小説家志望作家の徒然なるままに。ちょっとラノベ的創作論part3        アニメ化やコミカライズの是非と限界

さて、なんだかんだ勢いのままパート3。小説家を夢見ているとどうしても先のことを考えてしまってアニメ化や映画化、コミカライズなんか考えてしまいます。捕らぬ狸の皮算用というか、バカなことだと自分でも思います。
でも、古参のアニメや映画好きでもあるワタクシに言わせて下さい。やっぱ映像化って別モノだよな、と感じずにはいられません。

というのも、やっぱりアニメはアニメクリエーターの作品で、コミックは漫画家の作品で、映画は映画監督の作品でしょう。森見登美彦先生の『夜は短し歩けよ乙女』だったり『四畳半神話大系』なんかはものすごく上手に世界観を表現できていますが、ハッキリ言って小説を読んだ感覚とはまるで別モノです。アニメーションはアニメーションとして面白い。だけど小説は小説でまた違う面白さがある。むしろ小説をもとに、アニメとしてどう表現するか模索した結果なんでしょうな。

ところがどっこい。近年のアニメや映画は原作に対して忠実過ぎて面白くない。忠実過ぎて原作側のボロも出てしまって、目も当てられない作品になってしまうこともある。ハッキリ言って媒体が違うと表現も違うんだからさ、という一言に尽きる。問題は互いに媒体が違うのに、作品の売上に繋がり過ぎてるんだよな。アニメ化して売れる。映画化して一気に売れる。あるいは人気作をアニメ化する、映画化する。昔はまだ抑制が効いていて上手くいっていた。最近はどうだろう、安里アサト先生の86のアニメなんて、まぁつまらなかったよ、個人的には。あれは小説として描写の妙が魅力だから、映像化すると違和感がすごい。進撃の巨人的生活規模なのに、妙に文明的だったり、彼我戦力差が圧倒的すぎて、リアリティとは言わないけど、なんか設定の説得力がまるでない。

『86』は初めから映像化に寄りかかっていない小説と言いたい。小説で涙がこぼれ落ちた、だと一文で済むけど、映像化するとマジでめそめそとウザい。表現の質が違うわけだよ。
でもなぜかこの二つは常にリンクしてる。単純に製作者の怠慢だよ。映像化に見合った作品を選び出す能力と表現力が必要なのに、原作のネームバリューに頼り切り。原作は原作で映像化に頼らないと売り上げが振るわなかったりするし、映像化を念頭に作られた小説が小説として面白いかは別問題だ。要するに映像の評価と原作の評価は本来全く関係ないんだろうな。ってこと。

文芸業界のしりすぼみは、単純にそういったことに繋がっているんだろうな。小説として面白い作品が圧倒的に減っちゃったんだよ。映像化したなら映像を見ればいい、的な。ラノベのラブコメなんかその典型でさ、小説である必然性がまるでないものがほとんどなのに、それでも本屋のコーナーはそれで埋め尽くされている。あの物量から限られた良作をどうやって発掘しろというのか。その割にラノベは広範な読者が少ないから精選もできない。

惜しむらくは古参のラノベ愛に溢れた目利きたちを切り捨ててしまったことなんだろうよ。うん百万人もいた読者を捨てて、どのレーベルもライト過ぎる読者向けに舵を切ったがためにラノベという言葉自体が沈没してしまった。新潮nexが自分たちが出版するのはラノベじゃないと言い張る理由がそこなんだろうな。
嗚呼、寂しきかなラノベ界。読書好きも楽しめたラノベ界はいずこに、、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?