきた。
「今、実は、泣きたいような気持ちなんだけど」
「はい」
「なんか、涙も出てこないんだ」
「いつか出ます」
「美幸ちゃんにはすごく感謝してるんだけど、うまく伝えられずにごめん」
「伝わってます」
 私はこの一ヵ月、お守りのように持ち歩いていた、森さんの家の鍵を、森さんの手に返した。
「これ、お返ししますね」
「うん」
 私は、部屋中に散らばっていた私がここで生活していた痕跡を一つずつ回収した。下着、コテ、百円ショップで買った料理グッズ、リクルートスーツと、黒いハイヒール、シャツ、ネックレス。
 そしてそれを、大きな袋に、雑に詰めた。
「冷蔵庫のバターと、ヨーグルトの残りは、あげます。バター、高くていいやつなので、捨てないでちゃんと使ってください。あと、トースターを、絶対買ったほうがいいです。私は、ここでよくバタートーストを作って食べてました。いいバターを使うと、美味しいんです。朝に食べると、いい一日が始まるような気がしますよ」
「わかった」
「じゃあ、また、いつか。一ヵ月、お部屋を貸してくれて、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、借りてくれて、ありがとう」
 最後に、もう一回だけ、森さんとハグした。
「森さんは、疲れているだけです。ちゃんとお風呂に入って、寝てくださいね」
「美幸ちゃんって、お姉さんみたいなこと言うね。僕よりずいぶん年下なのに。そうするよ。ありがとう。本当に、いろいろ、ありがとう」
 森さんは、部屋から私が立ち去るのを、魂が抜けた人みたいにぼうっと見ていた。外に出た瞬間、冬の空気が頰を一気に冷やして、私は夢から現実に戻ったような気持ちになった。

 それから、森さんがどうしたかは知らない。
 美咲は、案の定、星野にいろんな外銀の人を紹介してもらってはいたけれど、親のコネは使わず正々堂々と戦って、森さんよりも星野よりもお給料が高い、業界最大手の外資系投資銀行の内定を見事勝ち取った。
 私は私で、ちゃんと、行きたかった代理店の内定を取れた。二年間付き合った彼氏とは、就活をきっかけにぎくしゃくして、別れてしまった。彼は、希望していた商社と広告代理店全部に落ちてしまい、会うたびに卑屈になり、私もなんて声をかけていいかわからなかったのだ。それだけのことで、二年間の濃密な関係がダメになるなんて信じられなかったけれど、実際、それだけでダメになった。
 森さんの心をあんなに癒してあげたいと思った私なのに、就活に失敗した腹いせで私にあたってくる彼氏の心はどうしても癒せなかった。彼は、「なんでお前が受かって俺が落ちるのかわからない」と言ったことがあって、私も、彼の優秀さは知っていたから、「わかる」とは思ったけれど、人生はそれぞれのもので、彼と替わってあげることはできない。それを言われたとき、「この先の人生はこの人と一緒にいないだろうな」とはっきりとわかった。
 彼はその後、辞退した内定者の枠を埋めるための二次募集で、地方の放送局に内定したと、噂で聞いた。
 森さんから連絡が無いのは、きっと、どこかで頑張って、ちゃんと生きているからだと思っている。そろそろ、泣いたり、恋したりして、忙しくしていてほしいなあと思う。
(了)

▼4月15日発売

解説:岩井俊二
「きっと人間の美しさも醜さも飲み込んで、
太宰のようなかつてない作家になっていくに違いない」


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