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写真論1レポート「モノに執着している写真家である土門拳と植田正治の作品を比較しての考察」

①選定した作品の共通点と相違点
 テキストを通読して関心を持ったテーマとして「モノ」を選び、「モノ」に執着している写真家として土門拳と植田正治の2人を取り上げる。

 土門拳はテキストにもあるように、被写体から背景に至るまでフレームの隅々までピントを合わせて「そこにあるモノ」全てを捉えている作風が特徴である。そこには演出の無いリアリズムがあり、モノの持つ確かな存在感に圧倒される。一方で植田正治については徹底した演出写真で知られ、モノの配置に徹底的にこだわりフレーム内に意図的に被写体を配置することで、現実ではありえないようなシュルレアリスム要素の高い作風が特徴である。両者がほぼ同年代の写真家であること、社会的な知名度が高く多くの作品が世に知られていること、「演出の無いリアリズム」と「徹底的な演出」という異なった特徴を持っていることがこの2名を取り上げた理由である。
 ついては、それぞれの作品を比較して共通点と相違点を導き出すため、類似した作品として「子供」を被写体としている作品を比較する。

 まず、土門拳の作品からは「土門拳、≪母のない姉妹≫、1959年」と「土門拳、≪近藤勇と鞍馬天狗≫、1953年」の2作品をピックアップする。

 ≪母のない姉妹≫については、被写体となっている2人の少女が左右に偏って配置され、左の少女は笑顔、右の少女は不安そうな面持ちであり、それを写真中央部にある真っ黒な空間が2人を隔てている。この真っ黒な空間が二人の表情を際立たせるとともに、この2人の距離感であったり、境遇の違いであったりといった隠れた背景が連想される構図となっている。ほぼ中央部にある光の点は偶然の産物だろうが、何かこのふたりの未来を暗示しているようでわずかな光明を感じ取ることができる。あえて被写界深度を深くして背景の光の点までをくっきりと捉えているなど、画面全体にピントを合わせてフレームの隅々にあるモノにまでこだわった土門拳の本領を発揮した作品となっている。

【≪母の無い姉妹≫リンク先】
土門拳とその作品-筑豊のこどもたち | 山形県酒田市 土門拳記念館 (domonken-kinenkan.jp)

 次に≪近藤勇と鞍馬天狗≫については、4人の子供が被写体となっているが、手前の2人は左右に離れ、後ろの2人も中央寄りではあるが左右に離れている。4人の中央部は大きく空間が空いているが、その真ん中には左手前の子供の影が大きく映っている。影をよく見ると被写体の少年から少し離れており、また、草履が散らばっていることから少年が空中に飛んでいることがわかる。躍動感のある右手前の少年と合わせて作品名の≪近藤勇と鞍馬天狗≫を回収している。一方、後方の少年2人はつまらなそうな表情で動きが無く、躍動感のある手前の少年2人との間を空間が隔て、動きや感情の違いを際立させている。リアリズムを追求した決定的な瞬間を見事に捉えつつもフレームの隅々まで使い切っている部分にもモノへの執着を感じる作品である。

【≪近藤勇と鞍馬天狗≫リンク先】
土門拳とその作品-こどもたち | 山形県酒田市 土門拳記念館 (domonken-kinenkan.jp)

 どちらの作品も自然な子供の表情や動きの決定的瞬間を収めた作品であり、子供たちの暮らしなどを通じて、不安や苦悩、そして希望などを徹底したリアリズムで伝えている作品だと言える。

 植田正治の作品からは、代表作とも言える「植田正治、≪少女四態≫、1939年」「植田正治、≪群童≫、1939年」の2作品をピックアップする。

 まず、≪少女四態≫については、被写体となっている4人の少女がそれぞれ違う表情、違うポーズで空間全体を広く使って等間隔に立っている。横並びに立っているように見えるが、足の位置や座る位置から見ると距離が前後していることがわかり、被写体となる少女の高さまで計算された作品であることがわかる。少女の背の高さのバラつき加減、右から2人目の座っている少女の頭上の空間、両端の2人の少女が着ている白いワンピース、同じ髪型、中央部の籠、右の背景にある大きな入道雲に至るまで、全てが意図的に配置されて演出写真が持つ独特の緊張感が漂っている。それでいて、少女の演技は自然に見える部分もあり、左から右へ向けて少女のポーズや表情、服装が変わっていくことで、思春期の少女が持つ不安定な感情の変化や時間の経過を彷彿とさせる。構図の緻密さと空間の使い方にこだわる植田正治の王道の作品となっている。

【≪少女四態≫リンク先】
Four postures of girls - 1939 - Ueda Shōji - 植田正治 - Wikipedia

 次に≪群童≫については、8人の子供と建物が被写体になっており、手前に少女4人と幼児2人、後方には男児が2人、各々が立ったり座ったりしている。前列は一番幼い幼児を除いて左方向を向いており、後列の男子は座り込んで地面を見つめているように見える。最後方には土壁になる前の割った竹を縦横に編んだ竹小舞の建物があり、未成熟な子供を象徴しているように見える。未完成な建物の前に座る男児は自信のない様子であるのに対し、前面の少女達は胸を張ってしっかりと立ち、ひとつの方向を向いて幼児の世話までしていることから、少女に逞しさを感じるとともに、少女と男児の精神的な成熟度の違いを表しているように見える。中央から右側に向けて幼児をスタートに少女の背が高くなっていることは時間経過や少女の成長の過程が感じられ、背景の建物や男児と合わせて、家庭内では中心的な役割を担うであろう女性の姿を彷彿とさせる。こちらの作品についても、ストーリー性や意図を感じる被写体選定と構図の緻密さ、空間の使い方にこだわる植田正治らしい作品となっている。

【≪群童≫リンク先】
A group of children - 1939 - Ueda Shōji - 植田正治 - Wikipedia

 土門拳と植田正治の作品を比較すると、どちらも「複数の子供を被写体にしている」「白黒写真である」「被写界深度が深く全体にピントを合わせている」「フレーム全体を広く使っている」「両端ギリギリまで被写体を配置している」「被写体同士を対比させている」などの点が共通点と言える。また、土門拳が演出の無いリアリズムを追求し、植田正治が演出写真を追求するといったスタンスは異なるものの、「被写体である子供というモノの生き生きとした姿を捉えている」点や「子供というモノの特徴を活かしてなんらかのメッセージを伝えようとしている」点は共通点となっている。
 一方で土門拳の作品が「子供というモノの瞬間をありのままに撮影している」のに対し、植田正治の作品は完全な演出写真で「子供というモノを意図的な構図に配置している」点は大きく異なる相違点と言える。また、「土門拳の方が植田正治の作品よりも明暗がはっきりとしている」「土門拳の作品は背景があるが植田正治の作品はほぼ背景が無い」「植田正治の作品は意図したストーリー性があるのに対し、土門拳の作品はリアルな背景があるストーリー性がある」点が相違点になると考えられる。

②作品の共通点や相違点が生まれた背景
 続けて、土門拳と植田正治の作品の共通点や相違点が生まれた背景について考察していく。
 まず、土門拳が1909年生まれ、植田正治が1913年生まれで4歳しか年齢が違わないことから、同じ時代に写真家として活躍していたことが多くの共通点を生み出した大きな要因と言える。この時代の大きな社会的背景としては1939年から始まり1945年に終わった第二次世界大戦がある。戦争は写真家であった二人に大きな影響を与え、戦時中には芸術志向の写真から報道写真へとシフトせざるを得なかったが、その経験が戦後の二人の写真へのスタンスに大きく影響を与えたと考えらえる。土門拳は報道写真からの正統進化でリアリズムを追求した写真へと進み、植田正治は反動から演出写真へと変わっていったものと考えられる。特に植田正治の作品については家族写真が多く見られることもあり、戦後の平和を感じるとともに、砂丘を好んで背景に使う手法は目障りなものを排除した潔癖さを感じる。また、第一次世界戦から第二次世界大戦までの戦間期に始まったシュルレアリスムの影響を大きく受けていることも背景にあると思われる。このあたりは土門拳との大きな違いを感じる点である。しかしながら、フレームの使い方や構図、全体にピントを合わせる技術などは正確な写真が求められる報道写真からの影響であり、戦後の日本を支える存在になる希望的存在である子供を被写体とし、ストーリー性のある作品を多く残している点は両者の共通点であり、伝えたいメッセージも本質的には類似していると思われる。

 以上のとおり、土門拳と植田正治の作品に見られる共通点と相違点のいずれについても「第二次世界大戦」が大きな背景であることは間違いないと思われ、それをきっかけとした表現手法の違いが両者各々の魅力になっていると言えるだろう。


【参考文献】
・飯沢耕太郎『写真概論』、京都芸術大学、2004年
・土門拳著『筑豊のこどもたち』、築地書館株式会社、1977年
・土門拳著『こどもたち』、ニッコールクラブ、1976年
・三島靖資料篇『日本の写真家16 土門拳』、岩波書店、1998年
・植田正治・飯沢耕太郎資料篇『日本の写真家20 植田正治』、岩波書店、1998年


写真論1で提出したレポートになります。

私は文芸コースなので、写真については見よう見まねでレポートを書いたのですが、一応、評価としては95点のS評価をいただくことができました。

制限された文字数の中、4作品を取り上げるのは無謀で、最後のまとめをサラッと書いてしまった感はありますが、努力を買っていただいての点数だと思います。

今度は冬に「写真論2」を受講しようと思います。


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